第24話 彼女とスープカレー


 店に入るなり彼女はデパートに連れてこられた幼子のようなはしゃぎっぷりを披露した。


 どうやら店の内装デザインが、彼女の好みにどハマりだったらしい。

 木を基調とした店内は自然の体温を感じさせ、山奥にひっそりと建てられた別荘のように静かで落ち着きがあった。

 壁には昭和テイストのポスターが貼られており、天井にはアンティークなランプ。


 さながら、文明開化の直後に開店したのカフェのような佇まいだった。


 注文を終えた後も、彼女の高揚は維持されたままだった。

 いつも通りといえばいつも通りなのだが、今日はいっそう機嫌が良い。

 猫にマタタビを与えたら、こんな感じになるのだろうか。


「内装だけでよくそんなにテンションをあげられるね」

「だって可愛いじゃん!」

「君ら女の子は何かとつけて可愛い可愛い言うけど、あれなんなの」


 訊くと、彼女は口をぽかんと開けた。

 考えたこともなかったと言わんばかりに。

 彼女は人差し指を顎に当てたあと、多分これが正解かなーくらいのテンションで口を開いた。


「合図、かな?」

「合図?」

「そっ、共感して欲しいっていう」

「共感される事のなにがいいの?」

「共感されるとねぇ、なんだか嬉しいの。通じ合ってるなーって感じがして」

「あー」

 

 そういえば何かの本で、女性は男性よりも共感を求める生き物だと記されていたような気がする。

 僕の興味は急速に薄れていった。

 

「僕にはわかりそうにない感覚だ」

「ふふっ、正直でよろしい」

「なんで嬉しそうなの」

「私、思ってもないのに共感した風なこと言う人、苦手なんだよねぇ。そう思ってないなら同調しなきゃいいのにと思う」

「女の子のグループには見えない圧力があるみたいだから、仕方がないんじゃない?」

「女子も男子も限らずだよー。いっつも、私に思ってもいない共感をしてくるの」

「ああ」


 彼女に気に入られようと、とりあえず同調しておく輩が多いということか。

 確かに彼女ほどのルックスだと、お近づきになりたいと会話を合わせてくる民も多いだろう。


 その事に、彼女は辟易しているらしい。


「ゆーみんはそういうのしないタイプだから、すごく仲が良いの!」

「ああ、この前ビュッフェに居た」

「そう、あの子!」


 彼女とは対照的に、背が低くて物静かな女の子のことを思い起こす。

 顔はよく思い出せなかった。


「……なに?」


 彼女がテーブルに肘をつけ嬉しそうにこちらを見つめてきた。


「望月くんもそうだよ? 全然取り繕わないからさ、良き良き!」

「買い被りすぎだよ」


 水を一口含んで、「まあ」と前置きして答える。


「僕も、そういう人たちは苦手だと思う」

「お、望月くんもそうなんだ!」

「理由は違うと思うけどね。僕は元来、人の表情とか、人の心のうちを推し量るのが苦手だから、変に気を使われて本心じゃないことを言われるのはとても困る」

「あははっ、君らしい!」


 彼女はまたわけのわからない笑顔を浮かべて手を叩いた。

 わからない笑顔だけど、作っている笑顔ではないことはわかる。

 本心が表情や行動にすぐ出るという言う点においては、彼女との交流は楽なのかもしれない、なんて思った。


 そうこうしているうちに料理が到着した。

 彼女の興奮はさらに高まり、いただきますをした後にスープカレーを一口頬張って最高潮を迎えた。


「美味しい!!」


 透き通った瞳の中で星くずが撒き散り、今日一番昂ぶった声が店内に響き渡る。

 どこにそんな元気が蓄えているのだろうと、今更ながら彼女のエネルギー源の出処が気になった。


「うん、美味しい」


 僕も彼女の評価に同意であった。

 流石、八王子エリアでカレーランキング1位なだけある。

 メシログの優秀さを改めて実感した。

 

「それにしても、君のは見事なまでにエビエビしいね」

「うん! これ頼んで正解だった!」


 彼女の頼んだメニュー、『北からやってきたエビの宝箱スープカレー』は、一目でわかるほど海老一色に染まっていた。

 スープは見事なまでに海老色。

 具材はソフトシュリンプから始まり、海老の練り物、桜海老のチップときてトドメはエビフライである。

 もはやカレー要素を見失っているようにも見えるが、大丈夫なのだろうか。


「まさに期間限定メニューって感じ」

「今日来てよかったー。これだけ美味しいんだから、通常メニューにしたらいいのに!」

「ここまで尖ってると、通常メニューにしても安定しないと思う」

「じゃあ、私みたいなお客さん向けってことね!」

「尖っている点では相性抜群だろうね」

「そういう君は冒険しないなあ」


 彼女は僕の頼んだメニュー、『大地の野菜とパリパリチキンのスープカレー』を見ながら予想通りとでも言うようにニコニコしていた。


 このスープカレーは一番人気を誇る看板メニュー。

 12種の野菜とパリパリチキンが一つ、トマトベースのスープに沈んでいる。

 店内を見回すと、同じメニューを食べているお客さんがほとんどであった。


「僕は基本的に、初来店の時はおすすめメニューを食べることにしているんだ。店がおすすめしているんだから、ある一定以上のクオリティは保証されている」

「それは一理あると思うけど、やっぱ冒険してなんぼじゃない? 限定とか、メニューの下の方に書いてるやつが自分の好みにマッチした時の感動といったらもうっ」

「微妙な時もある」

「それも含めてエンタメだと思うの!」

「とことん趣向が合わないね、僕たち」

「そうだね、合わないね!」


 わははっと、彼女はまた何が面白いのかわからない笑声を上げた。

 彼女に付き合っていたらせっかくのスープが冷めてしまうので、僕はさっさと自分の分を食べてしまうことにする。

 

「ねねっ、せっかくだからさ、交換しない? 一番人気も食べてみたい!」


 彼女がそんな提案をしてきた。

 僕は無言で自分の皿をを彼女の方へ押しやった。


「やった! ダメ元でも聞いてみるもんだね」

「特にデメリットはないし、僕も君の頼んだカレーの味を確認したい気持ちはある」

「そっかそっかー。君も海老の魅力にとりつかれたかー」

「そういうわけではない」


 彼女も自分の皿を寄せてきてくれた。

 海老特有の甘い香りがぶわっと漂って来て、僕は思わず身体を引いた。

 予想以上にエビだ、これ。


「それじゃこっちもいっただきまーす! あむっ、んんーっ、美味しい!」


 彼女はお気に召したようで、ほっぺたが落ちないように手で押さえている。

 続いて僕も口に運んでみる。


「……」


 予想を超えた海老だった。

 海老のスープどころの騒ぎじゃない。

 個体から直接エキスを吸い取っているかと思うくらいの海老感だった。

 口の中でも海老、喉を通る時も海老、胃の中身まで海老が飛び跳ねているかと思った。


「どう? どう?」


 海老に身体を侵略されるという初めての感覚を味わっていると、彼女が期待に満ちた瞳で感想を求めてきた。

 

「海老がゲシュタルト崩壊しそう」

「あははっ、わっかるー。でも、美味しいでしょ?」

「……まあ」

 

 ぶっきらぼうに答える。

 予想をはるかに超えた海老っぷりだったが、ダシとスパイスが複雑に絡み合って奥の深い旨味を演出していた。

 仮にこちらを頼んだとしても、一定以上の満足度を享受できただろう。


 もう一口スプーンですくい、今度は白ご飯とともに口に運んでみる。

 うん、味が濃い分ご飯との相性もバッチリだ。

 これだけ海老の主張が強いにも関わらずしっかりとスープカレーの体を成していることに感心する。


「あっ、スプーン取っ替えるの忘れてた!」


 不意に彼女が声をあげた。

 視線をスプーンに移す。

 そういえばこれは、彼女が使用していたスプーンだ。


「ああ、ごめん。今更だけど、取り替えようか?」


 正直どちらでもいいのだが、ここでスルーすると僕の倫理観が疑われる可能性があるので念のため聞いておく。


「んー……望月くんが気にしないなら、大丈夫だよ?」

「僕も別に」

「こういうので騒ぐのって中学生までだよねー」


 僕としては人生で初めて異性と間接的な口の触れ合いをしたわけだが、特にこれと言った感情は湧かなかった。

 まあ、意識していない異性に対してはこんなもんだろう。

 仮に意識していたとしても、自分がこの程度の事で精神を取り乱す様は想像できなかった。


「望月くんのも美味しかったけど、やっぱり私は海老派かなー」


 彼女は自分の手元に戻ってきた海老の宝箱を堪能しながらうんうんと頷いている。

 やはり、丸みのある味よりも鋭利なほうが好みのようだった。


 僕も改めて自分のカレーを口に含むと、やはりこちらの方が性に合っているような気がする。

 

 ──その時ふと、僕の中に不思議な感覚が芽生えた。


 このスープカレーは美味しい。


 それも、人生で食べてきた中でもトップ3には入る確信がある。


 あるのに。


 なぜか、物足りなさを感じた。


 美味しい、美味しいんだけども。


 何かが足りない、その何かはわからない、そんな感覚。


 不意に、僕の脳裏に彼女の作ったカレーライスが浮かんだ。


 どこか懐かしくて美味しくて、何杯でもおかわりしたかったけど、自分の胃のキャパ的に叶わなかった先週の晩御飯。


 なぜそれを今思い出す。

 

「どうかした?」

「え」

「なんか、ぼーってしてたけど」


 焦点を合わせると、彼女は知らないおじさんを見る幼女のような表情を浮かべていた。


 肺のあたりで小さな焦りが生じる。


「いや、なんでもない」

「そう? ならいいけど」

 

 すんなり納得して、彼女は引き続き海老スープに舌鼓を打ち始めた。

 

 僕は頭を振って、残りを黙々と食べ進めた。


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