第3話 暗緑色の剣

 家々の煙突から夕餉ゆうげの支度をする煙が立ち昇り、どこかの台所から流れてきたトマトスープの香りが鼻腔をくすぐる。


 イルとボードワンは、並んで歩きながら帰り道を急いでいた。


 帰る先は同じ衛士長屋、説教の続きは御免こうむりたいイルではあったが、さすがに同じ長屋に住むボードワンに、別々に帰る言い訳は思いつかない。なにかボードワンが再びエキサイトすることの無いような、そんな無難な話題は無いものかと思案した末に、彼が愛して止まない娘の話へと思い至った。


「そういやあ、メイちゃんは元気ですか?」


「なんだ、おめえメイに手ぇ出したらブッ殺すぞ」


 ちなみにメイちゃん実に三歳。親バカここに極まれりである。


 将来、彼女と恋に落ちるであろう男の不幸を想って、イルはそっと涙を拭う。無難と思われた愛娘の話題がまさかの禁句であったことにビビりながらも、イルは次の話題を模索する。


 このまま沈黙が続けば、ボードワンがお説教第二幕(帰宅編)を開始することは火を見るよりも明らかである。何か丁度良い話題はないものかと視線を泳がせていく内に、少年の視線はボードワンが腰に下げている一振りの剣に止まった。


「おやっさん、そういやあ、おやっさんの剣、変わってますよね」


「ああ、これか」


 ボードワンが鞘の上から剣を撫でる。


「訓練の時、なんだか刀身がうっすら緑がかってるように見えたんですけど」


「こいつぁ、おめえが衛士になる前に出入りしてた鍛冶屋の試作品でな。なんでも新しいはがねの製錬方法を発見したってんで、一本ためしに作ってもらったんだ」


「新しい鋼ですか?」


暗緑鋼あんろっこうって名前に決めたって言ってたがな」


「へぇー。で、どうなんです。使い続けてるってことは、悪いこたぁ無いんでしょうけど」


「ああ、普通の鋼の倍は固く、切れ味は落ちず、滅多なことじゃ刃こぼれもしねえ」


「へぇー、そいつはすごいじゃないですか」


「ああ、こいつを衛士全員に行き渡らせる事ができりゃあ、戦争やなんやかんやで死ぬヤツを随分減らすことができるだろうよ」


「いいっスね。そろそろ武器の補充申請の時期なんでしょ?」


「ああ、だがそいつは無理ってもんだ」


「そんなに高いんですか?」


「いや、値段はもう付けようが無ぇ。その暗緑鋼の製法を誰にも伝えねぇまま、その鍛冶屋がおっんじまったのさ」


「おっんじまったって……事故か何かですかい?」


「一応、そういうことになってるがな、俺は夜の住人ノクターナルの連中の仕業だと思ってる」


 遠くを見るような眼でボードワンが放ったその一言に、イルの濁った蒼い眼が冷たい光を帯びる。しかしそれも一瞬のこと、次の瞬間には、イルはおどけるような調子で普段より少し高い声を出した。


「またまたぁ、おやっさん、何でもかんでも夜の住人ノクターナルじゃあ、そいつらも働き過ぎで死んじまいますよ。暗殺者が働きすぎで死んだとなりゃあ、さすがに冗談にもなりやしねえ」


 しかし、そんなイルの冗談めかした言葉を黙殺して、ボードワンは変わらぬ調子で言葉を繋ぐ。


「まあ、聞きやがれ。その鍛冶屋ってのは、俺にこの剣を渡してから七日後に、てめえの工房で死んだんだ。死体を見つけたのは弟子とその鍛冶屋の娘。その鍛冶屋は暗緑鋼の研究をするときはいつも、窓から扉から、一分の隙も無く鍵をかけて作業してたらしいんだが、その日は夜になっても、工房から出てこない。いくら呼んでも返事が無いってんで、いぶかしんだ娘と弟子が扉を蹴破って中に入ったら、床に倒れて死んじまってたってわけさ」


「へー」


「へーって、おめぇ……反応薄いな」


「他に誰も入れないようなところで死んでたんでしょう? それじゃ、事故か病死ぐらいしか考えられねえじゃないですか」


「それがだ、首の後ろを細い針みたいなもんで貫かれて死んでたのさ」


 イルは小さく息を呑む。


「訳の分からねえ死体ってのは、だいたい夜の住人ノクターナルの連中の仕業に決まってる」


「それも、えれえ乱暴な話ですけどね。じゃその暗緑鋼の剣ってのはもう作れないんですね」


「その鍛冶屋ってのが几帳面な奴だったんで、製法はどっかに書き残していそうな気はする。あとは弟子か娘にでも作り方が伝わってりゃ、可能性もない訳じゃねえんだがな、そこまで厳重に鍵掛けて独りで研究してたってんだから、そっちの方は正直望み薄だな」


 ボードワンがそう言って、小さく肩をすくめるのとほぼ同時に、


「ちょっと! 旦那方! 助けてよー!」


 と、二人に助けを求める声が響いてきた。

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