第42話 彼女が欲しいものとは②
「大丈夫?」
「え?」
彼女の声で我に帰る。
目の前に、形の良い眉をひそめた彼女の顔があった。
文字通り、眼前まで迫っていた。
「近いん、だけど」
顔を背ける。
意思に反して瞬きが多くなった。
「だって呼びかけても、目の前で手を振っても、全然反応しないからさ。生きたまま凍ったんじゃないかって心配しちゃった」
言われて、自分がお茶碗を持ったまま動作を停止していたことに気づく。
「人を勝手にコールドスリープさせないでくれるかな?」
「こーるどすりーぷ?」
「冷凍保存。身体を低温に保って、老化を防ぐ的な技術」
「へええ、そんなのあるんだ!」
「実用はされてないと思うけどね」
「どんな感じなんだろ。興味あるなー」
「君の体温はなかなか下がらなさそうだね」
「あはは、そうかも」
夕食を再開する。
今晩の献立であるミルフィーユカツを箸で掴もうとした時、声をかけられた。
「なんかあったの?」
箸が止まる。
いつもより濃度の低い笑みを浮かべて、彼女が僕の瞳をじっと覗き込んできた。
まるで、その奥にある深層を解き明かそうとしているみたいに。
「なにも」
僕は努めて平静を装って、カツを自分の皿に乗せた。
むむっと、彼女が頬を膨らませる。
「嘘、絶対なんかあった」
「なんでそう思うの」
「先週の土曜くらいからずっと変じゃん。ぼーっとしてることが多くなったし」
やはり、気づかれていたらしい。
彼女からすると、僕の変化くらいお見通しなのだろう。
「強いて言うなら」
どう返答しようか迷ってる時間が長いほど相手の疑念が募るという法則を考慮し、間を置かず口を開く。
「仕事が忙しくて、ちょっと疲れが溜まっているのかもしれない」
「やっぱり!」
繋がったとばかりに、彼女が声を放った。
そして、子供を叱りつけるみたいに言う。
「もう、それなら早く言ってよ。心配するじゃない」
胸のあたりがちくりと痛む。
別に真っ赤な嘘というわけではないけど、悩みの根本は全く別の要因だ。
僕の胸懐をよそに、彼女は一転して声を弾ませる。
「でも安心して! なんかそんな気がしたから、最近は疲労回復メニューを意識して作ってるの!」
ふふんと得意げに鼻を鳴らす彼女には気を向けず、言葉の意味を冷静に分析する。
「ああ、だからここ数日、豚肉料理が多かったんだ」
「お、流石。望月くんならこうするかなーって思って作ったんだけど、どう?」
「どうって……料理をしないからなんとも言えないけど、確かに僕なら科学的根拠に基づいた食物を摂取するだろうね」
「やたっ」
ビンゴで最後の穴を開けたみたいに、彼女は胸の前で拳を握った。
どこに喜ぶ要素があるのだろうか。
「ちなみに、豚肉とクエン酸……例えばレモンとかと合わせると、疲労回復効果が倍増する」
「へええ、そうなんだ! じゃあちょっと取ってくるね」
「え、ちょ」
「れっもんー、れっもんー」
下手くそなマーチを口ずさんで、彼女は台所に消えて行った。
相変わらず行動が早い。
僕なら面倒くさいとか、次からでいいやと思うことを、彼女は平然とやってのける。
たぶん、常に動いてないと死んでしまう病気なんだと思う。
「はい、どーぞ」
彼女がカットしたレモンを小皿に乗せて持ってきた。
絶妙に絞りやすそうなサイズ感である。
「ありがと」
「どーいたしまして」
満足げに頷いたあと、彼女は自分の小皿にレモンを絞る。
僕が後がけレモン派だということを覚えてくれていたようだ。
「他にも何かしてほしい事とか、あったら言ってね?」
「え?」
おおよそ彼女の口から出たとは思えない提案に、聞き間違いかと耳を疑う。
「えっ、じゃないの。望月くん、そういうの自分から言わないからさ。お仕事すっごく頑張ってるし、少しくらい我が儘言ってもいいと思うの」
優しさ半分、お怒り半分。
相反し合う感情を浮かべ、彼女は表情に期待を浮かべた。
こういう言葉は久しくかけられていない。
返答に詰まる。
「今は、大丈夫」
「そう? ならいいけど」
ざーんねん、と残念そうに見えない素振りで言う。
表情に懐疑的な残滓が残したものの、彼女はそれ以上追求してこなかった。
なんだかとても悪いことをしている気分になって、自発的に話題を変える。
「本、読んでる?」
「勉強の合間にちょいちょい読んでる! 意外に面白くて、熱中しないようにするのが大変だけど」
予想に反し、彼女は文字だけのコンテンツにハマっていた。
性格的に合わないだろうなと思っていた分、驚きは大きい。
「まあ、勧めたのが万人ウケするタイプの作品だからね」
「そうなんだ! じゃあ今度はとびきり尖ったのも読みたいな」
「極端だね」
とはいえ、自分が好きなものを面白いと言ってくれるのは、悪い気はしない。
今まで自分の趣味を共有してくれた相手がいなかった分、なおさら。
「そうだ! 今度は逆に、私のオススメ漫画を貸してあげる!」
「それは遠慮しておくよ」
「えええ! なんでさー」
「君の薦める本はどれも理解が追いつかない気がする」
「そんなことないよ!?」
心外だ! とでも言うようにオーバーなリアクションを取る彼女。
「でもなあ……」
「読むっていうまでこれはお預けでーす!」
実力行使に出た彼女は、ひょいっとカツの乗った大皿を取り上げた。
子供か。
でもよくよく考えると、自分の勧めた小説は読んでもらって、彼女の勧める漫画を読まないのも変な話だ。
あくまでマナー、マナーとして、借りるだけ借りてみるか。
「わかった、読むよ」
「やた、そうこなくっちゃ!」
楽しみが増えたと言わんばかりに喜ぶ彼女の手から、カツが舞い戻ってくる。
「今度持ってくるね!」
「了解」
夕食後、彼女はノートを開いて勉強をし始めた。
その対面で、ノートパソコンをカタカタ鳴らす僕。
未だ、プレゼントは決まっていない。
『女性 誕生日 プレゼント 10代』
検索をかけ、まだ見ていないサイトをクリックする。
サイトを上から下にスクロールするも、目にするラインナップは見たことあるようなものばかりであった。
頭の中に蓄積された情報は、膨大になりつつある。
アクセサリー、財布、バック、コスメ、花、ハンドクリーム、指輪、手作りアイテム、エトセラエトセラ。
確かに女性が喜びそうなものばかり。
しかし、一向にしっくりこないのはなぜなのだろう。
キーボードを叩く指先が止まる。
かれこれずっと、出口の見えない迷路で地図を落としたような錯覚に陥っている。
考えすぎだという自覚はあるが、性分なのだから仕方がない。
彼女のように直感的な生き方ができれば、こんなに苦労することもないのだろうか。
彼女の方を見る。
かれこれ1時間以上、彼女はぶっ続けてノートに齧り付いていた。
邪魔をするのも悪いと思いつつも、僕は声をかけた。
「一人じゃないと勉強できないんじゃ?」
ぴたりとシャーペンを止め、彼女は思い起すように頭上を見上げる。
「そんなこと言ってたっけ」
「おい」
「うそうそ。まあ、その時の気分によるね」
「いよいよ悠長なこと言ってられなくなってきたか」
「あは、バレた?」
彼女が後ろ手で頭を掻く。
「自分の部屋のほうが集中できるのでは?」
「言ったじゃん。私、部屋だとおやすみモードに入っちゃうって」
「ああ、確か言ってたねそんなこと」
「それに」
「それに?」
普段の溌剌としたものとは違う、暖かくて落ち着いた笑みを浮かべて、彼女は妙なことを口にした。
「なんか、最近はこの部屋の方が落ち着くというかさ」
言われて僕は、自分の部屋と彼女の部屋の間取りについて考えた。
多分同じだ。
ということはおそらく、彼女の発言はこの部屋の空気や雰囲気的なものを指しているのだと推測する。
「……なんだそりゃ」
すっかりセカンドハウス気分に浸かってしまったのだろうか。
確かに最近の彼女は、学校から帰ってきて大半の時間をこの部屋で過ごしている。
「というわけでお願い! もうちょっといさせて」
パンッと両手を合わし、悪びれた様子のない笑みを浮かべて懇願する彼女。
まるで、僕が断る未来なぞ想像すらしていないと言わんばかりに。
「好きにすればいい」
捨て置くように言うと、彼女の表情に明かりがぱっと灯った。
「ありがとう!」
慣れとは恐ろしいものだとつくづく実感する。
最近は彼女がいることが当たり前になっているので、お願いなんてされなくてもしばらくは滞在を許容していたことだろう。
いいんだか悪いんだか。
僕はサイト巡り、彼女は勉強に戻る。
ピピッ。
部屋のデジタル時計が、0時を回ったことを示す音を立てる。
珍しく、日付が変わってもお互い無言の時間を過ごした。
結局、プレゼントは決まらなかった。
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