第69話 婚礼始末 その1

 アラミス公の告発によって陰謀は暴き出され、近衛騎士団は解体。フロインベールはミラベルとゴアの側について、テルノワール共和国に対し、正式に宣戦を布告した。


 併せて、姫殿下の衛士団長引退が公表され、陰謀に加担してはいなかったものの、近衛騎士団第三位であったグレナダは当面、謹慎という事になった。近衛騎士団がグレナダを残して全滅したことについては、一切触れられていない辺り、どうやら箝口令かんこうれいが敷かれているらしい。公式の記録では多分、騎士たちは投獄され、後に処刑されたと記されることになるのだろう。


 そんな訳で、イルたちの東門衛士団については団長不在。当面の処置として、元副団長のターリエンが団長代行に任じられた。なにせ宣戦布告は済んだのだ。出兵の日はすぐそこまで迫っている。新しい団長が決まるまで、無為に過ごすという訳にもいかない。


 東門の衛士たちは、団長代行のターリエンの指揮の下、日々の業務と訓練に明け暮れる。


 失恋のショックからどうにか立ち直ったこのチョビ髭親父は、これまで以上にイルを目の敵にして、陰湿で陰険、理不尽にいびってきた。気持ちは分からなくもないが、イルにしてみればとんだとばっちりとしか言いようがない。別に好き好んで惚れた女を奪い取ったという訳じゃないのだ。


 とはいえ、奪い取った事に違いは無い。結局、あのままリムリムはイルの家に居ついてしまった。勘違いの無いように言っておくが、別に手を出したりはしていない。っていうか、義母と義妹のいる二部屋しかない長屋で、そんなことなど出来るはずが無い。


 リムリムも別に迫ってきたり、誘惑してくるような事も無く、ニーシャと一緒になってイルに説教をかましてきたりする。偽物には違いないが、どうやら『家族』というものを楽しんでいる雰囲気があった。イルとしては、お前は一体何しに来たんだという気もしないでも無いのだが、彼女がそれで良いのなら良いのだろう。どちらにしろ、受け入れることなど出来はしないのだから。


 だが一度だけ、何をトチ狂ったのか、リムリムが衛士団詰所に押しかけて来た事がある。昼休みに入ってすぐの時間帯。「お前さんと一緒に食べようと思ってさ」などと言いながら、唐突に弁当を差し出してきたのだ。これには往生した。詰所の端でチョビ髭親父は、かっさかさに干からび、独り身の衛士たちの嫉妬の視線がイルの背中に突き刺さる。家族持ちの連中は「ひゅー、ひゅー!」と年甲斐もなく囃し立てた。まったく勘弁して欲しい。……その、嬉しくなかった訳じゃないけれど。


 兎にも角にも、それなりに平和な日々が続いていた。


 そして数週間が経ったある日のこと。


 王宮で行われていた四門衛士団の団長総会から帰ってくるなり、ターリエンは団員皆を集め、やけに真面目くさった顔で皆を見回した。


 出兵の日が決まったのだろう。誰もがそう思ったのだが、チョビ髭親父の口から飛び出したのは、もっと意外な一言だった。


「…………グレナダさまが、戻ってきまス」


 その一言に、衛士たちは「えぇーっ!?」と思わず絶望的な声を上げる。あの地獄の日々が、彼らの頭の中をよぎっているのだろう。各所から苦悶の声が聞こえてきた。頭を抱える衛士たちの中、力自慢の大男ディドが、声を震わせながら問いかける。


「そ、それは他に異動する前に、挨拶に立ち寄るってことですかい?」


 だが、希望にすがるような、その問いかけは瞬時に打ち砕かれる。


「いいえ、グレナダさまは、に、我が衛士団の団長に就任されることになりまシた。……皆さん、それなりの覚悟をすルように」


 途端に、苦悶の声さえ途絶える。重苦しい沈黙が衛士たちの上にし掛かった。だが、不思議だったのは、チョビ髭親父がちっとも嫌がっているように見えないこと。真面目腐った顔をしているがどこか嬉しそうにすら見えた。


 ターリエンの説明によれば、近衛騎士団の陰謀に加担していなかったとはいえ、グレナダは同僚たちの暴走を食い止められなかったとがで、騎士爵を剥奪。貴族ではあるが、東門の衛士団団長として、最前線送りになったのだという。


(どうすんだよ、それ……)


 イルは思わず頭を抱える。無論、グレナダの身の上に同情した訳でも無ければ、彼女のシゴキに怯えた訳でもない。ウソだ。ちょっと怯えた。


 ……それはともかく、一番大きな問題は、彼女がイルの正体を知っているという事なのだ。いや、知っているからこそ、此処に配属されたと考えるべきだろう。つまりあの陰険兄貴とクリカラの間で何らかのやりとりがあって、此処に配属されたのだ。どう考えても、イルに監視しろと言っているようにしか思えない。


(まったく、何考えてやがる)


 もしかしたら、あの陰険兄貴の嫌がらせではないだろうか。


 イルにしてみれば、そう疑うのも無理からぬこと。家に帰れば帰ったで、義妹と愛人に説教されて心の休まる暇はなく、詰所は詰所で、ターリエンにいびられる。その上、あのドS女までやってくるとなれば、正直イルの鈍い神経をもってしてもショート寸前。嫌がらせだと思えば、これほど効果的なことも無い。


「……まさか戦場に出る日が、こんなに待ち遠しくなるとは」


 普通なら絶対にあり得ないことだが、アイツらの相手をするぐらいなら、戦場で敵の兵士と睨みあっているほうがどれほど楽か。イルは真剣にそう思う。


 東門衛士団は基本的にアホばっかりなので普段は何かと賑やかなのだが、今は葬儀の真っ最中のような雰囲気である。肩を落としながら、暗い顔で訓練を再開する衛士たち。ターリエンはそれをちらりと見やって「あー、コホン。イルくん、ちょっと」と、唐突にイルを手招きした。


「はぁ、なんすか?」


「グレナダさまについて、ちょっと相談がありましてね。アナタ、彼女と数日間一緒に行動していましたヨね? 彼女とは親しくなりまシたか?」


「嫌われてますね。一応話ぐらいは出来ますけど……」


「結構! 話は出来るが嫌われているとは、好都合ですヨ!」


 ターリエンは、愉快げに手を叩いてにんまりと微笑む。うん、イヤな予感しかしない。


「イルくん、彼女は……美しいと思いまセンか?」


「え、はあ、まあ」


 その点に関して異論はない。あのキツイ性格を全力で無視すれば見た目は、見た目だけは! 絶世の美人だと言ってもいい。もう一度言う、見た目だけは。


 イルのその消極的な返事に満足そうに頷いて、ターリエンは更に言葉を連ねる。


「ああいう手合いは、私の経験上、惚れた男には尽くすタイプだと思うんでスよね。ああいう女性に尽くされるというのは、素晴らしいことだと思いませんか?」


「はぁ」


 イルが怪訝そうに眉をひそめると、ターリエンはチョビ髭を撫でながら、ニヤッと笑った。


「そこで、彼女の前で私のことを褒めたたえて欲しいのです」


「……またですか」


 まったく、懲りない親父である。リムリムに続いてグレナダとは、目が腐ってんじゃないだろうか? いやどっちもそれなりに見た目は良いのだから、見る目がないというべきか。


「ふふん、副団長として、彼女と、一番長い時間一緒に行動することになるのは、ワタシですからね。時間とともに愛が芽生えても、何もおかしなことではありまセン」


 イルは胸の内で(ねーよ)と呟いて、愛想笑いを浮かべる。


「気は強くとも、あれだけ美しい女性です。そう女性ならば、恋に落ちぬはずはありません。私が花なら、彼女は蝶。蝶は花に止まらずにはおれないはずなのでス」


(なに言ってんだ、コイツ)


「それに、騎士爵は失おうとも彼女が貴族であることに変わりはありません。もし彼女の心を射止めて結婚することが出来れば、ワタシも晴れて貴族の仲間入りでス」


 あ、なるほど、そういう事なら理解できる。貴族になりたいというのが、本音だと言うのなら。


「もちろん、タダでとは言いまセンよ? そろそろ訓練を多少緩めてもよいかなと思っていまス」


「……はい、わかりました」


 この陰湿なイビリをやめてくれるというのなら、手伝ってやるぐらいの価値はある。イルはそう判断して頷く。だが、上手くいくとは欠片かけらも思っていない。多少手を貸したとしても、これは最初から勝ち目のない戦いだと思う。流石にあのグレナダが、このチョビ髭親父の手に負えるタマとも思えない。


 そんなイルの思いがターリエンに伝わる訳も無く、彼は満足そうに頷いて、こう言った。


「今日の夕方、就任の挨拶のために此処に立ち寄られると聞いていまス。最初が肝心でスからね。頼みましタよ!」



 ◇ ◇ ◇



 訓練も終盤。西の空が赤く色づく頃合いになって、通りの方で馬車の停まる音が響いた。その音を耳ざとく拾って、ターリエンが声を上げる。


「全員、整列! 新団長をお迎えしまスよ!」


 慌ただしく向い合せに並んで花道を作る団員たち。イルの正面に立ったターリエンが、しきりに目配せしてくる。


(わかってますってば)


 声を出さずに唇の動きだけでそう応じると、ターリエンは満足そうに頷いた。


 グレナダの着任の挨拶が終わった後で、ターリエンと一緒にグレナダに話しかけ、このチョビ髭親父を強く押し出してやる。そんな段取りになっている。正直、上手くいくとは微塵も思わないが、やらない訳にもいかない。


 イルが思わずため息を吐くと、隣に立っている先日子供が生まれたばかりの衛士クリンスマンが、「わかる」と頷いた。グレナダのしごきを思い出しているとでも思ったのだろう。


 やがて詰所の扉が開いて、練兵場の内へと一人の女性が入ってくる。「えっ?」誰かが思わずそう声を漏らしたのを皮切りに、風に揺れる葦のようなざわめきが衛士たちの間から溢れ出した。


 入ってきたのはグレナダ。それで間違いは無い。だが、衛士たちが戸惑ったのは彼女のその恰好である。いつもの武骨な甲冑姿ではなく、まるで深窓の令嬢だと言わんばかりの、フリルをふんだんに用いた薄桃色のドレス姿だったのだ。


 だが、冷静に考えてみれば、彼女も貴族のお嬢さまである。おかしなことではない。……ないのだが、イルをはじめとする衛士たちにしてみれば、まるで珍獣を眺めるかのような心地であった。


 呆気にとられたかのような空気の中で、ターリエンが戸惑いながらも声を上げた。


「新団長殿! お待ちしておりまシた!」


 すると、グレナダが衛士たちの顔をぐるりと見回して、クスリと笑う。


「ああ、みんな、驚かせてしまったようだな。すまない。これでも一応子爵家の娘なのだ。職務を離れれば両親の手前、多少なりとも淑やかにすることを求められるのでな」


 そのいつもと変わらぬ物言いに、団員たちの間から戸惑いの空気が晴れていく。おかしなもので、多少横柄なその物言いに、安堵したとでも言うような雰囲気が広がっていった。


 とはいえ、グレナダの挙動は淑女のそれ。いつものがさつな歩き方ではなく、スカートを小さくつまんで、武骨な男たちが作る花道をしゃなりしゃなりと、上品に奥へと歩みを進めていく。


 彼女は衛士たちの作る、むさ苦しい花道を通り過ぎ様にイルの姿を見つけると、どういうわけか、意味ありげな視線を向けてきた。


(なんだ? まさか、俺の正体をばらそうってわけじゃねぇだろうな)


 いきなり警戒心はマックス。思わずグレナダの背を睨みつけるイル。そんな彼を置き去りにして、彼女は練兵場の一番奥、一段高いところへ登ると、振り返って衛士たちを見回す。


「新団長殿の訓示であル! 皆の者! 気をつケ!」


 ターリエンの鯱張しゃちほこばった物言いに、グレナダがまたもクスリと笑う。すると、チョビ髭親父はどこか嬉しそうに、イルの方へと視線を向けてくる。わかったから、こっち見んな。一方、グレナダもぐるりと衛士たちを見回した後、イルのところで視線を止めた。オマエもこっち見んなってば。


 彼女は一つ咳払いをすると、にこやかに微笑んで口を開いた。


「あー楽にしてくれ。こんな格好で済まないな。今日は二つ、皆に知らせておきたいことがある。一つは、知っての通り、私がこの東門衛士団の団長に就任することになったということ。そしてもう一つだが……いや、私事で申し訳ないのだが……」


 そこで、彼女は顔を赤らめて、モジモジと身をよじった。






「その……のだ、私は」






 その瞬間、衛士たちは目を見開いた。


、鬼団長が結婚!? どこの物好きだ!?)と、衛士たちは信じられないという思いを視線に載せて、互いに顔を見合わせた。もちろん、イルも同様である。


 結婚「」ではなく「」。完了形である。ということは、随分以前から話が進んでいたという事なのだろう。


 憐れ、アピールする暇もなく失恋することになったターリエンの方へと目を向けると、チョビ髭親父は、またしてもカッサカサにしおれていた。これには流石にイルも同情を禁じ得ない。


 そんなチョビ髭親父の様子になど気づくはずもなく、グレナダは頬を赤らめたまま、コホンと咳払いをした。


「あー、無論、これから戦場へ赴こうというのだ。今すぐ職務を放棄するつもりなどないが、先々には子も欲しいと思っているからな……いつ何時、職を辞することにもなりかねない。だから、皆にはちゃんと告げておかねばならないと、そう思ったのだ」


 ざわめきがひとしきり落ち着くと、衛士たちの頭によぎるのは同じ思いである。


(結婚して、女らしくなってくれさえすれば、多少なりとも自分たちにも優しくなってくれるかもしれない)


 ならば、結婚万歳。結婚万歳。大歓迎である。


「おめでとうございます!」


 誰かがそう声を上げると、衛士たちは次々に祝福の声を上げる。


「う、うむ、ありがとう。実は、つい先ほど総務省に婚姻届けを提出してきたばかりなのでな。まだ人の妻になった実感は無いのだが……」


 照れくさそうに笑うグレナダは、イルの目にも、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、可愛らしく見えた。たしかに、そうやってドレスを纏って笑っていれば、類まれなる美女なのだ。甲冑なんかより全然そっちの方が似合っていると思う。


 グレナダはイルの視線に気づくと、照れて耳まで赤くしながら、唐突に「こっちへこい」と手招きした。


 イルは思わず怪訝そうに首を傾げる。結婚祝いに血祭に上げようって訳でも無いのだろうが、正直イヤな予感しかしない。だが、団長命令と思えば、逆らう訳にもいかないのだ。


 イルがグレナダの傍へと歩み出ると、彼女は何のつもりか、その手をとって団員たちへと向き直る。


 そして、幸せそうに微笑みながらこう言った。




「あらためて紹介しよう。――イルだ」

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