第53話 食人鬼(マンイーター) その1

「終わる頃に迎えに行こうか、マリールー? 本当に独りで宿まで戻れるかい?」


「バカにしすぎでしょ? いくらアタシでも来た道を戻るぐらいで迷う訳ないじゃない。とりあえず騎士団宿舎ってところまで連れて行って貰えれば、問題ないわよ」


「ははは、問題ないねぇ……。そう言って砂漠の国エスカリス・ミーミルに向かったはずなのに、磁器の国ネーネアに辿り着いたのは、どこの誰だったかな?」


「さて、なんのことやら」


 軽口を叩きながら旅の剣士らしき赤毛の男と、メイド服姿の少女が貧民街の細い路地を大通りの方へと下っていく。周囲の風景にそぐわぬ小ぎれいな装いの二人。とりわけ少女の方は美しい。褐色の肌に紅玉の瞳。肩までのまっすぐな黒髪は絹糸のごとし。表情こそ乏しいが、それもまた人形めいた魅力を醸し出していた。


 遠ざかっていくそんな二人の背を感情の無い目で眺めていた銀猫は、静かにきびすを返すと貧民街を路地裏の方へ。やがて彼は、小さな教会の前で足を止めた。


 サン・トガンの西側、雑然とした貧民街の路地裏に、ひっそりとたたずむ小さな教会。ステンドグラスは破れ、赤レンガの壁は朽ちて剥がれ落ち、何も知らない者であれば廃墟と見まがうようなみすぼらしい教会である。


 銀猫は、その裏手に建てられた今にも崩れ落ちそうな小屋に、幼い子供たちが身を寄せ合って眠りについていることを知っている。この教会は孤児院でもあるのだ。


 把手とってに手をかけると、微かなきしみと共に扉が開いた。中は真っ暗。灯りの一つも灯っていない。火を灯す油ですら、ここでは贅沢品なのだ。銀猫が足音一つたてることもなく、礼拝堂に足を踏み入れると、暗闇の中、救世主の像の前にひざまずいて、熱心に祈りを捧げる修道女シスターの姿がある。


 瞳の色はくれない。髪の色もネーデル人らしい燃えるような赤毛。顔はあどけなさを残しているというのに、鼻の頭に走る横一文字の傷が、その若さを痛々しいものにしていた。


「『司祭クレリック』……仕事だ」


 真っ暗な礼拝堂に銀猫の抑揚のない声が響く。だが彼女に狼狽うろたえる様子はない。むしろ、ホッとしたような顔をして、背後を振り返った。


「いやぁ、助かるよ。弟たちにさ、しばらくひもじい思いをさせちまってたからね」


 銀猫は小さく肩を竦めると、揶揄からかうような調子で口を開く。


「で、仕事が回ってくるように祈ってたのか?」


「そうだよ……神さまが、哀れな子供たちにお恵みを垂れてくださるようにってね」


「人の命と引き換えに恵みを与えるのは、……悪魔じゃないのか?」


「んなことないってば。あるべきものをあるべき場所へ返すだけ。腹を減らした子供たちに糧を与えることになるんだ。そいつはきっと死んでいく連中にはさ、立派な贖罪しょくざいになると思うな」




 ◇ ◇ ◇




 王宮の門を出て大通りを下ると、すぐに高いへいに囲まれた立派な建物が見えてくる。


 門前には明々あかあかと篝火が焚かれ、見張りの兵が二人。いささか物々しい雰囲気にも思えるが、これはなにも今日に限ったことではない。


 ここは近衛騎士団の宿舎。常在戦場の言葉通り、王宮に異変が起ころうものならば、素早く駆け付けられるように、常時多数の騎士がここに詰めている。


 無論、近衛騎士たちの皆が皆、ここで暮らしているという訳ではなく、家庭を持つものはそれぞれに屋敷を構えてもいる。だが、戦争が近づきつつある現在、団員のほとんど全員が、数日前からここに詰めているのだ。


 赤毛の修道女シスターが人目を忍んで教会を出た頃、この宿舎の最奥、団長の執務室にはテーブルを囲む三人の男たちの姿があった。


 葡萄酒の注がれたグラスを手に、上機嫌に笑い声を上げる五十がらみの男の名はスレイマン。この国でも指折りの大商人である。


「はははははっ! 愉快、愉快! しかし、さすがはサイクスさまですな! ここまでうまく事が運ぶとは思っておりませんでしたが」


 彼が上機嫌になるのも当然、彼らの目論見通り、この国は共和国と化したテルノワールに味方する方向へと大きく傾いた。明日の御前会議で、それも決定的なものになるのだ。


「うむ、だが、フェリペ殿が亡くなるのが分かっていれば、グレナダを手に掛ける必要など、なかったかもしれんな」


 騎士団長サイクスがそう応じると、スレイマンは首を傾げる。


「それでは、フェリペさまがお亡くなりになったのは、サイクスさまとは無関係なのですか?」


「そうだ、アンジュー家と正面からやり合うのは流石にリスクが勝ちすぎる。うっとおしいとは思いながら、我々も手出しできずにいたのだ」


「なるほど、では神がサイクスさまに味方した……ということでございますな。そろそろあの女も八つ裂きにされておる頃合いでございますし、もはや我々の邪魔をできるものなどおりませぬ」


 だが、スレイマンのその言葉に、それまで寡黙に酒をあおっていた熊のような大男――ベルモンドがいささか不安げに眉根を寄せた。


「しかし、貴様の用意した暗殺者、あやつらで本当にあのグレナダを倒せるのか? 認めたくはないが、グレナダの腕は我々よりも更に上なのだぞ」


「ベルモンドさまも心配性でいらっしゃいますな。心配はご無用。あやつらが失敗することは万に一つもございません」


 スレイマンは自慢げに胸を張る。


「少々値は張りましたが、あヤツらは騎士殺しを目的に鍛えられた、言わば騎士専門の暗殺者でございますぞ。グレナダさまが騎士らしい騎士であればあるほど、勝てる道理がございません」


 その言葉にサイクスはうむと頷く。


「確かに、グレナダは騎士の中の騎士だ。それは私も認めている。何が起ころうと、命がけで姫殿下を守ろうとすることだろう」


「ええ、左様でございますな」


「そして、近衛騎士団の者が命がけで姫殿下を守ったという事実は大きい。犯人として疑われるのはアラミス公の一派。そうなるように仕込んでおる」


「左様でございます。邪魔な女は死に、騎士団の名声が上がる一方、アラミス公の評判は地に落ちます。姫殿下を溺愛しておられる国王陛下はアラミス公を疎むようになり、形成は一気に我々の方へと傾きまする。その上、姫殿下の身をお守りするという大義名分を得て、その身柄をこの騎士団宿舎に移すことができれば……」


 サイクスはいやらしく頬を歪めた。


「最後にはそれを人質として、陛下に王位を譲らせることも出来る」


「私は戦争で大きく儲けさせていただき、サイクスさまには、この国そのものが転がり込んでくるということでございますな」


 サイクスとスレイマンは、顔を見合わせるとこらえきれないといった様子で「くくく」と笑いあった。


「スレイマンよ。せいぜい儲けるがいい。だが……それが誰のお蔭かを忘れるのではないぞ」


「もちろんでございます。中立国としてどちらの国にも縛られることの無いこの間に、散々儲けの種を仕込ませていただきましたからな。サイクスさまにも精一杯のご恩返しをさせていただきますとも」


「しかし、塩に目をつけるとは流石の嗅覚よな」


「人間、生きて参るには、日に小さじ一杯ほどの塩が必要でございますからな。とりわけミラベルとゴアへの塩の流通は完璧に遮断してございます。ゴアもミラベルもこの国同様に黒土が大部分を占める国、海には面しておらず、岩塩も採れませぬ。塩の値段を法外に吊り上げれば、二国の財政は圧迫され、軍費を抑えざるを得ません。結果、戦況は有利になり、そこへ導いたサイクスさまは救国の英雄。勝利の暁に王位を奪い取ったとて、一体誰が文句をつけられましょう」


「ふっ、気の早い奴だ」


「いえいえ、もはや将来の王位は約束されたも同然でございます。取り急ぎは前祝いをご用意させていただきました。お前たち! 例の物を!」


 スレイマンが手を叩くと、廊下に控えていた下僕たちがいくつもの木箱を運び込んでくる。それが床に置かれる瞬間には、木箱の中で金貨のこすれ合う重い音がした。


「少ないですが、お納めください。何をどういったところで、政治には金が掛かりますからな」


「気が利くではないか、スレイマンよ。しかし、お主も悪よな」


「いえいえ、サイクスさま程ではございません」

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