第39話 彼女とテスト勉強



「今日の夜ご飯はハンバーガーだよ!」


 彼女が放った威勢の良い一言に、僕は家でハンバーガーなんて珍しいなと思った。

 夕食が始まって、彼女がハンバーガーを献立にした理由が判明した。


「試験でも近いの?」

「そー。来週中間テストがあってさー」


 右手にはハンバーガー、左手には英単語帳。

 行儀が悪いと怒られそうなスタイルでバーガーを齧りつつ、かったるそうに語尾を伸ばす彼女。

 その姿に対し、僕は純粋な疑問を投げかけた。


「集中できるの、それ?」

「ぜんぜん!」


 彼女はぶんぶんと首を横に振って、英単語帳をぽーいとソファに放り投げた。

 もはや、セカンドハウス気分が板についてきた遠慮のなさである。


「なんでやったの」

「できるかなーって思って」

「まあ、君には難しいだろうね」

「なんでそう思うのよぅー」

「常に集中力が散漫してそうだから」

「よくわかってるじゃない」


 皮肉のつもりで言ったのに、彼女は愉快そうに笑った。

 僕は少しだけ不愉快になる。


「望月くんはできるの?」

「マルチタスクは得意」

「ちぇー、これだから頭のいい人は」

「良くないし、最初からできていたわけじゃないよ。片方は無意識に行いながら、もう片方には意識を向ける練習をしただけ」

「へええ!! それって、できるまでどれくらいかかった?」

「1年くらい?」

「うぇっ……マルチタスカーの道のりは長い」


 早々に匙を投げた彼女は哀愁漂う顔をして、両手で持ち直したバーガーに歯を立てた。

 手作りバーガーはアメリカンなサイズで、彼女がそれに齧り付く様子はとても絵になった。

 彼女自身の素材が良すぎるもんだから、バーガーチェーンのサイネージなんかに登用しても遜色ない見栄えだと思う。


「というか、そもそもご飯中に勉強しなくてもいいんじゃない?」


 言って、僕もバーガーに齧り付く。


 肉汁が口の中でジュワッと広がり、チーズのコクとトマトのフレッシュさが合わさって複雑な旨味を演出した。

 自家製の照り焼きタレは甘く、さっぱりとしたマヨネーズとの相性も抜群で、ジャンキーながらも重くない味付け。

 言うまでもなく、チェーン店では決して味わえないクオリティである。


 こんなに美味しいものを片手間で消費するのはもったいないと思った。

 そういう意図で言ったのだけど。


「だってご飯以外の時間に勉強したら、望月くんと一緒にいる時間が無くなっちゃうじゃーん」


 彼女が予想外なことを口にするもんだから、喉にパンが詰まりそうになった。

 即座に水を煽ってことなきを得る。

 肺に酸素が問題なく行き渡ることを確認してから、僕は尋ねた。


「いきなりなに」

「え? そりゃあ、楽しい時間は長いほうがいいでしょ?」 

「……ああ、そゆこと」

「んんんー? 一体何を想像したのかなぁー? んんー?」


 ニヤニヤとムカつく笑みを浮かべていることは容易に想像できたので、意地でも彼女の顔を見ない。


「そう言えば君は文系? 理系?」

「んー? えっ」


 僕が思い切り会話の舵を切ってやったからか、彼女が炭酸の気が抜けたような声を漏らした。

 少しだけ愉快な気分になる。


「どっちに見える?」


 むふふーと挑戦的な笑みを浮かべて答えを待つ彼女に対し、僕は率直なイメージを口にする。


「文系?」

「はいざんねーん!」


 バーガーを投げつけてやろうかと思ったが、食べ物を粗末にするのは良くないのでグッと我慢した。

 手に持っていたのが手毬だったとしても投げつけなかったと思うけど。


「意外だね」

「そう? 超論理的だと思うんだけど私!」

「ギャグで言ってる?」

「むむ? さては信じてないな?」


 形の良い唇を尖らせ、おどけたように言う彼女。


「君から論理的な解を得ることは無に等しいし」

「そりゃあ、勉強以外はノリと勢いを大事にしてるから」

「論理的な受け答えも大事にしてほしいよ」

「会話にまで論理を混入したらつまんなくなるじゃん。楽しまないと、人生を!」

「急にスケールが壮大になったね」

「望月くんは高校の時、理系だった?」

「文系」

「えっ、そうなの!?」


 予想外の回答だったのか、彼女は全体未聞のニュースを耳にしたみたいなリアクションを見せた。

 一応、補足をしておく。


「高校まで文系で、大学に入ってから自分が理系の頭をしていることに気づいた」

「へええっ、それこそ意外! 数学とか得意そうなのに」

「興味があれば得意だったんだと思う。物理も、化学も」

「興味無かったの?」

「1ミリも。興味がないものに頭を使うのも面倒だったから、暗記科目を選択した」

「なるほどー。確かに、考え方は理系だねえー」


 まるでお揃いとでも言うように、彼女は声に弾みをつけた。

 同意はしなかった。


 夕食後、彼女は勉強を再開した。

 テレビもつけず、英単語帳と睨めっこする彼女の姿はとても新鮮に感じられた。


 こういう姿を見ると、彼女がまだ高校生であることを再認識する。

 同時に、自分がもう制服を着るような年齢では無いことも。

 英単語帳なんて、かれこれ3年も開いていない。

 自分にもこんな時期があったんだと思うと、どこか懐かしい気持ちになった。

 

「望月くんって、大学でなに勉強してたの?」


 勉強に飽きたのか、いつもの軽い調子で彼女が訊いてきた。


「知っても面白くないよ」

「面白くなくてもいいの」


 少し躊躇して、僕は答える。


「法律と経済」

「ホントだ、超文系」


 彼女がまた、意外そうに目を丸める。

 

「今やってる仕事は確か、ITだっけ?」

「まあ、一応」

「法律と経済要素は何処へ」

「大学入学時に、なりたいものが明確じゃなかったらこうなる。新卒で自分の興味のない業種に飛び込まなかっただけ良かったと思ってる」

「ふうん、確かに」


 彼女が感心したように何度も頷く。


「だから言ったでしょ、面白くないって」

「ううん、すごく参考になった!」

「そうかい。ちなみに君は、進路はどうするつもりなの?」


 ふと気になって訊いてみる。

 すると彼女は、わからない問題を当てられた時みたいに困った表情をした。


「まだなにも考えてないんだよねー」


 両手のひらを上に向け、やれやれと困ったポーズをする彼女。

 心の底からは困ってないんだろうなと思った。


「とりあえず、選択肢が多いからって担任に勧められて理系に進んだけど、明確にはさっぱり」

「やりたいことがわからないのか、やりたいことが多くて目移りしているのか」

「後者かなー。この仕事、私向いてるんだろうなー、やりたいなーってのはたくさんあるんだけど、一つに絞るってなったら選べないんだよねえ」

「贅沢な悩みだね」

「いっそ身体が100個あればいいのに!」

「君の身体が一つでよかったよ」


 彼女一人だけでも相手が大変なのに、100人になんてなった日にはもう手に負えないだろう。

 

「というか、君はまだ深く考える歳でもないでしょ。とりあえず就職するか大学行くかだけ決めて、その先はあとで決めたらいい」 

「そうだねぇ」


 彼女自身、喫緊で焦っていると言うわけでもあるまい。

 雰囲気からわかる。


「とはいえ、勉強はしないとだね!」


 彼女が胸の前でグッと拳を握る。


「意識が高いのは良いことだね」

「というわけで、どっかいい勉強場所とか知らない?」

「なにが、というわけなの。自分の部屋でやればいいでしょ」

「私、部屋だとおやすみモードに入っちゃうから勉強が捗らないんだよねー」

「無音状態だと集中できない人?」

「それはあるかも! ちょっと雑音が入ってるくらいがちょうどいい」

「じゃあ……」


 ふと思いついた公共施設の名を、なんとなく口にする。

 

「図書館、とか?」


 口にして、3秒で後悔した。


「それ、いい!!」


 彼女が身を乗り出し瞳をキラキラと輝かせた。


 お気に召したようで何よりだと思う反面、これはまた面倒なことになったかも知れないと、彼女と接している間に養われた勘が反応した。

 

 その勘は、正しかった。

 

「明日、図書館行ってみたい!」


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