第116話 覚悟

「おかえり、おさくん」


 おっとりとした高めの声。

 小柄な女性が、到着口で出迎えてくれた。


「ただいま」


 短く返すと、女性──母親は嬉しそうに表情を明るくする。


 顔立ちは幼く体躯は小柄、ブラウンカラーの髪に、へにゃりとした優しげな瞳。


 最後に会った3ヶ月前と、なんら変わっていない母親の姿がそこにあった。


「おさくん、ちょっと太った?」

「久しぶりに会った息子に言うセリフ第3位くらいのが来たね。……まあ、標準体重くらいにはなったかな?」


 どこぞの食いしん坊さんのおかげで。


「ふふっ、日和ちゃんと仲良くやっているようで、なによりだわ」

「さっきの返答でそこまで行き着くの凄い」


 大正解だけど。


 二言三言交わしてから、上京前に何千回とお世話になった車に乗り込む。

 母親の運転する軽四の車窓から、ぼんやりと景色を眺める。


 僕の地元は、県庁所在地の隣にある人口10万人ほどの地方都市だ。

 県内の市町村の中でも、まだ都会寄りの田舎といっていい。


 特筆すべき点は自然が豊かで海産物が美味しいくらいで、言い方はアレだが、存在感は薄い。


 人口もじわじわゆっくりと減っているらしく、市町村合併される日もそう遠くないかもしれない。

 長年生まれ育った郷土が緩やかに死んでいってる感じがして、胸に少しばかり寂しい風が吹いた。


「どう? 久しぶりの故郷は?」

「相変わらず、なんもない」


 端的な感想を述べる。

 僕が20年間、抱き続けていた感想だ。


「東京に居た分、余計に感じてるんじゃない?」

「それはあるだろうね。山が見えるのが、すごく新鮮だよ」


 ふと、記憶が呼び起こされて尋ねる。


「母さんって確か、高校卒業して東京に出ようとしたとかなんとか、言ってなかったっけ」

「あら、よく覚えてるじゃない」


 意外そうに言った後、懐かしいわねーと眼を細める母親。


「私も若い時は、おさくんみたいに都会に憧れていたものよ〜」

「なんで出なかったの?」


 前回聞いた時は、その問いを投げかけなかった。

 興味が、無かったから。


 僕の問いに、母親はふっと口元を緩ませて、


「簡単なことよ〜。東京よりも、ここに居たい、そう思ったから」

「なるほど」


 都会への憧れに地元愛が勝利した結果なんだろうなと、思った。


 それ以上、その話は膨らまなかった。


「まずは大学?」

「うん。諸々の書類を取ってくる」


 空港から車で1時間ほどかけて、大学へ。


 おおよそ一年ぶりとなる大学のキャンパスは、思った以上に懐かしさはなかった。

 実はこの1年間の出来事は全部幻で昨日も普通に通っていた、そう言われても、そこまで驚かない自信があるほどに。


 それほどまでに、休学していた1年は自分のそれ以前の人生に比べて激動で、現実感がなかったのかもしれない。


 キャンパス内を歩く。

 確か今の時期は後期の試験期間が終わって、大半の学生は地元に帰るか家に引き篭っているはずだ。


 風に揺れる草葉の音が妙に大きく聞こえる。

 なぜだが、胸はそわそわしていた。


 まるで、今ここに自分が存在している事が間違いかのような、違和感。

 自分がこの大学に所属していた事すら、疑ってしまうほどに。


 そんなことはなく、学務科で自分の学籍番号を告げると、しっかりと休学扱いになっていた事が証明された。

 要件を口にすると、諸々の書類を受け渡してくれる。


 学務科で書類を取ってきてから、再び車に乗り込む。

 大学から家までは10分ほど。


 すぐに、見慣れたクリーム色の一戸建てに辿り着いた。


「ただいま」

「ただいま〜。ハルくーん、おさくん帰ってきたわよー」


 懐かしい匂いのする我が家の玄関。

 靴を脱ぎ、リビングに足を踏み入れると、親父が新聞紙を両手に広げて読んでいた。


 身長は僕と同じくらい。

 体格はほっそりしているが、不健康感はない。

 実年齢よりも若い顔立ちには縁なしのメガネをかけている。


「帰ったか」

 

 新聞紙を閉じる音とともに、短く、平坦な声。

 威圧感があるわけでも、喜んでいるわけでもないその声を聞いた途端、身体によくわからない緊張が走った。


「うん、ただいま」


 僕も同じような声で返した。

 まるで、壁にボールを打ったら全く同じスピードで返ってきたかのようなやりとり。


 そのやりとりを最後に、親父は僕への関心を無くしたかのようにまた、新聞紙を読み始めた。


 相変わらずである、この父親は。


「ハルくん、おさくんと会うの久々でどう接していいかわからない、って顔してる」

「うむ、よくわかったな。流石は明美」

「わあい、褒められたっ。ハルくん、とってもわかりやすいもの〜」

「相変わらずだね、ほんと」


 無機質なロボットを彷彿とさせる親父だが、感情が表に出すのが下手なだけで、しっかりと人情のある人である。

 ……大昔はガチモンのロボット気質だったらしいが、母親との出会いで少しずつ変わっていったとかなんとか。


 昔、お酒の席で母に惚気られたような記憶がある。


 そんな父親の気質が、そのまま遺伝情報としてコピペされたと、僕は勝手に思っている。

 

 朗らかに話しかける母親と、それに淡々と返す父親。

 どこかこの関係に既視感を覚えるのは、気のせいではあるまい。


 それを尻目に荷物を諸々片付けてから、大学で受け取った書類を手に、親父の対面に座る。

 親父と隣には、まるで流れを読んでいたかのように母親も座っていた。


 いつの間にか新聞紙をどこかへ仕舞った父親が、口を開く。


「して、治よ。大学は」

「父さん、話がある」


 言われる前に先手を打った。


 今日は、これを言いにきたんだと。


 ぎゅっと、膝の上に置いた拳を握りしめる。

 喉がカラカラになるような感覚。


 大丈夫だ、冷静になれ。

 緊張という感情と、理性を分離させるのは得意だ。


 そう、自分に言い聞かせる。


 脳裏に一瞬、日和の笑顔が浮かんだ。


 覚悟が据わる。


 父親の目を見据え、僕は、はっきりと伝えた。


「大学を、辞めさせてほしい」

 

 リビングに漂っていた空気が、変わった。


 それをひしひしと感じつつも、書類を机の上に出す。


 クリアファイルに包まれた書類には、こう書かれていた。


 『退学届』と。

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