第118話 恋姫流星始末 その2
国王陛下が突然、亡くなったのです。王宮は当然のように混乱を極めておりました。第三王子である兄が、遺書に従って即位はしたものの、第一王子、第二王子が反発し、それぞれの派閥に分かれて睨みあうという、まさに一触即発の様相を呈しておりました。
そんな状況ですので、私も離宮の地下から解放されたというのに、あの方に会いに参ることもできません。それぞれの派閥は、互いの
日に日に募っていく想いに苦しみながら、一年、また一年と時は過ぎていきます。そして三年の月日が経った頃、遂に第一王子が反乱を起こし、第二王子がそれに呼応、一時は国を二分する戦乱に発展するかと思われました。
ところが、信じられないことが起こりました。第一王子、第二王子が事故で次々と命を落としたのです。
私は、すぐにもあの方に会おうといたしました。ですが、今度は兄がそれを許してくれません。直接お願いしてもただ寂しげに微笑むだけ。権力を手にして兄は人が変わってしまったのだろうか。厄介ごとに巻き込まれるのが嫌になってしまったのだろうか。と、私はそう
ですが、決してそういう事ではありませんでした。しばらくしてその理由が分かったのです。
兄は、これ以上、私が傷つくことを避けようとしていただけだったのです。
あの方は、すでに結婚していました。相手は同じ子爵位を持つ家の長女。普通に考えれば妥当な婚姻なのでしょう。流石に、王家の者が貴族の第二婦人、第三婦人として嫁ぐ訳には参りません。あの方と私が一緒になる道は、既に
裏切られた……とは思いませんでした。
彼も、私と同じように望まぬ婚姻を強いられてしまったのだと、そう思いました。彼に手紙を出しても返事は来ず……彼の下に届いているかどうかも分かりません。いえ、兄は私が彼にあうことには反対しているのですから。きっと届けられることは無かったのでしょう。兄は敵ではありませんでしたが、もはや味方でも無かったのです。
年を追うごと、日を追うごとに、切なさは募るばかりです。どうすることもできない無力さに、私の生活は次第に
兄が黙認してくれるのを良いことに、見目の麗しい若い男の子たちを侍らせ、鬱屈した想いを晴らすためだけのために消費していく日々。気が付けば、あれほど嫌悪した
今にして思えば、私は獣に取りつかれていたのだと、そう思います。
そんな日々が、十数年余りも続きました。
そんな
私は身の周りに侍らせていた男の子たちの髪を、全て銀色に染めさせ、男の子たちを集める役割を託していた者たちにも「銀髪の少年」を所望しました。私が銀髪を好んで周囲に侍らせていることが広まれば、銀髪の娘をメイドとして傍に置くことは、何も不自然ではなくなるからです。
返事を送り返して数週間の後、彼女は私を訪ねてやってきました。
多少、表情には乏しいものの、どことなく彼の面影のある美しい娘でした。側近の娘として、大切に育てられ、彼女は私が本当の母親であることは知りませんでした。
実際に顔を合わせるその時までは、母として存分に甘えさせてやりたいと、そんなことを考えていたのですが、いざ対面してみると、自分が母であるとは、とてもではありませんが口にすることは出来ませんでした。当然です。こんなに
ですが、人間の欲望には限りがありません。日に日に想いは募る一方です。この娘のためにも、望まぬ形で、ドレスデンの家に縛り付けられているあの方を、救い出すべきなのではないかと、私はそんな思いに捉われていったのです。
私は自分の手足となる人間を集め始めました。執事のフロービオは、王宮に出入りしていた商人のスレイマンから仕入れました。彼はカルカタ仕込みの暗殺者です。スレイマン曰く、カルカタの暗殺者は、主人には決して逆らわない。そう仕込まれていると言っていました。
次に、専属の護衛騎士として、正騎士の中から、オリガをスカウトしました。
単純に腕の立つ騎士を数名、サイクスに推挙させたのですが、私が興味を持ったのは彼女のその経歴です。
彼女の本名はオリガンティ・セルディス。あの古代の大英雄、歌劇『愛は銀嶺の彼方に』のヒロインとしても名高い銀嶺の剣姫を輩出した、永久凍土の国の名門貴族、セルディス家の出身だというのです。
セルディス家と繋がりを持てれば大きな力になると、そういう下心のある抜擢でしたが、彼女自身は既に勘当された身の上であり。そう言う点では全くの期待外れでした。ですが、それを補って余りある能力を彼女は身に着けていたのです。氷を操るという彼女の超常の力は、私の計画をより完璧なものにしてくれました。
そんな折、私の下に近衛騎士団壊滅の知らせが
――グレナダ・ドレスデン。
私の計画の最後のピースが見つかりました。ドレスデン家の誰かに私を殺させ、その罪を以てドレスデン家を誅滅する。その計画の実行の時が、遂にやってきたのです。
この時、私は本気で、あの方は私の救いを待っている。そう思っていました。あの方をドレスデンの家から解放することができる。そう思っていたのです。冷静に考えればあの方が喜ぶはずがないことぐらい、すぐにも分かろうというものですが、舞い上がってしまっていたのでしょう。
計画の実行日を定め、それに合わせて、傍に侍る男の子の一人に手紙を届けさせました。
あの日と同じように、夏の離宮であなたを待っている、と。
ですが、結局それは、私の一人よがりでしかありませんでした。
◇ ◇ ◇
しんと静まり返る離宮。陽が落ちたところで、もはや灯りを点す者はなく、真っ暗なバルコニーで
ヴェルヌイユ姫はわずかに身を震わせ、肩に羽織ったケープの両端を胸元へと引き寄せる。
彼女は、もはや王宮に戻るつもりなどなかった。心は完全に衰弱しきっている。今にも消え入りそうなほどに小さく
彼女は思う。彼のいないこの世界に未練は無い。いや、あるとすればステラノーヴァのこと。だが、彼女を託したトレド坊やは、ああ見えて生真面目な男だ。彼女のことは何も心配はないはずだ。
彼女は
夜空は美しかった。
燦々たる星々は何かを告げようとするように明滅し、絶え間なくハレーションを起しながら、空に帯のごとき光の河を描いている。星の一つ一つは違う色。一つは黄薔薇の色で、一つは青瑪瑙のごとき色、紫色の外郭、その内側に雪白の光茫を孕んでいるものもある。
彼と見上げたあの日の夜空そのまま。何一つ変わりは無かった。星は、人の営みなど我関せずと
夜空は美しかった。見れば見るほどに美しかった。
月明りの中に、銀砂のような無数のきらめきが、空を色とりどりに飾り付けていた。
彼女は思う。
だが、それを眺める私は、どうして独りなのだろう。
私の隣には、どうしてあの方が居ないのだろう。
一体、どこで道を間違えたのだろう。
それを一つ一つ検証するだけの気力は残っていない。意味も無い。
「アナタ」
声に出して、そう呼んでみる。最後の一音が暗闇に吸い込まれると、後に訪れる静寂が一層寒々しかった。妻として、あの方をこう呼ぶ日は来なかった。ソファーで夕餉の後の団欒、ステラノーヴァを間に挟んで微笑みあう私とあの方、もしかしたらそんな未来もあったのかもしれない。
虚ろな目で再び空を見上げたその瞬間、東の空で星が一つ滑り落ちた。エメラルドグリーンの尾を引いて山の向こうへと流れ星が落ちていくのが見えたのだ。虚ろな目で星の消えていった辺りを眺め、ヴェルヌイユ姫は静かに
『私は流星になりたい。長い夜を越えて、愛するあなたの下へと降りていきたい』
声に出せば、感情が溢れ出す。次第に湿り気を帯びる声。ぐちゃぐちゃで、ぐずぐずで、ぼろぼろの感情が呻き声を上げる。
『夜空に光の軌跡を描き、ぐすっ、あなたの記憶に深く刻みこまれたい。だから、幾億の夜の果て、
頬を伝って涙が滴り落ちる。良いではないか。ここには誰もいないのだ。こんな情けない泣き顔を見るものは誰もいないのだ。ヴェルヌイユ姫は、顔中をぐちゃぐちゃにして、しゃくり上げながら、嗚咽交じりに謳い続ける
『よぞらのぉのほじがぁずべで地におぢで、ぐずっ、このびがちりにがわる、その日までぇ。あだたへ愛をささやぎつづげよ……ぐすん、うぇえええええ……』
もう耐えらえなかった。悲しくて、辛くて、姫殿下は声を上げて泣いた。
その瞬間のことである。
重みに耐えかねて、
――流星群。
色とりどりの尾を曳きながら、次々と滑り落ちていく星屑。あるものは冷え冷えとした蒼、あるものは華やかな黄色、夜空をカンバスにして色とりどりの線を描きながら降り落ちていく。
呆気にとられながら見上げれば、視界の真っ直ぐ先、その夜空に、真っ赤に燃え盛る巨大な赤い流星があった。それは次第に大きさを増しながら、ゆっくりと彼女の方へと墜ちてくる。長くたなびく尾は赤とオレンジの軌跡を描いて、光の粒を振りまいていた。
「あ……あっ……」
言葉にならない声を漏らしながら、ヴェルヌイユ姫は立ち上がり、バルコニーから身を乗り出す。
(あの方の髪の色……)
地上に人工の光は一つとなく、流星は益々明るい。湖面が星の光を反射して、そこには祝福するかのように光が溢れていた。流星は、もはや目前にまで迫っている。摩擦熱で燃え上がった岩塊はガラスへと返じ、宝石のように煌びやかに輝いていた。
ベルヌイユ姫は大きく手を広げて、その瞬間を待ち受ける。哀しみの涙は歓喜の涙へと変わり、熱を持った頬をしとどに濡らしていた。
彼の声が聞こえる。いや、聞こえたような気がする。
――私は流星になりたい。次に生まれ変わる時には流星になって、愛とともにあなたへと降り注ぎたいのです。
次の瞬間、視界一杯に流星が広がって、目の前が真っ白に染まっていく。その白い光の中に、彼女は両手を広げる想い人の姿を見た。そして彼女は、涙に汚れた顔に満面の笑みを浮かべた。
「お待ち申しておりました。やっと、アナタと……」
彼女のその声は、流星が地を打つ轟音の中へと消えていった。
◇ ◇ ◇
イルとグレナダは互いに寄り添いながら、夜の街道を王都へと歩いている。随分歩いては来たけれど流石に徒歩の旅ともなれば掛かる日数は馬車の数倍にもなる。
せめてもの慰めは、昨日から天候が良くなったことだ。晴れ渡る夜空に、無数の星が煌めいている。
「おっ、見てみろよ」
イルがそう言って指さした先には流星群。次々に零れ落ちていく流れ星に、グレナダが「わぁ……」と感嘆の声を漏らした次の瞬間、彼女はピタリと動きを止めた。
「まさか……な」
そう独り言ちて、彼女は自嘲気味に口元を緩める。
振り向けば、西の空に巨大な赤い流星が、赤とオレンジの尾を長く引きながら落ちていくところ。
――グレナダ、私はな、いつか流星になりたいんだよ。
彼女の脳裏には、幼い頃、冗談めかしてそう言っていた、父の言葉が甦っていた。
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