第101話 日和とデート①


「みてみて治くん!」


 窓の外を差す日和の人差し指を辿る。

 レインボーブリッジと港区の高層ビル群を背景にそびえ立つ、空に松明(たいまつ)を掲げる石像が目に入った。


「自由の女神だね」

「ねっ、久しぶりに見た!」

「前見たのはニューヨークで?」

「まっさかー! 去年、ゆーみんと一緒にここで!」 

「だよね」


 2月7日、土曜日のランチタイム。

 僕と日和は、お台場の大型商業施設、アクーアシティにあるパスタ屋さんに来ていた。


「というか、なんでお台場に自由の女神?」


 日和がこてりんと、首をかしげる。


「えーと」


 頭の引き出しから記憶を引っ張り出す。

 データの参照に、いつもより時間がかかった。


「元々あそこには……20年くらい前かな? フランスからやってきた自由の女神が一時的に展示されていて」

「ええっ、フランスにも自由の女神があったの!?」

「うん、アメリカの自由の女神はフランスが贈ったもので、そのお返しとして、アメリカもフランスに贈ったとか」

「へえええなるほど……で、フランスの女神ちゃんが日本に来て、あそこに展示されてたってこと?」

「女神ちゃんて。うん、そういうこと」

「すごい! 相変わらず物知り!」


 ふんふんと荒く鼻を鳴らし、きらきらと輝く瞳を向けてくる日和。


 ほっと、静かに息を吐き出した。

 これに関しては事前サーチの賜物である。

 

「あれ? でも、フランスの女神ちゃんの展示は期間限定だったんだよね?」

「えーと、展示期間が終わってから、女神像はフランスに帰っちゃったんだけど、そのあとたくさんの人から強い要望があったらしくて」

「女神ちゃん最高だった! やっぱりお台場にも女神ちゃん欲しい! 的な?」

「そんなノリだったかはわからないけど……とにかくその要望に応えた日本の企業がレプリカを制作したのが」

「あの女神ちゃんってことね!」

「そう」

「なるほどお……あの女神ちゃんは、人々の愛の賜物なんだねえ」


 頭の中で壮大なドラマを繰り広げているのだろうか。


 頬に手を当て、うっとりとした様子で女神像を眺める日和。


 その端正な横顔を目にして、肌の面がぴんと張り詰める。


 ──この子に今日、告白をするのか。


 長い時間をかけて自覚した自分の気持ちを、日和に伝える。


 今日がその日だ。


 再度認識すると、口の中から水分が引いていった。


 デートプランを何度も練り直し、混雑が予想される店や施設は全て予約し、その場その場で日和が思いつきそうな話題は出来る限りサーチした。

 先ほどの自由の女神が、その例である。


 ちょっとガチガチに固めすぎたかと思ったけど、僕にはこのくらいの方が良かったと思う。


 甲斐あってか、気持ちは安定していた。


 芝生に寝転んで陽光を浴びてる時ほどではないけど、ゆったりめのパジャマを着て読書をしている時くらいには余裕があった。


 メインは告白だけど、まずは今日1日、デートを目一杯楽しもう。


 そんな心構えである。


「んぅ? どーしたの?」


 視線に気づいた日和が、にぱっと笑って首を倒す。


「や、別に……楽しそうだなーって」

「そりゃもちろん! 望月くんがリードしてくれる初めてのデートだもん」


 足でリズムを刻んでいた日和が、ばっと両手を広げて、


「今日というこの日をどれだけ楽しみにしていたことか!」

「あまり、ハードル上げないでくれると助かる」


 苦笑を浮かべながら言うと、日和はすずめが小躍りするような笑顔を浮かべて胸を叩いた。


「大丈夫、治くんと一緒だったら何処だって、なにがあったって楽しいから!」


 どくん。

 心臓が飛び上がって、顔に血が集結する。


 唾を呑み込むと同時に、両眉を寄せた日和がずいっと顔を近づけてきた。


「どしたの、顔赤いよ?」 


 甘い匂い。


 二段階構えの不意打ち勘弁してくれと、以前の僕ならぷいっと顔を逸らしていたことだろう。


 しかし、この現象が起こるのはひとえに、僕が日和のことを好きだからだ。


 鼓動が速くなるのも。

 顔が熱くなるのも。

 どちらもその証だと思うと、不思議と身体が軽くなった。


 なんて説明できるわけもないので、誤魔化す。


「……暖房が効きすぎてるのかな、このお店」

「お待たせ致しましたー、赤いパスタと、白いパスタになりますー」


 店員さんが僕に助け舟を渡してくれたようなタイミングで、注文の品がやってきた。


「わーー! 美味しそうー!!」


 パスタというよりラーメンでは? 

 とツッコミたくなるほど深い器がテーブルに置かれると、日和は手足を広げて自分のスペースを大きくした。


「すごい! こんなパスタ、初めて!」


 日和の頼んだ品は『赤いパスタの特盛り』

 名の通り、トマトと唐辛子ベースの赤いスープパスタで、この店一番人気のメニューだ。

 ビジュアルが一瞬、先日僕の胃袋を蹂躙した赤い悪魔に重なり身震いしたけど、ここはパスタ屋さんである事を思い出し、胸を撫で下ろす。


「うん、これは絶対に美味しいやつ」


 対して僕が頼んだのは『白いパスタの大盛り』

 こちらも名の通り、生クリームと魚介ダシベースの白いスープパスタで、この店二番人気のメニューであった。


「はい」

「ありがとっ」


 お子様ランチを前にした子供のようにはしゃぐ日和にフォークとスプーンを手渡す。


「いただきます!!」

「いただきます」


 まずはスープから一口。


「うん、美味しい」


 ミルクとあさりのダシが混じり合ったホワイトスープは後引く味で、そのままスプーンで何杯も口にしてしまう。

 意識すると、ほんのり生クリームの甘みやブイヨンの酸味も感じられた。

 続いてパスタを持ち上げ口に運ぶと、程よいコシとすすり心地の良い麺がスープと絡み合って大変美味だった。


「んぅー、美味しい!!」


 日和もたいそう気に入ったらしく、特盛りサイズの赤パスタをずぞずぞと掃除機のように食している。

 もはやお馴染みとなった光景に、ある種の安心感すら覚えていた。

 ブラックホールについて考えなくなったのは、いつ頃だろうか。


「日和にしては珍しく、王道なメニューにしたんだね」


 ふと頭に浮かんで口にすると、日和はぴたっと手を止め、少し天井を眺めてから言った。


「これがこのお店の看板メニューなんでしょう? じゃあそれ食べたらまず間違いないと思って!」

「僕がよくする判断だ」

「あ、言われてみると確かに!」


 むふむふと、日和が赤らんだ頬に手を当てる。


「いやあー、治くんにばっちり影響されちゃってるねー」

「日和だけじゃないけどね」


 言うと、日和は何かに気づいたようにハッとした。


「ほんとだ! 治くんも珍しく、一番人気じゃないね!」

「ちょっと外してみるのも良いと思って」


 日和みたいに冒険的なメニューではないけども。

 一番人気ではなく二番人気を自発的に選択したことは、僕にとって大きな変化、なのかもしれない。


 感慨に耽っている間に、日和は表情のにこにこを一層深いものにしていた。


「なに?」

「んーん、なんでも! ねね、せっかくだからシェアしようよ!」

「いいよ」


 今日は二番人気を選択したが、一番人気への関心は大きい。


 白いパスタを日和の方へ送ると、入れ替わりで赤いパスタがやってくる。


 トマトの唐辛子の香りがふわりと漂ってきて、思わず天を仰いだ。

 これも絶対美味しいやつだと、確信を深める。


 早速、スープの味を確かめようとスプーンを手に取ってから──お互いのスプーンを取り替えていなかったことに気づく。


 このまま気にせず……という選択は取れず、固まってしまった。


 視線が彷徨う。

 水の中でもないのに息を止める。


 どうして、いや、わかってる、意識しちゃってるのだ。


 間接的とはいえ好きな人と口を触れ合わせることに、顔から火が出そうなくらい気恥ずかしさを感じていた。


 ……ふと、以前にも似たようなシチュエーションで、同じ感覚を抱いていたことを思い出す。

 母が東京に来ていた時、日和と一緒に行ったタピオカのお店。


 日和が注文したタピオカのストローに口をつけることを、僕は躊躇していた。

 

 まさか、あの時にはもう、僕はすでに……。


「ね、ねえ」


 控えめな声がして、顔を上げる。


 日和が僕と同じように、スプーンを手にして、ちらちらとこちらに視線を寄越していた。


「これ、かんせつキス……に、なっちゃうねー……」


 言ってから日和は、ハッと息を吸い込んだ。

 「さっき、なんて言ったの私」的な表情。


「……こういうので騒ぐのは、中学生までだったんじゃ?」 


 僕も謎のテンパリから余計なことを思い出してしまった上に、余計なことを口走ってしまった。

 「なんてことを言うんだ僕は」的な表情を浮かべているに違いない。


「でも、ほら、さ……」


 赤いパスタと同じ色の頬。

 上擦った声。


「……ね?」


 首を少しだけ横に倒し、伺うような視線を向けてくる日和。


 その仕草、表情のあどけなさ、可憐さに、胸奥の熱源が更に大きくなる。


 双方、無言のまま、10秒ほど過ぎた。


 先に理性を回復させた僕が、口を開く。


「……取り替えるか」

「……うん、ありがと」


 ぎこちない動作で、お互いのスプーンとフォークを交換する。


 取り替えてから、何も言わず、正確には何も言えず、赤いスープを一口。


 本来であればピリリと辛味を感じるメニューのはずが……どうしたことか、あんまり味がしなかった。

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