第56話 食人鬼(マンイーター) その4

夜の住人ノクターナル……だと?」


 ザールリンクは顔を歪め、片方の眉を跳ね上げる。


 彼の視線の先には、『ぐじゅ! ぐじゅ!』と濁った水音を立てて、哀れな同僚たちを飲み込んでいくくだんの少女の姿。彼女を中心に、幾人かの騎士は腰砕けに座り込んだまま呆けている。一方、難を逃れた騎士たちは、恐怖の根源から少しでも遠ざかろうと、頬を引き攣らせながら必死に後ずさっていた。


 取り残された者と逃げ惑う者、その両者の間でザールリンクは――


「ふっ……ふはっ、ふはははははははははッ」


 何を思ったか、突然、大声で笑い始めた。


 響き渡る哄笑。少女は怪訝けげんそうに眉根を寄せた。


 彼女の粘液状の身体は、騎士たちを飲み込み終えて徐々に元の姿を形作り始めている。少なくとも五人は飲み込んだというのに、五人分の質量はどこへ行ってしまったのか、彼女の大きさにはわずかな変化も見られない。


「あらあら、怖くて気でも触れてしまったのかしら?」


「バカをいうな。語るに落ちるとは、正にこういう事を言うのだ。神話の悪魔か、伝承の魔物か、と身構えてみれば……何のことはない。ただの薄汚い暗殺者ではないか! どんな曲芸かはしらんが、所詮金の亡者のやること。いかに貴様があざけろうとも、我ら騎士団の正義が、そんな下賤な者に破れる道理はない」


「私が嘲笑したのは『正義』ではなくて、なんだけど?」


 少女は呆れたとでも言うように肩を竦める。


「それに……勝つとか負けるとか、何を勘違いしているのか知らないけれど」


 彼女はそう口にしながら、腰くだけに座り込んでいる女騎士に目を止めた。


「ひっ!」


 女騎士は喉の奥に声を詰め、イヤイヤと首を振りながら、必死に土を蹴って後ずさろうとする。少女はゆらりとその女騎士に歩み寄ると――


「私とあなたたちは、喰う者と喰われる者の関係。それ以上でもそれ以下でも無いの」


 その女騎士の頭を鷲掴みにする。


「や……やめ、ゆ、許し……」


 瞳に涙を浮かべながら懇願する女騎士に、少女は優しく微笑む。恐怖の中で思わず微笑み返す女騎士。泣き笑いの表情。だが次の瞬間、少女の手が大きく膨れ上がり、その掌に巨大な口が開いたかと思うと、身動きの取れない女騎士を頭から飲み込み始めた。


「あなたはパンが許しを乞うたら、食べるのを止めるのかしら?」


 少女の口元が邪悪に歪む。これには、ザールリンクも目を剥いた。


「貴様ッ! や、やめろ! やめないかっ!」


 だが、彼女は小煩こうるさげに鼻を鳴らすだけ。ずるり、ずるりとすすり上げるような水音とともに、なすすべもなく呑み込まれていく女騎士。やがて女騎士の姿が完全に見えなくなると、少女の全身が咀嚼そしゃくするかのように、二度三度とゆっくりと拍動し、そして元へと戻った。


 あまりにもおぞましいその光景に、ザールリンクは身動きするのも忘れて、ただ頬を引きつらせる。そして、つい根源的な疑問が口をついて零れ落ちた。


「貴様は……人間なのか?」


 少女はクスリと笑う。


「いまさら、それを聞くんだ? 化け物って呼んだのは、あなたたちなのにね。うん、いいわ、教えてあげる。人間だったというのが正解。砂漠の国、エラステネスと言う名の、今はもう存在しない街。その領主の娘として生まれ、そして死んだ。その余りにも理不尽な死に悪霊と化した私を、狂った野望に囚われた一人の死霊術士ネクロマンサーが土人形の中に封じ込めたの。自分の手駒として使うためにね。遠い遠い遥か遠い昔の話。まだ魔法が身の回りにあった時代のこと」


「それが……貴様だとでも……」


「ええ、そう。それが私。そう思えば、意外と若く見えるでしょう?」


 どうやら冗談のつもりらしい。このバケモノは、自分を恐怖させようとしている。怯えさせてもてあそぼうとしている。そう受け取ったザールリンクは、大きく息を吸い込んで、再び少女を睨みつけた。


 ――その手には乗らない。


 ザールリンクの視線が少女の首元で止まる。褐色の肌、女の細い首。彼は、キンバリーが食い殺される姿を見ている。頭をかち割ったところでこのバケモノは倒せない。だが、この化け物は頭を狙って繰り出した槍にわずかだが頬を引きつらせ、確かに躱した。やはり弱点があるとすれば、そこしか考えようがない。


 ――ならば、一撃で首を跳ねる。


 ザールリンクはそう決めて剣を握り直す。掌の汗が、ぐじゅっと不快な水音を立てた。彼の剣速はグラントベリに劣り、剣技はグレナダに劣る。だが膂力りょりょくに関しては、何物にも負けない。そんな自信がある。


「覚悟せよ! 化け物! うおぉおおおおおお!」


 剣を引き抜くと、間髪入れずに突進するザールリンク。横なぎに剣を振りかぶり、鬼気迫る表情。鬼神のごとき気迫が少女を刺し貫く。狙うは首。彼は、自身がなぞるべき剣筋を思い浮かべ、彼女の首が落ちるその瞬間を思い描いた。


 だが、彼女はうんざりしたような顔をして、ただ肩を竦める。


「いつもそう。首を落とせば死ぬだろうって、どいつもこいつも考えることは同じなのよね。騎士だの剣士だのってのは、何百年たっても全く変わらない」


「これで終わりだぁあああ!」


 ザールリンクの剛剣が閃いて、横なぎの一撃が少女へと届こうというまさにその瞬間、少女の身体に放射状に裂けめが走って、それがいきなりぜた。


 まるで、投網を広げるように。


 食虫植物が獲物に襲い掛かるかのように。


 布で包み込むかのように。


 ザールリンクの視界一杯に口を開ける巨大なアギト。放射状にびっしりと並んだ白い牙に、絶望の二文字が確かな形を成して、彼の上へと舞い降りてくる。


「ぎゃぁあああああああああああああああああ!!!」


 それは、彼が生まれて初めて発した恐怖の叫びだっただろう。


 ザールリンクを丸ごと包み込んだ少女の身体。それは大きく膨らんだかと思うと、ぐしゃり、ぐしゃりと生々しい咀嚼音を響かせて、やがて何事も無かったかのように元へと返る。


 唐突に舞い降りる、痛いほどの沈黙。夜の静寂しじま


 そして、少女は何事も無かったかのように、周囲で硬直したままの騎士たちを見回すと――


「さて、ディナーを続けましょうか」


 と、手近な場所で座り込んでいた騎士の頭を、鷲掴みにした。

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