第119話 イチャイチャしてる場合か?(第三章最終話)

 イルとグレナダは、どうにか王都に辿り着いた。


 猟師小屋を出て、八日後のことである。


 辿り着いた時点では、イルは軍装のまま。一方のグレナダはというと、流石に囚人服のままという訳にもいかず、途中の村で調達した短衣チュニックに長い巻きスカートという田舎娘のような出で立ちであった。


 おかげで、顔なじみの門衛が彼女と気づかず、『どこの田舎もん引っかけてきたんだよ?』などとイルを揶揄からかい、そしてその後、一気に青ざめることとなったのである。


 王都の城門を見上げれば、そこには服喪を示す黒い垂れ幕が掛けられていて、雰囲気もどこか物々しい。冷や汗を垂らしながら硬直している門衛に尋ねてみれば、先日落ちた流星の直撃を受けて、王家所有の夏の離宮が吹っ飛んだとのこと。離宮のあったメルヴィル湖畔は、湖そのものが消滅するほど、完全に地形が変わってしまったらしい。そして驚いたことに、そこにはヴェルヌイユ姫が滞在していたというのだ。


 二人は驚いて顔を見合わせ、そして呆れた。


「どんだけ、人騒がせなんだ。あのお姫さまは……」


「流星の直撃とは……流石は姫殿下というべきか。うむ、やはりスケールが違うな」


「スケールの違いで片付けていいのか、それ……」


 ここまでの道すがら、イルは「あのお姫さま、次に顔を合わせた時には、ただじゃおかねぇ!」などと息まいていたのだが、当の姫さまに死なれてしまっては、振り上げた拳の下ろしどころも見当たらない。


 何とも表現しがたい思いを抱えたまま、二人はとりあえず真っ直ぐに自分たちの屋敷へ向かうことにした。門衛がホッと胸を撫でおろしていたのは、見なかったことにしてやろうと思う。


 だが、いざ屋敷に辿り着いてみれば、門は崩れ落ち、庭は踏み荒らされ、外壁はボロボロ。実に惨憺たる有り様であった。


「なんだ……これは? いったい何が起こったというのだ?」


 グレナダが呆然とそう呟くのと同時に、門の鉄柵の向こう側、庭先から聞きなれた声が聞こえてきた。


「お兄ちゃん!」


 声の聞こえた方へと目を向ければ、そこには薄桃色のかわいらしいワンピースを纏ったニーシャの姿がある。


「おう、今、帰った」


「うん、お帰りなさい。どこも怪我してない……よね?」


「ったりめぇだ。それより、こっちも大変だったみたいじゃねぇか。一体、何があった?」


「それが……よくわかんないの。私、寝ちゃってたから。よその貴族に突然、襲撃されたみたいなんだけど……姫殿下がどうとか言って……」


 それで、大体分かった。あの姫殿下は、こっちにまで手を出していたのだ。だが、残念なことに、この屋敷には何人もの暗殺者がいたのだ。おそらく逆に叩きのめされて撤退したというところだろう。


 だが、そんなこととは関係なく、ニーシャはなぜかグレナダとイルの繋いだ手を、じーっと凝視している。


「あの……ニーシャ殿、積もる話もあるだろうが、とりあえず続きは中に入ってからということで」


「あ、ごめんなさい! 今、門を開けるね」


 グレナダに促されて、ニーシャは慌てて門のカギを外した。


 屋敷の中に入ってみても、特に変わったところはない。どうやら中にまで踏み込まれるようなことは無かったらしい。イルはとりあえず軍装を解くと、グレナダの隣に腰を下ろす。そして、そのまま何のためらいもなく、彼女の膝を枕にしてソファーに横たわった。


「ん? んんっ?」


 その様子を見たニーシャが、眉間に皺を寄せて首を傾げる。だが、彼女がなにやら戸惑いながら口にしようとした途端、リムリムとメイドたちが部屋の中へと入ってきた。


「よう、みんな無事みたいだな」


「一応ね。アンタたちも元気そうじゃない。もう戦争終わったの?」


 リムリムがいつもの調子でそう問いかけると、グレナダがフルフルと首を振った。


「そういう訳ではないのだ。色々と込み入った事情があって、やむなく帰ってきたのだが……このままでは脱走兵扱いだからな、少し休息をとったら、アラミス公の下に報告に伺うつもりだ。なあ、旦那さま」


「……俺も行くのかよ」


「私を独りにするつもりか?」


「いや、まあ、そんなつもりはねぇんだが……まあ、おまえが一緒に行きたいってんなら、行ってもいいけどよ」


「ああ、頼む」


 そう言いながら、グレナダは目を細めて、彼の髪に愛おしげに指を這わせる。その様子を目にして


「ん、んんっ?」


 と、ニーシャが更におかしな顔をすると、リムリムが小声で彼女に問いかけた。


「どうしたの? 変な顔して」


「あの……リム姉さん。なんか、お兄ちゃんとグレナダさま、ベタベタしすぎじゃありません?」


 ニーシャがヒソヒソとそう答えると、リムリムは小さく肩を竦める。


「ま、そういう関係になったってことなんじゃないの」


「そういう関係…………って!? そ、そういう関係ぇ!?」


「そりゃそうでしょうよ。戦地とはいえ男と女がずーっと一緒にいれば、そうなるわよ。実際、届け出上は夫婦なんだし。良いことだと思うけど? 後がつかえてるんだから、ちゃっちゃとやることヤってもらわなきゃ」


「や、やることヤってって!?」


 途端に、ニーシャは頭の上から湯気が出そうなぐらいに真っ赤になった。そんな二人をよそに、グレナダはメイドたちの方へと声をかける。


「すまないが、アラミス公をお訪ねする前に旅の汚れを落としたい。アナスタシアは着替えを。フィーラは湯あみの用意を頼む」


「かしこまりました」


「はいはーい、ただいまぁー」


 グレナダは、メイド二人が慌ただしく部屋を出ていくのを満足げに見届けて、あらためてイルの顔を覗き込む。


「よし、旦那さま。背中を流してやろう」


「ああ」


 途端に、ニーシャが大きく目を見開いた。


「ちょ、ちょっと待って!? そ、そ、そ、それって一緒に入るってこと!?」


「ん? 何を慌てているのだ、ニーシャ殿」


「そりゃ慌てるよ! ほんとに何があったの? 極端すぎるでしょうが!!」


 声を荒げるニーシャをよそに、イルがポンと一つ手を叩く。


「ああ、そういや、新しい使用人が入ったって言ってなかったっけ?」


「ああ、そうだったな」


 グレナダがキョロキョロと周囲を見回すと、リムリムが廊下の方へと声を掛けた。


「ジーン、こっちにおいでー」


「は、はいですだ」


 すると、もっさりとした赤毛に、度のきつそうなぐるぐる眼鏡。鼻先にそばかすの散らかった、いかにも田舎者と言わんばかりの女の子が、扉の隙間からおずおずと顔を覗かせる。


「ほら、旦那と奥さまよ、挨拶なさいな」


「は、はいですだ」


 彼女は緊張しているのか、ぎこちない足取りでイルたちの方へと歩み寄ってくる。その様子に、グレナダが思わず苦笑したその瞬間――


「あ、あわっ!?」


 彼女は、何もないところで盛大につまずいた。そのまま、とっとっとと、どうにかこらえようと片足で踏ん張るも、彼女はそのままイルの方へと倒れこみ、彼の脳天に見事な頭突きを喰らわせる。


「ぎゃん!」


「アダッ!?」


 そのままもんどりうって座りこむジーン。ひとしきり身もだえた後、イルは思わず顎を突き出して、彼女を怒鳴りつけた。


「てててっ……てめぇ! なにしやがる!」


 ずり落ちたぐるぐる眼鏡の下から覗く、彼女の赤い目を見据えて凄むイル、だが彼女は大慌てで、


「見ちゃダメだァ!」


「ぐぼぁ!」


 イルの顎に渾身の掌底を喰らわせノックアウト。ジーンはそのまま眼鏡を直しながら飛びのいて、リムリムの背後に、小動物みたいな素早さで隠れた。


「このぉ野郎!」


 イルが声を荒げて立ち上がろうとすると、目の前にはニーシャが立ちはだかり、グレナダが彼の頭を自らのももの上へと押さえつける。


「お兄ちゃん! 大人げないよ! ジーンちゃんは恥ずかしがり屋さんなんだから!」


「うむ、旦那さま、使用人の小さな過失に目くじらを立てるのは良くないな」


「グレナダまで! なんだよ。俺が悪いってのかよ」


「お前ももう貴族なのだ。それ相応のふるまいを心掛けて貰わねばならぬからな。ほら、痛みが引くまで私がさすってやるから。ほーら、痛いの痛いのとんでけー」


「うん、まあ……そんな痛いって訳じゃねぇけど……さ」


 そのまま大人しくなるイルの姿に、リムリムは面白いものをみたとでもいうような顔をして口を開く。


「おーすごい、グレナダちゃんってば、クズを完璧にてなづけてる」


「ふふっ、父上と母上に、幼い時から色々と見せつけられて育ってきたのでな。猛き男も愛する妻の前では、かわいいものだというのは良く分かっておる」


「いやぁ……あんまり聞いたことないけど、そこまでのは……」


 ニーシャが複雑そうな顔をしてそう声を漏らすのをよそに、リムリムの背後で、ジーンは一人焦っていた。


(マズいだ。旦那さまから幸運を吸い取っちまっただよ。そんなに量は多くないけんど、大丈夫だべか?)


 そして、そんなジーンの焦りが誰かに伝わる訳もなく、


「そういえばシアとお義母さまはどうした?」


 グレナダが周囲を見回してそう尋ねると、リムリムが肩を竦めて答えた。


「ああ、おばさんは今日も朝から劇場通い。シアは今日もどこか出かけてる。ここんとこ毎日なんだけど、どこ行くか聞いても教えてくれないんだよね」



 ◇  ◇  ◇



「やっぱり今日も開いてませンねぇ」


 ターリエンは扉を押してみて、力なく溜息を吐いた。あの女将の食堂は、あの日以来、一度も開店していない。


「田舎にでも帰ってしまっタんでしょうか?」


 そう呟きながら、彼は静かに背を向ける。この近所の他の店のスープは正直おいしくないのだ。


 だが、彼が去っていくのを、食堂の内側、壁の隙間から眺めている者がいた。


「まったく……脅かすなよ」


 そう呟いたのは独りの女性。薄いチュニックに、下は下着一枚の軽装過ぎる出で立ち。足元には青の差し色の入った甲冑が、無造作に脱ぎ捨てられている。彼女は斜めにカットされた個性的な前髪を掻き上げて、再び壁際に足を投げ出して座り込んだ。


 彼女の名はオリガ。


 一昨日、王都に帰り着いた彼女を待っていたのは、姫殿下が既に亡くなったという知らせであった。この食堂の女将を始末した時に鍵を奪っておいたので、とりあえずはここに潜伏しているが、そのうち銀狼フェンリルとして、彼女の手配書も回り始める頃だろう。こうなってしまったからには、タイミングを見計らって、どこかへ脱出するしかない。


「どこかって、どこだ……。 いっそのこと砂漠の国エスカリスミーミルにでも逃げるか……」


 彼女の一族にとって縁の深い国だとはいえ、なにせ遠い。その上、相当暑い国だと聞いている。正直あまり気が進まない。彼女がうんざりしたような顔で天井を見上げたその時、唐突に入口の方でガチャガチャと鍵をいじくる音が響いてきた。


 オリガは慌てて飛び起き、立てかけておいた剣を掴んで、入口の方をじっと見据える。すると、ゆっくりと扉が開いて、一人の男が入ってきた。


「これはこれは……お嬢さん。おくつろぎのところ、非常に失礼」


 見るからに怪しい男である。丸い片眼鏡モノクル山高帽シルクハット燕尾服タキシード。細身で、神経質そうな細面ほそおもて。細い目に細い眉と、何もかもが細い男であった。年の頃は三十代といったところだろうか、やけに甲高い声で物言いは、やたら演技がかっている。


「しかし、お嬢さん。いくらお寛ぎと言っても、そのお姿は、少しばかりエレガントさに欠けますなぁ。その……百年の恋も冷めると申しますか……」


 男の意味不明な発言に、オリガが思わず眉根を寄せると、


「シーカーさん」


 彼の背後から、女の子の咎めるような声が聞こえて来た。


「はい? なんでしょう」


「アナタの方こそデリカシーに欠けるのでは? 突然押しかけたのは私たちの方ですけれど?」


「ああ、たしかに。お嬢さん、失礼いたしました。エレガントさに欠けると申し上げたことについては訂正してお詫びいたしましょう。その下着姿も、とてもチャーミングだ」


 どう考えても馬鹿にしているとしか思えない男の物言いに、オリガが不愉快げに鼻を鳴らすと、男の後ろから一人の女の子が店の中へと入ってくる。


 編み込みのある金色の長い髪、色白の美しい少女である。白いブラウスに紺のハイウェストのスカートが彼女の清楚な雰囲気に良く似合っていた。だが、一番目を引くのは、そのいずれでもない。


(奴隷?)


 彼女の首には黒い首輪が填っていた。


「一体何だ、お前たちは。何の用だ?」


 もしかしたら女将の知り合いかもしれないが、自分がここにいることを見られたからには斬るしかないと、オリガはそう判断していた。騒がれては困る。声を上げる間もなく殺すには剣よりも凍らせた方が良いかと、彼女はそう思考を巡らせる。段取りは狂うが、いずれにせよ、この二人を処分した後、さっさとこの国から脱出するしかない。


 だが、少女は殺気立つオリガに微笑みかけながら、平然と歩み寄ってくる。そして、天気の話でもするかのような気軽な調子で口を開いた。


「アナタをスカウトしに来たんです」


「スカウト……だと?」


 そして、彼女はニヤリと口元を歪めて、こう言った。


「ええ、私は仲間を集めてるんです。あなたの欲しいものをさしあげられると思いますよ。ねぇ、銀狼フェンリルさん」




―――――――――――――――――――

お読みいただいて本当にありがとうございます。

これにて第三章終了です。

これにて一旦完結とさせていただきますが、

世の中何が起こるかわからないもので――


なんと『コミカライズ決定』いたしました!!


本当にありがとうございます。

こういうお話をいただけたのも読者の皆さまのお陰です。ありがとうございます!


詳細は、またお知らせできるタイミングになり次第、順次ご報告させていただきます。

というわけで手持ちの書き溜めもなく、すぐお出しできるものがないので一旦、ここで完結とさせていただきますが、コミックの進行に合わせて5章、6章と書き進めていければと思いますので、しばしお待ちいただければありがたいです。

どうぞ、よろしくお願いします!



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