第54話 食人鬼(マンイーター) その2

 緑のカーテンに覆われた部屋。そこに、ガラス玉のような目をした少年が音もなく戻ってきた。クリカラはアラミス公よりもたらされた金貨を十枚づつ丁寧に積み重ねながら、手元に視線を落としたまま少年へと問いかける。

 

「銀猫、いかがでしたか?」


「はい、『司祭クレリック』はいつも通り、『食人鬼マンイーター』も問題ありません。ありませんが…………は一体、何なんでしょう?」


 困惑顔の銀猫に、クリカラは手を止めて苦笑する。見た目に騙されることなく、の正体を見通すことが出来たなら、そういう感想になるのも無理からぬこと。クリカラ自身も初めて面会した時には相当困惑もしたし、それ以上に、湧き上がってくる恐怖の感情を抑えるのに必死だった。


は……として受け入れるしかありません。考えたところで分かる訳も無いのですから」


「できれば……二度と会いたくありません。赤猫の記憶に残っていましたから姿容すがたかたちは知っておりましたが、まさかあんな……」


「ふふふ、敵に回さなければ、無害なものですよ」


「……はい。ですが、恐ろしいのです。暗殺者たちは皆、人間離れしておりますが、アレは……人間離れどころか、人間ですらありません」


「そうですか。とはいえ、アレも元々は人間だったのだと……『不死王ノーライフキング』からはそう聞いています」


不死王ノーライフキング? 確かに今日も彼は傍にいましたが、あの二人は一体、どういった関係なのでしょう?」


「なんでも彼とは遠い昔、激しく殺し合った間柄なのだそうです。現在は二人して同じ人間を探しているのだとか、一方は殺すために、一方は守るために」


「では、あの二人はかたき同士……ということなのでしょうか?」


「さぁ……それは分かりません。『不死王ノーライフキング』の方は休戦中と、そう言っていましたね。現在は探している人物について互いに情報交換しあったり、四季の区切りには季節の贈り物を贈り合う間柄なのだとか」


「……季節の贈り物?」


 銀猫が思わず眉根を寄せて、表情に浮かび上がった困惑の色がますます濃くなった。



 ◇ ◇ ◇



 ところ変わって近衛騎士団宿舎。宿舎とは言いながらも、この建物はサン・トガンの街が戦場となった際には籠城できるよう、要塞さながらに高い壁に囲まれている。


 そんな物々しい宿舎のエントランス前、へいに囲まれた庭先には今、横づけされた馬車に乗り込む五十がらみのでっぷりと太った男の姿がある。


 サイクスとの会談を終えた大商人、スレイマンであった。


 サイクスとベルモンドの姿こそ無いが、エントランスには近衛騎士たちが、見送りのためにずらりと並んでいる。たかが商人とはいえ、この男は近衛騎士団に多額の寄付を寄せてくれるパトロンなのだ。粗末な扱いなど出来ようはずもない。


「では、私はこれで」


「はっ! お気をつけて!」


 キャビンの窓を開けて、スレイマンが上機嫌に挨拶をすると、騎士たちは直立不動で敬礼を返す。はた目には、まるで王侯に接するような態度であった。


「門を開けろ!」


 この場における最上位、第八位の近衛騎士――キンバリーがそう声を上げると、門の傍に控えていた騎士団付きの兵士たちが、慌ただしく重い門を押し開ける。


 門の向こうは大通り。夜は更け、日付が変わって既に久しい。人通りはない。馬車がゆるりと動き出し、門前の噴水の脇を通って大通りへと走り出ていく。


 やがて、馬車の姿が見えなくなると、キンバリーは思わず「ふぅ」と大きく息を吐き出した。


(まったく……。こんなことで緊張せねばならんとはな)


 近衛騎士の多くは貴族階級の出身である。彼らにしてみれば、いかに大商人といえどスレイマンは庶民である。ここまで下手に出ねばならない事については、やはりプライドがきしむのを避けられない。だが、スレイマンがサイクスに一言告げ口をすれば、近衛騎士団における彼らの立場はあっさりと悪くなるのだ。


 そうして騎士団を追われた者もいる。グレナダのことにしてもそうだ。


 彼女に対する謀略は、もはや騎士団の中で知らぬものはいない。騎士団にとっての政敵であるアラミス公と密かに通じていたと、そう聞かされてはいるが、そんなこと誰も信じてはいない。だが、団長とスレイマン、この二人になびかぬものは、今日までのうちに様々な言いがかりをつけられ、すでに騎士団から遠ざけられている。近いところでは第七位の近衛騎士キングスレイも、グレナダを庇って、団長に異議を唱えた翌日に死体で見つかった。なぜか真夏の夜に凍死体として。


 この騎士団で栄達を望むのであれば、従順であることを求められるのだ。


「それでは、休むとしよう」


 キンバリーは居並ぶ騎士たちにそう声をかけて、門に背を向ける。だが、それと同時に、背後から門をまもる兵士たちの誰何すいかの声が聞こえてきた。


「こんな時間に何の用だ!」


 振り返ってみれば、開いた門扉もんぴの向こう側に、メイド服をまとった少女の姿が見えた。年のころは十四、十五ぐらいだろうか、肩までのまっすぐな黒髪に紅い瞳。褐色の肌を持つ南方の生まれと思われる少女である。彼女は表情一つ変えず、やけに平板な口調で、兵士の問いかけにこう応えた。


「火急の要請にて、王宮より参りました。団長さまにお取次ぎいただきたく存じます」


 キンバリーは思わず首を傾げる。


 こんな夜更けに、少女一人を寄こすような状況とは、一体なんだろうか?


 無論、疑問に思ったのはキンバリーばかりではない。この場に居並ぶ騎士たちの視線は、もれなく少女の方へと集まっている。だが、彼女は怯えるでもなく、愛想を振りまく訳でもなく、まるで人形のように無表情のまま。


「火急の要請とは何だ! 国王陛下からか?」


 キンバリーが声を張り上げると、彼女はやはり無表情のままに応じる。


「団長さまにのみ、直接お伝えせよと固く命じられております」


 騎士たちは互いに顔を見合わせて頷きあう。普通ではない。普通では無いがゆえに、何かしらの変事があったに違いない。そう理解したのだ。


「では、こちらへ来るが良い!」


 キンバリーがそう声を上げると、少女は楚々とした様子で庭先へと足を踏み入れ、騎士たちの方へと歩み寄る。彼女を門の内側へ招き入れると、兵士たちは重い扉を閉じた。


(グレナダのこと……いや、姫殿下のことだろうか?)


 後ろ暗いことがあれば、意識はそこへと向かうもの。キンバリーは落ち着かない思いに捉われながら、傍へと歩み寄ってきた少女の姿を眺める。恐らく王宮付きのメイドなのだろうが、徹底的な無表情。ゆえにその表情から読み取れるものは何もない。だからこそ使者として選ばれたのかもしれない。


 キンバリーはそう納得した。そして――


「では、ここでしばし待て!」


 そう告げて、彼が少女に背を向けたその瞬間――


 ――彼のその短い人生が、



 ◇ ◇ ◇



 キンバリーは幸福だった。


 死んだことに違いは無いが、それでも恐怖を覚えるいとまさえ無かったのは、やはり幸いだったと言える。それに対してキンバリーの死に始まる惨劇の、その一部始終を目の当たりにすることとなった近衛騎士二十五位のディクスンなどは、不幸としか言いようが無い。


 ディクスンが入団試験を通過して、近衛騎士になったのは今年の春のこと。彼はいまだ見習い扱いの少年騎士であった。


 キンバリーがくだんのメイドに背を向けた時、ディクスンは彼女のことをじっと見つめていた。警戒していた訳ではない。その視線には憧れに近い感情が宿っていた。


(……可憐だ)


 そこにいたメイドは、楚々とした大人しそうな少女である。暴力的な姉と、兄を兄とも思わぬような妹に挟まれて育ってきた彼にとって、そのメイドは彼の理想を体現したかのような少女だった。


 王宮勤めのメイドであるならば、もしかすると、先々にもお近づきになれる機会があるかもしれない……などと考えながら、うっとりした心持ちで彼女を眺めていたのだ。


「では、ここでしばし待て!」


 キンバリーのその一言を上の空で聞いていたディクスンは、少女の顔の真ん中に、唐突に黒い一本の線が浮かび上がるのを見た。それを『何?』と考えるだけの暇も無かった。


 次の瞬間、のだ。


 もちろん、声を上げるいとまなどあろうはずがない。


 少女の頭、そのぬめぬめとした赤黒い断面。そこには鋭い牙がビッシリと並んでいた。そして二つに割れた彼女の頭が、不定形に形を変えながらキンバリーへと喰らいついて、彼の胸から上を食いちぎったのだ。


 噴水さながらに吹きあがる血しぶき。胸から上を食いちぎられたキンバリーの身体が、糸の切れた人形のように膝から崩れ落ちる。大理石の床をキンバリーの甲冑が叩いて、鈍い金属音が塀の内側を幾重にも反響した。


「う、うわぁあああああああああ!」


「ば、化け物だぁあああ!」


 騎士たちは互いに甲冑をぶつけ合い、腰砕けになりながらガタガタガタッと後ずさる。一様に青ざめた顔、引き攣った顔、栄光ある近衛騎士にあるまじき情けの無い有様ではあるが、そんな彼らを誰が責められようか。大きく見開いた彼らの目には、この世のものとは信じがたい、おぞましい光景が映っている。


 糸を引く紅いよだれ。『ぐじゅっ! ぐじゅっ!』と濁った水音を立てて、キンバリーの首を咀嚼そしゃくしながら、心臓のように拍動を繰り返している。しかも、彼女のその目は、騎士たちの方を眺めながらわらっていたのだ。


 彼らが知るよしもない事ではあるが、この少女の、暗殺者としての二つ名は『食人鬼マンイーター』。


 それは、一切の比喩の無い――ただのだった。

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