第54話 食人鬼(マンイーター) その2
緑のカーテンに覆われた部屋。そこに、ガラス玉のような目をした少年が音もなく戻ってきた。クリカラはアラミス公より
「銀猫、いかがでしたか?」
「はい、『
困惑顔の銀猫に、クリカラは手を止めて苦笑する。見た目に騙されることなく、
「
「できれば……二度と会いたくありません。赤猫の記憶に残っていましたから
「ふふふ、敵に回さなければ、無害なものですよ」
「……はい。ですが、恐ろしいのです。暗殺者たちは皆、人間離れしておりますが、アレは……人間離れどころか、人間ですらありません」
「そうですか。とはいえ、アレも元々は人間だったのだと……『
「
「なんでも彼と
「では、あの二人は
「さぁ……それは分かりません。『
「……季節の贈り物?」
銀猫が思わず眉根を寄せて、表情に浮かび上がった困惑の色がますます濃くなった。
◇ ◇ ◇
ところ変わって近衛騎士団宿舎。宿舎とは言いながらも、この建物はサン・トガンの街が戦場となった際には籠城できるよう、要塞さながらに高い壁に囲まれている。
そんな物々しい宿舎のエントランス前、
サイクスとの会談を終えた大商人、スレイマンであった。
サイクスとベルモンドの姿こそ無いが、エントランスには近衛騎士たちが、見送りのためにずらりと並んでいる。たかが商人とはいえ、この男は近衛騎士団に多額の寄付を寄せてくれるパトロンなのだ。粗末な扱いなど出来ようはずもない。
「では、私はこれで」
「はっ! お気をつけて!」
キャビンの窓を開けて、スレイマンが上機嫌に挨拶をすると、騎士たちは直立不動で敬礼を返す。はた目には、まるで王侯に接するような態度であった。
「門を開けろ!」
この場における最上位、第八位の近衛騎士――キンバリーがそう声を上げると、門の傍に控えていた騎士団付きの兵士たちが、慌ただしく重い門を押し開ける。
門の向こうは大通り。夜は更け、日付が変わって既に久しい。人通りはない。馬車がゆるりと動き出し、門前の噴水の脇を通って大通りへと走り出ていく。
やがて、馬車の姿が見えなくなると、キンバリーは思わず「ふぅ」と大きく息を吐き出した。
(まったく……。こんなことで緊張せねばならんとはな)
近衛騎士の多くは貴族階級の出身である。彼らにしてみれば、いかに大商人といえどスレイマンは庶民である。ここまで下手に出ねばならない事については、やはりプライドが
そうして騎士団を追われた者もいる。グレナダのことにしてもそうだ。
彼女に対する謀略は、もはや騎士団の中で知らぬものはいない。騎士団にとっての政敵であるアラミス公と密かに通じていたと、そう聞かされてはいるが、そんなこと誰も信じてはいない。だが、団長とスレイマン、この二人に
この騎士団で栄達を望むのであれば、従順であることを求められるのだ。
「それでは、休むとしよう」
キンバリーは居並ぶ騎士たちにそう声をかけて、門に背を向ける。だが、それと同時に、背後から門を
「こんな時間に何の用だ!」
振り返ってみれば、開いた
「火急の要請にて、王宮より参りました。団長さまにお取次ぎいただきたく存じます」
キンバリーは思わず首を傾げる。
こんな夜更けに、少女一人を寄こすような状況とは、一体なんだろうか?
無論、疑問に思ったのはキンバリーばかりではない。この場に居並ぶ騎士たちの視線は、もれなく少女の方へと集まっている。だが、彼女は怯えるでもなく、愛想を振りまく訳でもなく、まるで人形のように無表情のまま。
「火急の要請とは何だ! 国王陛下からか?」
キンバリーが声を張り上げると、彼女はやはり無表情のままに応じる。
「団長さまにのみ、直接お伝えせよと固く命じられております」
騎士たちは互いに顔を見合わせて頷きあう。普通ではない。普通では無いがゆえに、何かしらの変事があったに違いない。そう理解したのだ。
「では、こちらへ来るが良い!」
キンバリーがそう声を上げると、少女は楚々とした様子で庭先へと足を踏み入れ、騎士たちの方へと歩み寄る。彼女を門の内側へ招き入れると、兵士たちは重い扉を閉じた。
(グレナダのこと……いや、姫殿下のことだろうか?)
後ろ暗いことがあれば、意識はそこへと向かうもの。キンバリーは落ち着かない思いに捉われながら、傍へと歩み寄ってきた少女の姿を眺める。恐らく王宮付きのメイドなのだろうが、徹底的な無表情。ゆえにその表情から読み取れるものは何もない。だからこそ使者として選ばれたのかもしれない。
キンバリーはそう納得した。そして――
「では、ここでしばし待て!」
そう告げて、彼が少女に背を向けたその瞬間――
――彼のその短い人生が、
◇ ◇ ◇
キンバリーは幸福だった。
死んだことに違いは無いが、それでも恐怖を覚える
ディクスンが入団試験を通過して、近衛騎士になったのは今年の春のこと。彼は
キンバリーが
(……可憐だ)
そこにいたメイドは、楚々とした大人しそうな少女である。暴力的な姉と、兄を兄とも思わぬような妹に挟まれて育ってきた彼にとって、そのメイドは彼の理想を体現したかのような少女だった。
王宮勤めのメイドであるならば、もしかすると、先々にもお近づきになれる機会があるかもしれない……などと考えながら、うっとりした心持ちで彼女を眺めていたのだ。
「では、ここでしばし待て!」
キンバリーのその一言を上の空で聞いていたディクスンは、少女の顔の真ん中に、唐突に黒い一本の線が浮かび上がるのを見た。それを『何?』と考えるだけの暇も無かった。
次の瞬間、
もちろん、声を上げる
少女の頭、そのぬめぬめとした赤黒い断面。そこには鋭い牙がビッシリと並んでいた。そして二つに割れた彼女の頭が、不定形に形を変えながらキンバリーへと喰らいついて、彼の胸から上を食いちぎったのだ。
噴水さながらに吹きあがる血しぶき。胸から上を食いちぎられたキンバリーの身体が、糸の切れた人形のように膝から崩れ落ちる。大理石の床をキンバリーの甲冑が叩いて、鈍い金属音が塀の内側を幾重にも反響した。
「う、うわぁあああああああああ!」
「ば、化け物だぁあああ!」
騎士たちは互いに甲冑をぶつけ合い、腰砕けになりながらガタガタガタッと後ずさる。一様に青ざめた顔、引き攣った顔、栄光ある近衛騎士にあるまじき情けの無い有様ではあるが、そんな彼らを誰が責められようか。大きく見開いた彼らの目には、この世のものとは信じがたい、
糸を引く紅い
彼らが知る
それは、一切の比喩の無い――ただの
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