第40話 彼女と図書館
思えばあの一言が原因で、土曜日の朝の10時に駅前の図書館に強制連行される羽目になるのだから、人生何が引き金になるかわからない。
今週の土日こそはゆっくりできるぞと楽しみにした分、僕の落胆は想像するに容易い。
とはいえここ最近は、毎週のようにどこかしら駆り出されているので以前ほどの抵抗感はない。
と言っても、このまま慣れすぎるのも良くないぞと、僕は自身を叱責する。
「よおし、頑張らないと!」
僕の危機感なぞどこ吹く風といった様子で、彼女はぎゅっと拳を握った。
パンパンに膨らんだリュックを背負い、開館時間ぴったしに来るあたりやる気の大きさが伺える。
対する僕の機嫌は斜めに向いていた。
休日の図書館は混雑するという情報を得た彼女に朝一で駆り出されてしまったのだから、無理はない。
部屋から一歩も動かんと駄々をこねていた足を引き摺りちゃんとついて来た僕を誰か褒めて欲しいものだ。
「というか、僕が来る必要あったの?」
言葉に棘を含ませて、彼女に尋ねる。
勉強するなら一人ですればいいのに、という裏の意図が伝わっているかどうかは定かではない。
「とーぜん!」
彼女は威勢の良い声とともにウィンクし、親指をこちらに向けてきた。
理由を問いただそうとして、やめた。
これ以上のやり取りは不毛であることは、過去の経験から想像するに容易い。
といっても、今回は図書館。
映画や高尾山と違って身体も精神も疲労することはないので、まだ許容できる範囲ではある。
「はやく入ろ!」
僕は大きなため息で応えた後、意気揚々と入館する彼女の後をついていった。
入ってすぐ、彼女は読書コーナーで二人分の席を確保した。
休日とはいえ、開館時間直後に僕たち以外の訪問者はいない。
一体誰と席取りをしているんだろうと不思議に思った。
聞くと、彼女は「時間と勝負してるの」と訳のわからない返答を寄越してきたので、深くは聞かないことにした。
彼女はピクニックに来たようなテンションでノートと教科書を開き、そのままカリカリとシャーペンを走らせ勉学の世界へと飛び立って行った。
ひとりポツンと残された僕は、素直な想いを心の中で呟く。
絶対来る必要なかっただろ、これ。
音もなく帰ろうかと思った。
とはいえ、せっかく来て何もせず帰るというのも徒労感極まりない。
図書館に来るまでに消費したエネルギー分は何かを得ようという合理精神が働き、加えて、久しぶりに踏み入れた図書館の空気に本好きの血が疼いて文庫本コーナーに足を向けた。
紙と埃の匂いに満ちたスペースで文庫本を物色していると、幸運なことに書店では在庫切れで入手できなかった本を発見した。
その一冊を手に取り、読書スペースに戻る。
珍しく真剣な面持ちでノートと睨めっこする彼女の対面に座り、本を開いた。
本は静かな自室でゆっくりと読むのが基本スタイルだが、たまには違う雰囲気で楽しむのも悪くない。
最近は騒がしい彼女の傍らで読書をしているためか、ある程度の雑音があっても読書に集中できるようになっていた。
微かな雑音、ペン先が紙と擦れる音、ページを捲る音。
適度なノイズは、僕の意識を文字の世界に深く誘ってくれた。
しばらく読み進める。
……ふと視線を感じ顔を上げると、彼女がシャーペンを止めてこちらを見ていた。
まるで、子猫がカリカリを頬張る様子を眺めるかのように。
「なに?」
「ううん、楽しそうに読むなーって」
彼女が嬉しそうに口角を上げる。
「そんな顔してるつもりはないんだけど」
「してるよー。君、意外と顔に出やすいし」
「前にも似たようなこと言ってたね」
「ご飯食べてる時でしょ? ほんと美味しそうに食べるから作りがいがあるんだよねー」
「君ほどではないけど」
「わーい、褒められた」
「褒めてない」
彼女は机に上半身を預け、のびーんと腕を伸ばす。
僕は呆れて息を追い出した。
「もう飽きたの」
「お、すごいじゃん君、エスパーの素質あるよ」
「エスパーに失礼だよ。まだ30分も経っていないんだけど」
「ちょっと休憩っ」
「だめ、せめてあと30分は頑張りなよ」
「えええー、厳しいー」
「僕的には最高の場所を紹介したのに、全然捗りませんでしたじゃ悲惨でしょ」
渋々ながらも、彼女は僕の言葉に従いシャーペンをカリカリさせる作業に戻った。
ひとときの平穏が戻ってきたので、僕も読書を再開する。
願わくばこのままやる気スイッチが発動して、3時間くらいノートに噛り付いて欲しいものだと思う。
もちろんそれは儚い願いで、彼女はぴったり30分後シャーペンを放り投げた。
「本当に続かないね」
「私、気づいたかもしれない」
「全然期待せずに聞いてあげるけど、なに?」
「私、一人じゃないと集中できないかも」
「お望み通り帰ってあげるよ」
「わー待って待って」
立とうとする僕の腕を彼女が慌てて掴む。
そのまま帰ろうとすると彼女が騒ぎ立てられそうな勢いだったので、やむ無く椅子に座り直す。
「このまま僕が帰った方が、君の勉強は捗ると思うんだけど」
文句のつけようの無い意見を具申してやる。
彼女はふるふると首を振った。
「勉強はもういいかな。せっかく望月くんがいるのに、その時間を勉強なんかに使っちゃもったいないと思うの!」
「なんかロクでもない大義名分に使われてる気がしてならないんだけど、大丈夫?」
「ねえねえ、前言ってた望月くんオススメの本、ここにあるかなっ?」
「スルーかい」
水を得た魚になった彼女に勉強を再開する気配はない。
まあ別に、彼女がテストで好結果を出そうが爆死しようがどっちでもいいので、これ以上強要する気もない。
「結構大きな図書館だし、あるんじゃないかな」
「よし、じゃあ探しに行こ!」
「なんで僕まで」
袖口を摘まれ、文庫本コーナーへ引っ張られていく。
以前彼女に勧めた本はライトノベル。
書店であればそれ専用のコーナーがあったりして見つけやすいのだが、図書館では一般の文庫本に混じっている場合が多い。
しかもここは、区の中でもかなり大きめの図書館。
僕と彼女は手分けして探すことにした。
「こうして眺めてみると、いろんなタイトルがあって面白いねー」
後ろで、文庫本を出し入れする音が聞こえてくる。
先ほどから数多あるタイトルに視線を這わせ目当ての本を懸命に探す僕に対し、彼女は気になった本を抜いてはあらすじを確認しているらしい。
仕事をしない図書委員って、こんな感じなんだろうか。
「真面目に探しなよ。こっちの棚はもう見終わりそうなんだけど」
「はや! さてはタイトルを見ているだけだな?」
「それが本来の正しい本の探し方だと思う」
「ただ探してちゃつまんないじゃん。単純作業の中でこそ楽しまなきゃ!」
「わざわざ楽しもうとするくらいなら、通販とかで買えばいいのに」
通販でなくとも、係員さんに聞くなり館内検索をかけるなりして早く見つける方法はいくらでもあったはず。
それらの提案を全て無視しアナログな手段に興じる彼女の意図が読めなかった。
ちっちっちと、聞いていてあまり愉快ではない短音が背中に当たる。
目だけ後ろに向けると、彼女はドヤさと言わんばかりの笑顔を浮かべて言った。
「こういうのはたくさん寄り道しなきゃ。その途中で、探し物以上のお宝が見つかるかもしれないじゃん?」
その言葉からは、彼女が持つ価値観の一端が見て取れた。
僕には理解できなかったが、かといって否定するつもりもない。
「そんな非効率なこと言ってたら、見つかるまでに日が暮れる」
ただ懸念事項だけを口にすると、彼女がぷくりと頬を膨らませた。
「んもー、たまには非効率でいいじゃん、仕事じゃないんだし」
「人生は短いんだから、効率良くいかないと」
言うと、彼女はつまんなそうに口を尖らせた後、何か思いついたようにパッと表情を明るくした。
「じゃあさじゃあさ! 私は私の探し方、望月くんは望月くんの探し方で、どっちが先に見つけられるか勝負しない?」
「ほう、やけに無謀な挑戦をしてくるもんだね」
「無謀かどうかは蓋を開けて見ないとわからないよ?」
「勝負は見えてるよ。僕のやり方のほうが圧倒的に数をこなせる。確率論的には、僕が見つける方が速い」
「ふふふん、その自信、いつまで持つかな?」
彼女が不敵に笑う。
その表情の裏には、彼女の根拠のない自信の大きさが伺えた。
そんなもの、確率論の前では無力である。
よっぽどのことがない限り、彼女が先に見つけることはないだろう。
「よーい、どん!」
彼女の掛け声とともに、脳にエネルギーを行き渡せる。
視覚を研ぎ澄ませ、全神経を本棚のタイトルに集中させ──。
「あった!」
「嘘でしょ」
振り向くと、彼女の手には確かにお目当ての本が握られていた。
彼女のしてやった感のある表情を確認して、僕はあらかた察する。
「勝負を吹っかける前に、もう見つけてたでしょ?」
言葉に確信を乗せて尋ねると、彼女は表情を得意満面にした。
「ふふーん、それも含めて勝負だよ」
やられた、と思った。
普段はノリと勢いで何も考えていないように見えるが、時たま彼女は妙な策士っぷりを発揮する。
己の思考の浅はかさを悔いた。
とはいえ、そこまで不快な感じはしない。
むしろ、予想を超えたアクションを取られて感心すらしている自分がいた。
「うん、凄いね、気づかなかった」
「およ、意外と素直?」
「たまにはね」
言うと、調子に乗った彼女が戦利品をほれほれと目前で揺らしてきた。
流石にイラっときたので、僕は無言で小説コーナーを後にした。
彼女が上機嫌にステップを踏むのが、後ろから聞こえてくる鼻唄と足音でわかる。
読書コーナーに戻ってきた後は、ふたりして読書に耽った。
僕はいつも通りだが、彼女が文庫本を手に机に座っている姿はなんともレア感がある。
僕が勧めた作品は、VRMMO(仮想現実)のファンタジーを舞台にした冒険もの。
中学生から大人まで幅広い層の支持を集め、コミカライズ化からアニメ化劇場化まで果たした大ベストセラー作品だ。
ライトノベルの中ではトップクラスの人気を誇るとはいえ、本の99%は文字だけで構成されている。
彼女のことだから30分もしないうちに本を放り投げ、やっぱり漫画が良いー的なことを言い出すんだろうなと思っていた。
違った。
意外なことに彼女は、読書に熱中していた。
最初のうちは意識半分といった表情も、今や真剣そのもの。
僕は明日、大地震に見舞われるのではないかという不安すら感じた。
そのせいで、自分の読んでいた本はちっとも先に進まなかった。
黙って本を読んでりゃ流麗な文学少女にしか見えない彼女。
普段とのギャップに、つい見惚れてしまう自分がいた。
彼女が本に熱中してくれていてよかったと思う。
徐々に入館する人も増えてきた。
そろそろお昼時に差し掛かろうとした途端、対面からお腹の虫の悲鳴が聞こえてきた。
「おなかへった」
彼女がいつもよりも気の抜けた声で意思表示する。
慣れない読書でエネルギーを消耗したのだろうか。
「どっか食べに行く?」
聞くと、彼女はすぐ現実に舞い戻ってきて目を輝かせた。
「行きたい! でも……」
彼女が名残惜しそうに本を見やる。
ページはあまり進んでいなかった。
普段読まない分、仕方があるまい。
「続きが気になるなら、借りていけばいい」
僕もそうしようと思っていたところだ。
彼女がぽんと手を打つ。
「そっか! ここ、図書館だもんね」
「図書カードは?」
「持ってなーい」
「じゃあ作らないと」
僕はすでに作ってあったので、彼女を申し込み用紙の置いてあるブースへ誘導し、必要事項を記入するよう促した。
「やー、望月くんがいてくれて助かったよー」
「取ってつけた感がすごい」
「本心だよ?」
彼女がニヒルな笑みを浮かべる。
「どうだか」
「ほんとだってー」
「いいから、早く書きなよ」
彼女は「はーい」とおちょくるように言って、ボールペンを走らせ始めた。
「あれ、今年ってもう令和だっけ?」
軽快に走っていたボールペンがピタリと止まる。
「5月から、そうだね」
「あちゃー、間違えて平成31年って書いちゃった」
「別に大丈夫じゃない? 二重線で消せばいい」
「ううっ、こういう真面目な紙に二重線引くの、すごく緊張する……」
「大袈裟だよ。死ぬもんじゃあるまいし」
言ったものの、彼女は腕をぷるぷるとさせてボールペンを走らせた。
すると、彼女が吹き出した。
「あははっ、見て見て! 震えすぎて毛虫みたいになっちゃった!」
可笑しそうに用紙を見せてくる彼女。
確かに、真横に引かれたはずの二重線は歪な波線を描いていて──。
──その時、無意識に視線が横に流れた。
丸みを帯びた可愛らしい字に混じって見えてしまう、彼女の個人情報。
生年月日欄に記された日にちは、11月16日。
彼女の誕生日が、1週間後に迫っている事を意味していた。
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