第12話 実食! 彼女の晩ごはん


 ジュワジュワと香ばしい音が聞こえる。

 小麦粉と油の匂いもするので、おそらく食材を揚げているのだろうと推測した。


 部屋から調味料を取ってきた彼女は、エプロンを着けたあと手際良く調理をし始めた。

 最初、何か手伝うことはあるかと支援を申し出たが、速攻で戦力外通知を言い渡された。

 調理器具を洗わずに使おうとした事がアウトだったらしい。

 そういえばバイトしていた時も同じような事で怒られたっけ。

 

 仕方がないのでソファで読書に耽ることにする。

 しかし、キッチンから聞こえてくる家庭的な音が気になって仕方がない。

 トントンと包丁で何かを切る音、ブオーンと唸るレンジの音。

  

 思えばプライベートにおいて、同じ空間に自分以外の誰かがいるというのは随分久しい事だった。

 

「あちっ」


 食材を揚げる音に混じって、彼女の短い声が聞こえて来た。

 油が跳ねたのだろうか。


「大丈夫?」

「平気ー! ありがとー!」


 彼女の言う「平気」を、僕は一般的な意味とは違うニュアンスで受け取った。

 傷や体調の不良を癒す能力を、彼女は持っている。

 

 「あちっ」で済まされる火傷くらい、あの力を使えばなんて事ないのだろう。


 本を捲る作業に戻る。

 人間の慣れとは偉大なもので、さっきと比べると読書に集中する事ができた。

 

「お待たせー!」


 仲間だと思っていた親友Aが、実は黒幕で裏切り者だった的な逆転展開が繰り広げられたあたりで現実に引き戻された。

 映画館のクライマックスでスマホを鳴らされた気分だった。


 とはいえ料理になんの罪もないので、僕は諦めて文庫本を閉じ、丸テーブルに次々に並べられていく料理たちに目を向けた。


「おお」


 思わず感嘆の声が漏れた。

 

 黄金色に輝く揚げたての唐揚げに、甘い匂いを漂わせるほかほかの肉じゃが。

 ゴマの風味が香るほうれん草のおひたしに、濃い色の味噌汁。


 間違いなく美味いとビジュアルだけで確信する。


「すごい、美味しそう」

「ありゃ? そこは素直なんだね」

「だって美味しそうだし」

「そっか、ありがと!」


 彼女は満足げに喜色を湛えた。


「ささっ、冷めないうちに食べて食べて!」


 はやる言葉と共にご飯の盛られたお茶碗を手渡してくる。

 米を常備していた記憶はないので、これも彼女が部屋から持って来たのだろう。

 先日行った鉄板焼き屋での僕の少食っぷりを考慮してくれたのか、ライス(小)くらいに調整してくれている。

 対する彼女はライス(漫画盛り)だった。

 その細い身体の中にブラックホールでも飼っているんだろうか。

 地球が彼女の胃袋に飲み込まれる日も近い。


「いただきます! もぐっ、んぅー! 美味しい!」


 僕が食材への感謝を唱える前に、彼女はいつの間にか肉じゃがを小皿によそって口にしていた。

 もの凄い勢いで白ご飯も頬張っている。


「いただきます」


 食欲を満たす獣と化した彼女に全部食べられてしまう前に、僕も素早く肉じゃがを取って口に運ぶ。

 

「うん、美味しい」


 ジャガイモは口に入れた瞬間ホロリと崩れるほど柔らかく、牛肉はしっかりと歯ごたえがあって食い出があった。

 人参や玉ねぎ、糸こんにゃくといった他の具材も食材本来の味を残しつつ、タレの味との組み合わさって絶妙なバランスを奏でている。

 味付けは濃いめで、醤油とみりんをベースに牛肉や玉ねぎの甘みと混ざり合ってコクの深い味だった。


 ご飯と一緒に掻き込むと、美味しさはさらに倍増する。

 少なめライスでは足りないかもしれない。


 間違いなく、今までの人生の中で一番美味しい肉じゃがだった。


 次に、ほうれん草のおひたしに箸を伸ばす。


「うん、これも美味しい」


 しっかりと水切りされたほうれん草と、たっぷり添えられた鰹節とゴマとのコラボがこんなに合うとは知らなかった。

 出汁につけて食べる。

 さっぱりとした酸味が広がったかと思えば、甘みが後から追いかけてきた。

 箸休めの一品にもしっかりと趣向が凝らされているのは素直に凄いと思う。

 

「ん?」


 ふと視線に気づいておもてをあげると、彼女がニコニコと嬉しそうにしていた。

 人の表情を読み取ることが苦手な僕は、彼女の胸の内が読めない。


「……なに?」

「ううん、なんか、いいなーって」


 曖昧な表現だ。

 何がいいのか言語化して欲しいと思った。


 すると、人の表情を読み取ることが得意な彼女は、僕の心中を察して言語化してくれた。


「望月くん、すっごく美味しそうに食べるし、ちゃんと美味しいって言ってくれるから、すっごく嬉しいなーって!」


 彼女の眩しい笑顔を中心に、子供が描いた花や太陽が散らばっているように見えた。


「大げさでしょ」

「そんなことないよ。女の子からすると、頑張って作った料理を美味しいって言ってくれるのは、本当に嬉しいことなんだよ」


 言って、彼女は春の陽だまりみたいな笑顔を浮かべた。

 朗らかで、慈愛に満ちた、柔らかい笑み。


「……そういうものなのか」

「そういうものなの」


 僕の味気ない返答に対しても、彼女は上機嫌だった。

 

 実際の僕はというと、胸の奥がキュッと締まる感覚を覚えて軽い焦りを覚えていた。

 それが彼女の可憐な笑顔によるものなのか、僕に対してポジティブな評価をしてくれた事によるものなのかはわからない。

 ゆっくり息を吸って、平静を取り戻す。


「ささっ、これも揚げたてのうちに食べて!」


 僕の心中など露知らず、彼女は唐揚げのリアクションも見たいと言わんばかりに大皿を寄せて来た。

 

 言うまでもなく、こんもりと盛られた唐揚げたちはとても美味しそうだ。

 早速箸を伸ばそうとすると、彼女がぱんっと手を鳴らした。

 

「レモンかけるの忘れてた! れもんっ、れもんっ〜」

「ちょっと待って」


 無遠慮に黄色い果実を絞ろうとする彼女にストップをかける。

 彼女の蛮行をやすやす見過ごすわけにはいかない。


「君はあれか、レモンを最初から絞るタイプ?」

「そうだけど?」

「僕は最後に絞りたい」

「ええー! 最初からかけてたほうが味にパレード感が出て美味しいのに!」

「パレード感ってなんだ」


 彼女の脳内辞書はどうなっているのだろう。


「とにかく、僕は素材の味を楽しみたい派だから、味変は最後でいい」

「むぅ……どうやら望月くんとは食の方向性も反対のようだね」

「食の好みと性格には相関性があるらしいよ」

「へぇ、そうなんだ! ちなみに刺激物が好きな人は?」

「せっかち、好奇心旺盛、思った事をズバズバ言う」

「凄い、当たってる!」


 皮肉のつもりで言ったのに、彼女はマジックショーの観客のように手を叩いた。


「ちなみに望月君は?」

「君の逆じゃない?」

「あ、なるほど!」


 僕の適当な返答で彼女は納得したようだ。

 変な処理してなければ良いけど。


「そういうわけだから、レモンは後からかけるか、自分の取り皿にかけてくれるとありがたい」

「わかった、そうする!」


 意外にもすんなり僕の申し出を受け入れた彼女は、自分の小皿の上でレモンを搾った。

 そしてどこからか出してきたマヨネーズをにゅるにゅると──。


「ちょっと待って。唐揚げにマヨネーズ? 正気?」

「えっ、よくある組み合わせのひとつじゃない?」

「好きなの、マヨネーズ?」

「うん、すっごく!」


 きらきらと表情を光らせ首が取れそうな勢いで頷く彼女。

 僕は白いという理由だけでマヨネーズと名付けられた子猫の事を思い起こした。


「なんならケチャップと合わせてオーロラソースにして食べるかなっ」

「オーロラソース? なにそのネーミング」

「オーロラソースはちゃんとした名前! ていうか、望月君の周りにしてる人いなかったの?」

「そもそも人がいなかった」


 しん、と場が静まり返った。

 彼女が何かを思い出したように口を押さえたあと、ティッシュをポケットに入れたまま洗濯してしまった主婦のような顔をして勢い良く頭を下げた。


「ごめん!!」

「良い、気にしてない」


 言うと、彼女はほっと安堵の息をついていた。

 本当に気にしてなかったので、澄ました顔で唐揚げを口の中に放り込む。

 サクッと小気味良い音を立てて衣が崩れたかと思うと、肉汁がじゅわりと口の中に広がった。

 味付けはシンプルに醤油と塩、あと、ほのかに生姜の風味がある。


「うん、美味しい」


 ご飯と一緒に食べるとさらに旨味が引き立って、お箸がすぐに二つ目の唐揚げへと伸びた。


 やはり少なめライスでは足りず、ご飯をお代わりすることにする。

 彼女は「任せて!」とキッチンからご飯を持って来てくれた。


 そこからしばらくの間、僕は黙々とテーブルに広がる料理たちに舌鼓を打った。

 最近すっかり人工的な味に染まっていた僕にとって、彼女の手料理はどれも温かみを感じさせた。


 少しだけ、普段よりも多く食べられたような気がした。


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