第117話 恋姫流星始末 その1
「私は流星になりたい」
あの方が、耳元で囁いたのは今と同じ、夏が過ぎて誰も居なくなったこの離宮でのこと。二人が結ばれた、最初で最後の夜のことでした。
あの方に想いを寄せるようになった、最初のきっかけは一体何だったのでしょう。今となっては思い出すことも出来ません。ともかく、近衛騎士として私を護衛してくださっていたあの方を、私は愛し、彼もそれに応えてくださいました。王族と貴族。身分は違えど、私たちは確かに愛し合っていたのです。
この時、私たちは互いのこと以外には、何も見えなくなっておりました。愛があればどんな困難も乗り越えられる。身分の違いなど何の問題もないのだと、そう思っておりました。今思えば、何の裏付けも無い無謀な全能感、若者らしい根拠のない無敵感としか言いようもありません。
当時、この国の王――すなわち私の父は、隣国テルノワールの第二王子と私との婚約の話を進めておりました。王族の娘にとって政略結婚は当たり前。本来なら疑問を持つようなことですらありません。ですが、愛という禁断の林檎に手をつけてしまった私にとって、顔も知らぬような殿方との……いえ、彼以外の誰かとの婚姻など、もはや
私たちは、二人で手を取り合ってこの国を逃れ、一緒になることを約束したのです。
秋も深まりつつあった約束の日。私は時期としては少し早いものの、冬の離宮に滞在すると称して王宮を出て、密かにこの夏の離宮を訪れておりました。バルコニーから湖畔の
ですが、結局、あの方がそこに来ることは、ありませんでした。
その日以来、一人、部屋で泣き暮らしていた私に、見かねたメイドがこっそり教えてくれたのです。『国王陛下の側仕えの者たちから聞いた話ですが』そんな前置きから始まったその話は、私にとってあまりにも絶望的なものでした。
私たちが互いに想い合っていることが父に伝わっていたのだと。彼は父に呼び出され、一族郎党の生命を人質に、私と二度と会わないという約定を迫られ、それを受け入れたのだと。
父は
私が彼を恨むことはありませんでした。もし彼が、一族を犠牲にできるような人物であったのなら、私が愛することも無かったはずです。
私は、彼のことを忘れようと、そう心に決めました。
ですが、その矢先のこと、隣国の王子との婚姻がまとまりつつあった、まさにその頃のことです。
私はある日、猛烈な吐き気とともに、自らの身体の異変に気付きました。
妊娠していたのです。
私が愛を交わした相手はただ一人。誰の子供かを疑うべくもありません。私は焦りました。こんなことが父に知れたら、あの方の命はありません。父は私たちが想い合っていることを知ってはいましたが、身体を重ねたことは知らなかったのです。もしそれを知られたが最後、何の比喩でもなく、あの方は八つ裂きにされてしまうことでしょう。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。どうしよう。
焦りに焦って、無意識に噛んだ爪がボロボロになった頃、私は一つの決断をしました。今思えば狂気としか思えないような、そんな決断を下したのです。
翌日から私は、次から次へと若い貴族たちを部屋に引き入れ、寝所を共にし始めたのです。言葉遣いもできるだけいやらしげなものを心掛け、出来る限りいやらしい下着を身に着け、色狂いの姫が荒淫の末に子を宿したと、そういう体裁を整えたのです。必死でした。日に日に
そこまでしたのは、まだ父の耳に入っていなかったから。私が父と顔を合わせる機会は、それほどありません。他の者から自然に父の耳に入ることが望ましいのです。そして、私が淫蕩の限りを尽くした結果、妊娠したのだと、父には、そう思って貰わなければこの地獄の日々が水泡に帰するのです。
結局、父の耳に入ったのは、出産まであとひと月という頃。当然、隣国との婚約は破棄。父は烈火のように怒り、私と関係を持った貴族の子弟は、軒並み粛清されていきました。幸いにも父は、あの方と関係があるとは想像もしなかったらしく、彼に累が及ぶことはありませんでした。
問題は生まれてくる子供のことです。私と彼との愛の形そのものなのです。絶対に守らなければなりません。ですが、あの父がこの子を放っておいてくれる訳がありません。産まれてすぐに取り上げられてしまうに違いないのです。
私には味方が必要でした。相応の力があって、私に味方してくれそうな人物といえば、一人しかいませんでした。同じ母から生まれたただ一人の兄、この国の第三王子です。心優しく争いごとを好まないこの兄は、当時、父からは
私はこの兄に全てを打ち明けたのです。彼は驚き、理不尽を怒り、涙を流して協力を約束してくれました。この優しい兄の協力を得て、生まれたその日のうちに、兄の信頼に足る側近にその子を託し、王宮を逃れさせることが出来ました。逃れ先は私も知りません。知れば、王家所有の魔道具で心を読み取られてしまう恐れがあるからです。
生まれて来たその子は女の子でした。かわいい、かわいい女の子でした。私は、彼女に兼ねてから考えていた名を与えました。『新しい星』を意味する言葉『ステラノーヴァ』です。ステラノーヴァの髪は父親譲りの赤毛、見つかれば言い逃れはできません。この子を託した側近には、もし見つかったとしても、彼を決して連想させぬ髪の色――銀髪に染めて育てるようにと、言い含めました。
赤子を逃れさせたことに、父はまたしても烈火のごとくに怒りました。彼はやはり殺すつもりだったのです。これは彼が特別に残虐だという意味ではありません。王家の血は特別なものです。なにかあれば、その赤子を旗印に祭り上げて、反乱を起こす者だって現れかねないのです。生かしておくことの危険を思えば、王としては当然のことなのかもしれません。
父は、私を東の離宮、その地下に幽閉いたしました。清潔ではありますが、鉄格子の填った小さな部屋。王族専用の牢とでもいうべき場所です。扱いとしてはもはや囚人同然、処刑されなかったのは、わずかにも残った親心だったのでしょうか。このまま陽の光も当たらぬこの部屋から出ることもなく、そのまま老いて、朽ちていくのだと私は諦めていたのですが、意外なことに、わずか一ヶ月ほどで、私はそこから解放されました。
許された訳ではありません。父が亡くなったのです。
信じられませんでした。
ですが、これは私にとって幸いでした。あまりにも都合が良すぎました。あの優しい兄ではなく、他の異母兄たちが王位についていれば、父が決めた処遇を反故にすることは無かったはずです。あの優しい兄が王位についてまずなされたことは、私の解放だったのです。
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