第57話 野良犬少女クレリック その1

 騎士団宿舎に、独りの少女がもたらした殺戮の嵐が吹き荒れている頃。


 夜も更けて、道行く人の姿も絶えた裏通り。野良犬の遠吠えが遠く、近く響き渡る薄汚れた路地裏。そこに女が独り、静かにたたずんでいた。


 身体にピタリと張り付くような皮のチューブトップに、股がみの浅い際どい短袴ショートパンツ。娼婦かと見まがうような、そんな露出過剰な出で立ちにも関わらず、足下だけは、何故か場違いなほどに重厚な鉄甲入りの長靴エンジニアブーツ


 彼女は暗闇に目を細め、通りの向こうに目を凝らす。


 近衛騎士の宿舎から、スレイマンの屋敷へのルートは『銀猫』が既に調査済み。獲物を乗せた馬車は、必ずここを通るはずだ。


「さぁて……みんな! 姉ちゃん、今日もガッポリ稼ぐかんな!」


 癖の強い赤毛を掻き上げる『司祭クレリック』の二つ名を持つ暗殺者。彼女が唇の端から犬歯を覗かせてニッと笑うと、鼻の頭をまっすぐに横切る刀傷かたなきずがぐにゃりと歪んだ。



 ◇ ◇ ◇



「『司祭クレリック』に、何か特別な思い入れがおありなのです、か?」


「そう見えますか?」


「恐れなが、ら」


 目を伏せて頷く銀猫に、クリカラは静かに微笑む。


 思い入れは、確かにある。


「あなたも知っての通り、本来、暗殺者の格付けはS、A、Bの三等級。Cなどという等級はありません。彼女にはなんの呪いも宿っていませんからね……便宜上、そう呼んでいるだけです」


「じゃあ、どうし、て……」


「彼女を使うのかって?」


「……そうで、す。『司祭クレリック』の他にも暗殺者は沢山いま、す。何の呪いも宿していない、ただの娘を暗殺者として雇う必要など何も無いんじゃありません、か?」


「そうですね……」


 クリカラは静かに目を閉じると、慎重に言葉を選ぶ。言葉にしてしまえば、あの時、彼女が抱いた思いから、どうしても少しズレてしまう。それでも強いて言うのなら――


「……希望でしょうか」


「希望?」


 銀猫は、ガラス玉のような目を怪訝けげんそうに細めて、首を傾げる。


 ――やはり伝わらない。


 クリカラはわずかに苦笑しながら、古い記憶へと意識の指先を伸ばす。多少なりともあの時、自分の胸に宿った想いを伝えようと思えば、始まりから話すしかないのだと。


「少し昔話をしましょうか。今のあの娘は二代目。先代の『司祭クレリック』は北方、永久凍土の国生まれの大柄な男性で、常に凍てつくような寒さに見舞われ続けるという、過酷な呪いを宿した方でした。彼の表の顔は神父。貧民街の小さな教会で、沢山の身寄りのない子供を引き取って、面倒を見ていました」


「あのむすめといい……暗殺者が子供の面倒など、血迷っているとしか思えま、せん」


「彼は彼なりに、何か考えがあっての事だとは思いますけれど……ですが、今から十年前、彼は亡くなってしまったのです」


「もしかして、失敗……したのです、か?」


「ええ、そう。ですが、それは暗殺者の世界では良くある事。死んだ者の事を、わざわざ振り返らないというのは、この世界の鉄則です。私も、彼のことなど翌朝の朝食時には、すっかり意識の外へと追いやってしまっていました。もちろん、彼が面倒を見ていた子供の事など考えもしません」


 銀猫も、それは当然だとばかりに頷く。


「ですが……二ヵ月ほど経ったある日、みすぼらしく汚れた子供がここに押しかけて来たのです。七歳の女の子でした。もつれた赤毛に泥まみれの足下、骨と皮ばかりで目だけがギラギラしていて、野良犬のようだと思ったのを覚えています」


 クリカラは記憶を手繰り寄せる。


「全く見覚えのない浮浪児でした。さっさと追い払おうとしたのですが、彼女は私をそのギラギラとした目で見据えて、こう言ったのです『神父さまが暗殺者だったのを知っている。私の話を聞いて! じゃないと、今すぐ衛士詰所に駆け込むから!』、と」


「それはまた……怖い者知らずというか、なんという、か」


「ええ、本当に。ワタクシも呆れたものです。ですが、それで分かりました。彼女は『司祭クレリック』が面倒を見ていた孤児の一人なのだと……」


「正体を知られるとは……先代の『司祭クレリック』の失態です、ね」


「まあ、すでに死んだ者を罰することも出来ませんから……。ともかく、私も理解しました。彼が亡くなった後、子供たちは食べる者も無く、死の淵に追いやられているのだと。ですが、そんなこと私には何の関係もありません」


「当然で、す」


「実際、その時私は、そのまま売り払うのと、にバラして売り払うのと、この娘は一体、どちらの方が高く売れるだろうかと、そう考えていましたし……」


「……身寄りのない子供が、奴隷商人の屋敷に押しかければ、そうなっても仕方がありませ、ん」


 銀猫が引き攣った微笑みを浮かべ、クリカラは自嘲気味に口元を歪める。


「とりわけ、その頃の私はんでいたのです。飽き飽きしていたのです。日々持ち込まれる依頼と、そこに渦巻く汚らしい欲望、もはや一つ一つの依頼を受けるのもわずらわしく、いっその事、通りの端から順番に皆殺しにしていけば、気も晴れるのではないかと、そう思っていたぐらいです。ですから、その娘がいくら哀れみを乞おうと心が動くはずもありません。さて、この娘は食べ物を恵んでほしいというのか、金の無心をするのかと、冷ややかな目で眺めておりました。ところが意外なことに、その娘はこう言ったのです。『』、と」


「は? 七歳の子供がです、か?」


「ええ、おかしいでしょう。言葉の意味を理解するまでの数秒の間、私も随分間の抜けた顔をしていたと思います。その後はもう、我慢できませんでした。おかしくて、おかしくて。あれほど笑ったことは、後にも先にもありません」


 クリカラは、思い出したかのように口元を緩める。


「ですが、彼女は目をギラギラさせながら、こう繰り返すのです。『どんなヒトだって殺してみせる。お金が欲しい。お金がいるの』って」


「やはり、怖い者知らずとしか言いようがありません」


「ええ、本当にそう。私も子供の戯言ざれごとだと思いました。それに……こんな年端もいかない子供まで『お金、お金』と、どれだけこの世界は腐りきっているのだろうと失望すらしました。ですが、恐らく笑い過ぎたせいなのでしょう。あの時の私は、どうかしていたのだと思います」


 銀猫は思わず目を見開く。


「まさか……」


「ええ、そのまさかです。私は彼女にこう言いました。『良いでしょう。丁度、簡単な依頼が一つあります。それをこなせば、あなたを雇ってさしあげましょう』、と。もちろん、本気ではありません。憐れんだ訳でもありません。自分の欲望に殺されてしまえば良いのだと、心の底からさげすむような心持ちでそう口にしたのです」


「それで…………その娘は仕事を受けたのです、か?」


「ええ、何度も何度も頭を下げて、嬉しそうに礼を言って……。この娘は頭がおかしいのだと、私にはそうとしか思えませんでした。確かに彼女に与えた仕事は簡単なものです。暗殺者たちならば、呆れるほどに楽な仕事でした。標的は、北門詰所に所属する衛士の一人です」


「衛士……」


 もの言いたげな銀猫を見据えて、クリカラはこくりと頷く。


「衛士にも色んな人間がいます。標的となった男は、ことあるごとに賄賂を要求し、支払わなければ罪をでっちあげて投獄する。そんなことを繰り返しているならず者でした。依頼人は我が子を無実のままに獄中死させられたご婦人です」


「……どうしようもない小物です、ね。確かに、夜の住人ノクターナルの暗殺者なら、誰に任せても問題ない相手なのでしょう、が」


「ええ、腐っても衛士。日常的に剣を振るっているような人間です。私もあんな子供に、どうこう出来る相手だとは思っておりませんでした。そうですね。思い返してみれば、獅子が獲物をなぶるような……そんな心持ちだったような気もします」


「……非道いお人だ」


 ため息交じりに銀猫がそう呟いて、クリカラが苦笑する。


 それは暗殺者集団の元締めとしては、誉め言葉と受け取るべきなのだろうか。


「とはいえ、その娘が殺されて『はいお終い』という訳には参りません。依頼は依頼として、ちゃんと達成されねばなりませんからね」


「それはもちろんで、す」


「そこで、私は『古狼アルトヴォルフ』という暗殺者を、彼女の補助につけることにしました。


「『古狼アルトヴォルフ』? ……聞いたことありませんけれ、ど」


「知らなくて当然でしょうね。彼が引退したのは、もう随分以前のことですから……。補助とは言っても、その娘のことを手伝わせるつもりはありません。私は彼にこう依頼したのです。その少女が殺されるなり、逃げ出すなりした後、速やかに標的を境界線の向こう側へ。もし逃げ出したなら、標的もろとも、娘にもとどめをさしてください、とね」


 そう言って、クリカラは緑のカーテンの向こう側をじっと眺めた。


「あの日もこんな静かな夜。路地裏に野良犬たちの遠吠えが、やけに大きく響いていたのを覚えています」

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