第55話 『僕自身』聞きたいと思っているのか?
右頬に圧迫感を覚えて意識が覚醒する。
カシャリ。
スマホのシャッターが鼓膜を震わせ、瞼が持ち上がった。
向けられたスマホの奥に、端正な彼女の顔立ちを確認した。
ぼんやりとした頭のまま、とりあえず問いかける。
「……なにしてんの」
「やー、望月くんの寝顔なんてレアだから、起こすついでについ」
「つい、じゃないよ」
上半身を起こす。
すると、彼女が指差して笑い声をあげた。
「あははははははっ、望月くん、ほっぺほっぺ!」
言われて右頬に手を触当てると、でこぼことした感触が指先から伝わってきた。
どうやら寝てる間、頬に畳の刻印を刻んでしまったらしい。
カシャリ。
「おい」
「レアフェイス、もう一枚ゲットだぜっ」
「僕はボケモンか」
「私、ボケGO世代!」
「それはもう世代と言わない」
うししっと楽しそうに笑いながら、スマホのディスプレイを満足げに眺める彼女に一応、尋ねてみる。
「ちなみに削除要求は?」
「受け付けませーん」
「だよね」
これはもう私のもんだと言わんばかりに、スマホを胸に抱え込む彼女。
寝ていたはずなのに気が重くなった。
せめて、念を押しておく。
「ネットに投下したりしないでよ」
「しないよそんなことー」
「まあ、されたところで誰も見ないだろうけど」
「そう? 可愛いからたくさん拡散されると思う!」
「冗談」
「試してみる?」
彼女が画面を見せてくる。
映っているのは、畳に顔をつけ死んだように目を閉じた自分の顔。
「どうやら僕に実力行使をさせたいみたいだね」
「きゃーっ、おそわれるー」
彼女が、全く危機感の篭ってない声で自分を抱きしめた。
真面目に取り合うのも馬鹿らしいので、僕は立ち上がる。
「そろそろ行く?」
「いく! 町で食べ歩きとかしたいし」
「まだ食べるんかい」
「あれくらいじゃ足んないよー」
「蕎麦、特盛り頼んでなかったっけ」
とはいえ僕も、小腹が空いていた。
昼食が軽めの蕎麦だったためか、胃袋が前よりも膨らんでいるのか。
温泉宿を出ると、今度はタイミングよく駅行きのバスがやってきた。
小吉らしい運勢を享受しているような感じがして、なんともいえない気分になる。
乗り込むと、バスはすぐに出発した。
行きがけ、死にそうになりながら登ってきた坂に思いを馳せていると、彼女が話しかけてきた。
「いい湯だったねー」
「そうだね」
「露天風呂、すごく豪華じゃなかった?」
「豪華かどうかはさておき、日本庭園みたいで風流があった」
「でしょでしょ? 大浴場も広くて最高だったくない?」
「そうだね、結構ゆったりできた」
言うと、彼女がちらちらとこちらに視線を寄せてきた。
期待の篭った目。
その瞳の意図を察する。
「いい温泉だった。感謝してる」
「えへへ、どーいたしまして!」
100点満点! とでも言いたげに頷いて、彼女は満足げに頬を緩ませた。
思わず呆けてしまうくらい、可愛らしい笑顔だった。
「サウナは入った?」
「入ってない」
「ええー! 温泉の醍醐味じゃん、サウナ」
「生憎、サウナは1分と持たないんだ」
暑いのは苦手なんだ。
付け足すと、彼女はうははっと笑った。
「逆だね。私、暑いのが得意で寒いのが苦手なの」
「期待を裏切るようで悪いけど、僕は暑いのも寒いのも苦手だよ。適温が一番」
「それは違いないねー。今日はちょっと張り切っちゃって、サウナに長居し過ぎちゃった」
「ああ、だからちょっと遅れたんだ。僕はさしずめ、事故ってドザエモンになったのかと」
「勝手に殺すなようー」
とりとめのない会話をしている間に、バスが駅に到着する。
降りてから、駅前の大通りを散策することにした。
大通りは商店街のようになっていて、お土産屋や食べ歩きのお店がメインだった。
僕にこれといって食べたいものや買いたいものは無いので、彼女の後ろをトコトコと付いていくことにする。
散策し始めてすぐ、彼女は甘い匂いに誘われふらふらとお店に吸い込まれていった。
最初のお店では、箱根温泉まんじゅうとやらを堪能した。
黒蜜が練りこまれた薄皮の中に、甘さ控えめのこしあんがぎゅっと詰まっていて大変美味だった。
この後の事も考え一個に留めた僕だったが、彼女はいたく気に入ったようで追加注文していた。
さも幸せそうに饅頭を頬張る彼女を眺めながら、僕はブラックホールについて考えた。
次のお店では、はちみつソフトクリームを食べた。
悪魔が作ったとしか思えないそれは、濃厚なソフトクリームに特製のハチミツをたっぷりかけた、やっぱり悪魔が作ったシロモノだった。
「饅頭、5個も食べた上によく入るね」
「ソフトクリームは液体だからね」
「カレーは飲み物みたいなこと言う」
「違うの?」
「知らない」
食べ終えて、3店舗目。
流石に口の中が甘ったるくなったので、串かまぼこのお店に寄った。
玉ねぎとチーズを練りこんだかまぼこ串は揚げたてあつあつで、塩気を欲していた味覚を存分に満足させた。
彼女は葱アーモンドかまぼこ串という謎の限定商品をチョイスしていたが、相変わらずの笑顔を浮かべていたので多分美味しかったのだろう。
「一口いる?」
訊かれたけど、断った。
彼女のように冒険する気概は、今の僕にはない。
店を出る。
お腹も大分張っていた。
夕食のことも考え食べ歩きはこのくらいにして、土産屋に寄ることにした。
僕は会社用に、先ほど食べて美味しいことが実証された温泉まんじゅうを購入した。
彼女は僕と違ってじっくりお土産を選定していて、最終的に温泉まんじゅうを含めない3つの品をチョイスしていた。
加えて、レジ先でバラ売りされていたハート型の醤油せんべいをじっと見つめていたかと思うと「これもください!」と2枚購入していた。
「まだ食べるの」
「せんべいは薄いから大丈夫」
「そういう問題?」
「そういう問題なの。望月くんもおひとつどーぞ」
受け取ったが、後で食べることにした。
流石に今食べても、美味しさよりも満腹度が優ってしまう。
彼女の方はすぐに食べるらしく、休憩がてら開けた飲食スペースに立ち寄った。
「おいひい!」
「それは良かった」
ベンチに座ってパリパリとせんべいを齧る彼女。
その姿だけを見るとハムスターを彷彿とさせるが、その本性は無尽蔵の胃袋を持つ肉食ライオンときたもんだから、人間見た目じゃ何もわかったもんじゃない。
せんべいを一瞬にして食べ終えまったりしていると、目の前を小さな男の子が楽しそうに走り去っていった。
周囲を見渡すと、今日は土曜日ということで子連れも多さも目立つ。
その光景に感化されたのか、彼女が急に変な方向の話題を振ってきた。
「望月くん、良いお父さんになりそうだよね」
「いきなりなに」
「んーん、なんとなくそう思っただけ」
「まあ確かに、子供は無邪気という点においては勘ぐる必要がないから、一緒にいて気が楽ではある」
「なんだその理由ー」
彼女が手を叩いて笑う。
「君は、子供好きそうだよね」
「大好き! 将来は保育園の先生もいいなーって思ってる」
「確か、やりたい職業がたくさんあるとかなんとか」
「そうなんだよねぇー。身体が一つしかないって人生最大の悩みだよ、ホント」
「その悩みを最大にしている人は少なそうだけど」
中身の無い話をしていたその時、どこからか子供の泣き声が聞こえてきた。
声のする方向に顔を向ける。
何かに躓いたのか、5歳くらいの女の子が地面にうつ伏せになって泣いていた。
周囲に親らしき大人はおらず、ひとりで泣いている。
「大変!」
僕が状況を飲み込んでいる間に、彼女が弾かれたように立ち上がった。
道ゆく人々の誰よりも早く、女の子のもとに駆け寄る。
僕もつられて立ち上がり、後を追った。
「こけちゃったの? 大丈夫?」
彼女が地に膝をつき、女の子に尋ねる。
女の子は目を覆って泣くばかりで、論理的な解を得ることができない。
「よーしよし、大丈夫、大丈夫だからね」
それでも根気強く、彼女は女の子を宥め続けた。
しばらく頭を撫でたり、安心させるような言葉をかけたりすると、泣き声は徐々に鳴りを潜めてきた。
落ち着いた事を確認してから一旦、道の端に移動する。
女の子と視線を合わしたまま、彼女は優しい声色で尋ねた。
「どこか、痛いところない?」
女の子が、嗚咽を漏らしながら手を差し出す。
「大変、擦りむいちゃってる……」
痛かったねと、彼女が労わるように女の子の頭を撫でる。
彼女は一瞬、考え込むような表情をした後、何かを決したような意思を瞳に宿し、真面目な声色で切り出した。
「望月くん」
「ん」
「ちょっと力使うから、隠しててくれない?」
こんなところで、大丈夫か?
そう思うも、有無を言わさぬ圧力に従い無言で頷き、二人が道から隠れるように立った。
女の子が涙目で、僕を見上げてくる。
僕は笑顔を務めたが、おそらく目も当てられない程ぎこちなくなってるだろう。
彼女が、女の子の手に自分の手をかざす。
女の子はきょとんと、首を傾げた。
「今からこの怪我、おねーちゃんの魔法で治してあげるね」
「ぐすっ……まほ、う……?」
「うん、魔法」
にこりと、彼女が柔和な笑みを浮かべる。
その表情は、聖母のような慈愛に満ち溢れていた。
「いくよ」
すうっと、息を吸い込んだ彼女の口から、これまで耳にしてきた単調な文とは違う、魔法の言葉が紡がれた。
「痛いの痛いの飛んでけー」
次の瞬きの後には、女の子の手のひらに刻まれていた傷が何事もなかったかのように消失した。
科学法則をフル無視した力だと、改めて思う。
「いたく、ない……」
「良かった! 他に痛いところは?」
自分の身に何が起こったのか理解が追いついていないのか、女の子は自分の手を何度も見比べた。
身体の感覚を確かめるように動かし、呟く。
「いたいところ……ない……」
「そう! 良かった!」
彼女がホッと、表情に安堵を浮かばせる。
その額には、じんわりと汗が滲んでいた。
「おねーちゃんが、なおしてくれれたの?」
「うん、そうだよー」
「すごい! どうやってやったのー?」
「んー、魔法かな?」
その言葉に、女の子はパッと表情を輝かせ、興奮した様子で言った。
「すごいすごい! おねーちゃん、まほーつかいなんだね!」
「うふふっ、そうだよー。おねーさんは魔法使いなんだよー」
興奮冷めやまぬ女の子に、彼女がもの柔らかな笑みを浮かべて受け答えていると、
「あかね!」
女の子の母親と思しき女性が、息を切らした様子で駆けてきた。
その表情は、焦り一色に染まっている。
「あ、おかーさん!」
女の子が表情を明るくした。
その言葉に、女性の表情から焦りが消え、安堵に染まる。
「もう、ダメじゃない、一人でどっか行ったりしちゃ」
叱りつつも、女性は膝をつき、女の子の両肩を優しく撫でた。
まるで、我が子の存在を確認するように。
「ごめんなさい、ちょっと目を離した隙にはぐれてしまって」
「いえいえ、お気になさらず!」
客観的に見ても人に安心感を与える彼女の笑顔に、女性の表情が緩む。
同行者だと認識されたらしく、僕にも女性が目線で会釈をしてきた。
僕は軽く一礼するにとどめた。
「ほら、お姉さんとお兄さんにありがとうは?」
女性が促すと、女の子はお遊戯の発表会の時みたいな明るい声を張った。
「おねーちゃん、おにーちゃん、ありがとう!」
ぺこりと頭を下げる女の子の頭をひと撫でして、彼女は穏やかな微笑みを浮かべたまま彼女が言う。
「どういたしまして。もう、お母さんと離れちゃだめだよ?」
「はーい!」
女の子も満面の笑みを浮かべて、威勢の良い返事をした。
それに対し、彼女も溢れんばかりの笑顔で応えた。
「すみません、お手数をおかけしました」
母親はぺこりと頭を下げたあと、女の子と手を繋いで歩き出した。
「おねーちゃん、ばいばーい!」
振り向いてぶんぶんと手を振る女の子に、彼女も手を振って返す。
「ねえねえきいてきいて! あのおねーちゃん、まほーつかいなんだよー!」
「そうねえ、良かったわねえ」
先程までの泣き顔は何処へやら、弾けるような笑顔を浮かべ母親に手を引かれていく女の子。
その後ろ姿が見えなくなるまで、彼女はニコニコと手を振っていた。
不意に、彼女の口角が下がった。
一文字に結ばれた口元から小さな、本当に小さな声で、言葉がこぼれる。
「いいなあ……」
かろうじて聞き取れてしまって、息を呑んだ。
その言葉に含まれた様々な感情を、僕は知らない。
ただ、確信が深まった。
彼女の明るい笑顔の裏には、やはり薄暗がりの影が潜んでる。
僕自身、聞きたいと思っているのか?
温泉の中で浮かんだ問いが、頭の中で繰り返された。
──その問いの答えは、もうじき明らかになる。
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