第2話 彼女の秘密を知った次の日

「昨日はピンピンしてたのになー」


 デスクに頭を突っ伏す僕に、同僚の相良さがら涼介りょうすけが声をかけてきた。


「雨にでも打たれたのか? 明らかに体調悪そうだぞ」


 彼の声色は、憂いよりもからかいの色が強く感じられた。

 恐らく学生の頃は、体調を崩したクラスメイトを弄るタイプだったんだろうなと、勝手に想像する。


 言葉の通り、僕は体調を崩していた。

 おそらく、風邪を引いている。


 原因は涼介の察しの通り、身体を雨に濡らしたからだ。

 昨日、彼女に傘を渡してから家までダッシュで帰ったのだが、日頃の不摂生と相まって免疫力が大暴落したらしい。


自宅作業リモートワーク申請すりゃ良かったのに」

「このくらいで申請するのも、どうかと思って」

「せっかくイマドキの制度を導入している会社なんだからよ、こういう時こそ有効活用しないと」

「立場的に申請しづらいのってのもある」

「インターンだから? むしろ正社員よりも気が楽じゃね?」

「一番下っ端だから気が引けるんだよ」


 僕が所属する「テクノラップ株式会社」は新宿にオフィスを構えるIT系のベンチャー企業。

 ここで僕は、半年ほど前からインターン生として働いている。


 インターンとは大学生が一定期間企業で働く「職業体験」のことだ。


 涼介も僕と同じくインターン生として働いているが、大学に通いながらなので出勤日は週に2回ほど。

 対する僕は地方の大学を一年間休学して上京しており、週5フルタイムの勤務形態を取っていた。

 客観的に見ると、半分学生、半分社会人というなんとも微妙な立場にあった。

 

「にしても、いつもより1割増しで酷い顔だな」

「普段の僕の顔は、今よりも消費税ぶんしか良くないのか?」

「おう、あんま変わらんぞ! なんつうか、死んだ魚?」

「はっ倒していいか」

「冗談だって、ちゃんと生きてる」

「魚には変わりないのか」


 普段から生気の少ないみてくれをしている自覚はあるが、魚ほどではないんじゃないかと思う。


「てかお前、傘持ってなかったっけ?」

「傘は……あげた」

「はぁ? 誰に?」

「誰にだと思う?」

 

 問いに疑問形で返す。

 昨日の出来事を涼介に言うつもりはないので、突き放したつもりだった。


 一方の涼介は顎に手を当てむむむと思案に耽り始めた。


「ふうむっ……誰かと聞いてくるということは俺の知っている人物か? 全くの見ず知らずの奴を助けるとは思えんし……となると、お前は俺以外に友達がいないから……」

「なかなか心外なこと言ってくれる」

「あ、わかった! この前話してた、お隣のJKちゃんか!?」


 呼吸が止まったかと思った。


「……まさか当てられるとは思わなかった」

「お、正解か! 今度昼飯奢りな!」

「この問題にそこまでの付加価値は無いでしょ」


 以前、飲みの席で涼介に彼女のことを話したことがある。

 話したといっても、隣にえらく可愛い女子高生が住んでるというくらいの薄っぺらいものだったが、しっかりと覚えていたようだ。

 顔が良くおちゃらけた雰囲気とは裏腹に、考察力と記憶力はずば抜けて高い、というのが僕から見た彼の印象である。

 

「で、傘を貸したことから始まる純愛ラブストーリー的な展開には?」

「ない」

「即答かよ!」

「ありえないよ。第一、相手は女子高生だ」


 今年で21になった身からすれば、女子高生という生物いきものはもはや異世界人に等しい。

 タピオカチャレンジできゃっきゃするJKと、残業チャレンジに挑んでぎゃーぎゃーしている自分とは交わる隙など無いのだ。


「歳の差だって関係ねえさ! 俺だって今付き合ってる子、5つ上だし」

「いたんだ、彼女さん」

「ええっ!? 前話したことあるよね!? ほら、高校の時に教育実習で来た女子大生!」

「ああ、なんかそんなこと言っていたような気がしないでもない」

「興味なさすぎじゃね?」

「もう覚えたと思う。仲いいんだっけ?」

「おうよ! 付き合って3年経つが、今でもラブラブさ」

「そういうことをはっきり言えるあたり流石だね」


 僕にはないスキルだ。

 別に欲しいとは思わないけど。


「というか歳の差じゃなくて、相手が未成年なのがそもそもまずい」


 今のご時世、公園のベンチでぼーっとしているだけで通報されるような時代だ。

 余計なリスクは事前に回避するに限る。


「愛があれば、問題ナッシング!」

「ないっての」


 彼女の容貌はとても魅力的だと思うが、性格の相性が多分、よくない。

 仮に彼女が同世代にいたとしても距離を取っていたことだろう。


「というかそもそも、向こうが僕みたいな地味で暗い男に興味を抱くわけないだろ」

「そう卑下すんなって。何回か接してみたら意外とイケたりするもんだぜ?」

「モテ男ならではの発言だね」

「俺の見立てでは、お前は服とか髪型とかちゃんとすれば結構イケると思ってる」

「慰めはいい。客観的に見ても、僕にイケてる要素は一つもない」


 断言すると、涼介はやれやれと両手のひらを上に向けた。


「まあいいや。とりあえず、今はあんま無理すんなよ?」


 そろそろ昼休みも終わる。

 さりげなく、涼介がポカリスエットを脇に置いてくれた。


「なにこれ」

「さっきコンビニ行ったついでに買ってきた!」

「いくら?」

「いいっていいってこのくらい、俺が勝手にやったことだし」


 財布を出そうする僕に、涼介が腕を伸ばす。


「……ありがとう」

「おう」


 手をひらひらさせながら、涼介は自分のデスクに戻って行った。

 彼がモテる秘訣はこういうところなんだろうなーと、他人事のように思う。


 涼介が去ってからしばらくノーパソをカタカタしていたが、やはりどうにも頭が重い。

 単純なタスクだけだったらなんとかなりそうだが、今日中に提出しなければならない計画書の作成は厳しいように思えた。

 

「わっ、望月くん、大丈夫? 顔すごい真っ赤じゃない!」

 

 振り向くと、上司の奥村 舞香まいかさんが口に手を当てて目を見開いていた。

 取引先から帰ってきたらしい。

 

 テーラードスーツに身を包んだ奥村さんはメガネの似合う美人で、仕事ができるキャリアウーマンという雰囲気をビンビンに醸し出している。

 実際、彼女は会社の中でも一目を置かれる存在で、齢28にして僕が所属する部署の責任者を勤めていた。


「お疲れ様です、奥村さん」

「お疲れさま。体調を崩したとは聞いてたけど、その様子じゃかなりしんどそうね」

「申し訳ございません、体調管理不足で」

「いいのいいの、気にしないで。私だってたまに体調崩しちゃう時あるし。しんどかったら、休んでも良かったのよ?」

「なんだか家でボーッとするのも落ち着かなくて」

「もう、ワーカーホリックじゃないんだから……頑張ってくれるのは嬉しいけど、無理をさせてまで働いて欲しいとは思わないわ」


 この会社に来て一番恵まれた事といえば、奥村さんが上司だった事だと思う。

 優しく面倒見も良く、おまけに美人という理想の上司っぷりだ。


「よし、じゃあ、望月くんが抱えてる案件は私が引き継ぐから、今日はもう上がっちゃいなさい」

「えっ? そんな、悪いです」

「いいからいいから、なんのために私がいると思ってんの」


 言うと、奥村さんはさっさと僕の打刻表を「退勤」に切り替えた。


「……なんか、申し訳ありません」

「いいのいいの、気にしないで。ちょうど今、手が空いているところだったし」


 嘘だと思った。

 上司である奥村さんとはgogle(ゴーグル)カレンダーを共有している。

 たしか、この後もびっちり打ち合わせやら取引やらが入っていたはずだ。


 とはいえ、それについてツッコミを入れられるほどの気概はない。

 今日は善意に甘えて、後日しっかりと成果をあげようと決意する。


「すみません……では、お先に上がらせていただきます」

「はーい、気をつけてね~!」


 奥村さんは溢れんばかりの笑顔で見送ってくれた。

 大人の女性特有の滲み出る色香に加えて時々見せる子供っぽさも、彼女が社内で人気である理由の一つである。

 未だに、奥村さんが独り身なのが不思議でたまらなかった。


 退社後、新宿駅から織田急線に乗って下北沢を目指す。

 その間にも、体調は悪くなる一方だった。

 電車内に立ち込めるむわっとした匂いに吐きそうになりながら駅に降り立つ。

 

 自宅であるマンションは駅から徒歩5分。

 感覚はふわふわしているくせにいつもより何倍も重い身体に鞭打って、なんとか自宅であるマンションまでたどり着く。


 ファミリー層向けに建てられた、ブラウンカラーの7階建てマンション。

 僕はここで一人暮らしをしている。


 エントランスのロックキーを回すことすら煩わしさを感じながら、自分の部屋がある5階へと向かう。

 ドアを開けて玄関にたどり着き、よく知った匂いを嗅覚が捉えた途端、張り詰めていた緊張感が緩んでその場に崩れ落ちた。


 熱と倦怠感が、全てに対するやる気を奪い去っていった。


 もうなにも考えたくない。


 吐く息は荒く、熱を持っている。

 玄関からベッドのある寝室までが果てしなく感じ、うつ伏せに倒れ込んだまま動けなくなった。


 しばらくここで休もうと、わずかな抵抗を続ける理性にとどめを刺す。


 こんな状態で無理に動くのは良くない。

 1時間ほど寝れば、少しは回復するだろう。

 半ば言い訳のように自分を納得させ、目を閉じる。


 ……そういえば風邪、引かなかっただろうか。

 

 意識が途切れる直前に脳裏をよぎったのは、雨に打たれたまま微笑を浮かべるお隣さんの顔だった。






 ──ピンポーン。


 無遠慮なインターホンが鳴ったのは、意識を手放してだいぶ経ってからだった。

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