第52話 純情気持ち悪い男と暗殺者たち

「ならば、新たな依頼として受けてもらおうか」


 扉の向こう側から聞こえてきたのは男性の低い声。続いて、けたたましい音と共に扉が開くと、二つの小さな人影が部屋の中へと飛び込んでくる。


「あはは! あれぇ、アストレイアちゃんがいるよぉ!」


「あー『最悪イルネス』もいるぅ、わーい!」


 今度は緊張感のない黄色いはしゃぎ声。部屋へと飛び込んできたのはフリル満載の白いドレスを纏った双子の姉妹。ミリィとヒルダであった。


 いつも通りだが、彼女たちは騒がしい。彼女たちが登場した途端、室内にわだかまっていた重苦しい空気が霧散して、代わりに何とも言えない戸惑いが部屋を満たしていく。イルと姫殿下は呆気にとられてポカンと口を開けたまま固まった。


「あ、あなた方……どうしてこんなとこ…………ッ!?」


 戸惑い交じりの姫殿下の問いかけは唐突に途切れ、息を呑む音がやけに大きく響き渡った。彼女の視線の先、イルがそれを目で追うと、双子の背後に一人の男の姿がある。


「お、お兄さま!?」


 いかにも陰険そうな目つき、こけた頬、無駄にさらさらな黒髪。そこにいたのは昼間、衛士詰所へと押しかけて来た、いけ好かない陰険兄貴――アラミス公だった。


「これはこれはアラミス公。こんな時刻にどういったご用件でしょう?」


 クリカラが口元に微笑みを貼り付けてそう問いかけると、彼は表情一つ変えずに口を開く。


「もののついでだ。婚約者に会いに来たついでに、例の依頼の進捗を聞いておこうと来てみれば、ロクでもない話が聞こえてきたのでな」


『会いに来たって……遠くから眺めてただけでしょうに』


 イルには、クリカラが小さな声でそう呟くのが聞こえた。その声音には揶揄やゆするような、呆れるようなそんなニュアンスが纏わりついている。だが、その呟きはアラミス公の耳には届かなかったのだろう。彼は姫殿下の方へと冷たい視線を投げかけて、不愉快げに頬を歪めた。


「言わぬことではありませんな。だから、王宮でお人形遊びでもしていなさいとそう申したのです」


「で、でも……」


 思わず項垂うなだれる姫殿下。イルは彼女の姿を隠すように前へと歩み出ると、頬を歪めてアラミス公を睨みつけた。


「てめぇ……モノには言い方ってのがあんだろうが」


「また貴様か……。モノの言い方? 貴様のような下品な男がそれを語るのか?」


「なんだと!」


 イルがいきりたって顔を突きつけると、アラミス公はいかにもイヤそうに眉間に皺を寄せる。


「何度見ても下品な顔だな、貴様は」


「上等だ。ここにゃあ、見られて困る相手はいねぇ。容赦しねぇぞ、陰険兄貴」


「ふん」


 殺気立つイルを鼻先であしらって、アラミス公はクリカラへと向き直る。


「クリカラ殿、姫殿下には……席を外していただきましょうか」


「ええ、それがお望みであれば」


「お、お待ちください、お兄さま!」


「姫殿下、ここからは大人の話です。あなたが踏み込んで良い話ではありません」


「そ、そんな、ワタクシは!」


 姫殿下がアラミス公の方へと詰め寄ろうとするのを制して、クリカラが口を開いた。


「銀猫、姫殿下をグレナダ嬢のところへご案内して差し上げなさい」


「かしこまりました。ではこちらへ」


「イヤです!」


 姫殿下が銀猫の差し出した手を振り払って声を上げる。だがその途端、アラミス公が彼女を怒鳴りつけた。


「アストレイア! 何度も言わせるな! 出ていけと言っているのだ!」


 思わず目を丸くする姫殿下。みるみるうちに彼女のその瞳に涙が浮かび上がり始め、イルは益々殺気立つ。


「てめぇ……!」


 だが、彼女は詰め寄ろうとするイルを手で制すると「大丈夫ですから……」と、小さな声で彼に囁きかけて、銀猫に先導されるままに部屋を後にした。


「おい、陰険兄貴、もう我慢ならねぇ!」


 項垂れる姫殿下の小さな背中を見送って、イルがアラミス公へ詰め寄ろうとすると、今度は双子が二人の間に立ちはだかる。


「待ってよ! 最悪イルネス、虐めちゃダメ!」


「うるせぇ! そこを退きやがれ!」


「どかないよー! アブラミスはね、アストレイアちゃんが可愛すぎて、ひねくれた態度をとっちゃう恥ずかしがり屋さんなの。たぶん今晩だって、アストレイアちゃん泣かせちゃったの後悔して、ベッドでおんおん泣くんだよ。ね、アブラミス」


「は?」


 なに言ってんのこの子? 


 イルが思わずアラミス公へと目をやると、彼は顔色一つ変えずにこう呟いた。


「……私は、そんな胸やけしそうな名ではない、アラミスだ」


 だが、双子はさらに主張する。


「そーだよ、アララミスを虐めちゃダメだよー。妹大好きこじらせて、まともに目も合わせられない純情気持ち悪い子なんだから」


「『ラ』が多い。そんな何かをしでかしたような名でもないぞ」


 これには、流石にイルもツッコまざるを得ない。


「……ツッコみどころは、呼び方だけじゃないよな?」


「仕方があるまい、事実だ」


「認めんのかよ!?」


「当然ではないか。アストレイアのかわいさを誇ることに関して、なぜ私がてらわなくてはならん。まったく気持ちの悪い男だ」


「アンタにゃ言われたくねぇ!」


 これには流石にイルもドン引きである。


 妹を泣かせたことを後悔してベッドで号泣するらしい、この陰険兄貴は。


 思わず距離を開けるイルを黙殺して、アラミス公はクリカラへと、非難するような視線を向けた。


「それはそうとクリカラ殿、貴殿がフェリペ殿を殺ってくれたお蔭で、こちらは大変な被害を被っている」


「それはどうも。でも仕方がないじゃありませんか。私たちに政局は関係ありません。受けるに足る依頼があり、フェリペ殿という御仁の前に境界線が引かれた。それだけのこと。それに、苦情を申し立てるためにここへお越しになった訳ではないのでしょう?」


 アラミス公は小さく肩を竦めると、再びクリカラを見据えて、こう告げた。


境界線を引いてくれドロウ・ザ・ライン


 その瞬間、イルの目が鋭いものになって、弛緩した空気が硬質なものへと変わっていく。


境界線を引いてくれドロウ・ザ・ライン


 それは殺しの依頼、その合言葉。ここから先は生と死との分水嶺。生き残るべき者が生き、死すべき者が死ぬ。生死を分ける境界線。


「ヤツらが何をたくらんでおるのかは知らん。だが、もはや放置しておく訳にはいかんのでな。なによりアストレイアを泣かせたのだ。万死に値する。覚悟を決めた以上、将来の禍根は絶たねばならん。グレナダを除く近衛騎士団は皆殺し。スレイマンもだ」


「……あんたも、ついさっき泣かせたような気がするんだが?」


 イルのその突っ込みは完全に無視される。


 一呼吸の間をおいて、クリカラが口を開いた。


「一騎当千の近衛騎士、数十人を皆殺しですか……安くはありませんよ?」


「かまわん」


「そうなると、相応の暗殺者が必要ですね。A級を三名…………いや、銀猫、そういえば食人鬼マンイーターがこの町に舞い戻っていると、そう申していましたね」


「はい」


 つい今しがた、姫殿下を先導して出ていったはずの銀猫が、いつの間にかクリカラの傍に控えていた。


「それは重畳。この後、すぐに渡りをつけてください」


「かしこまりました」


食人鬼マンイーター?」


 イルは思わず首を傾げる。聞いたことの無い二つ名だ。


「S級暗殺者はあなたを含め四名。そのうちの一人です。タイミングが合わなければ招集も叶わないのですが、運よく今はこの町にいるようですから」


 クリカラはイルにそう応えると、再び銀猫へと指示を出す。


「スレイマンの方は、まあC級で十分でしょう。『司祭クレリック』を」


「仰せのままに」


司祭クレリック』の方は、イルも何度か一緒に仕事をしたことがある。クリカラにとっては使いやすい暗殺者らしく、落穂拾いのような小さな仕事の時には、大抵『司祭クレリック』が招集されているような気がする。一方、アラミス公は『C級』の暗殺者にゆだねられるのが不満なのか、わずかに眉根を寄せていた。


「「私たちもぉ!」」


「ええ」


 双子が騒ぎ立てると、クリカラは苦笑気味に頷き、最後にイルへと向き直る。


「騎士団長は『最悪イルネス』、あなたに任せましょう」


 だが、イルは肩を竦めて首を振った。


「金はいらねぇ」


「……それは断るという意味ですか?」


「いいや……始末はしてやる。きっちりと。俺だってアイツのやり口にゃあムカついてるからな。だがその報酬は別の形で頼みてぇ」


「別の形……ですか?」


「俺は、結構根に持つタイプでな。そこの陰険兄貴にゃあ、落とし前をつけて貰わなきゃ気が済まねぇ」


 そんな前置きに続いてイルが求めた報酬に、クリカラは思わず苦笑する。やはりこの少年についての見方は改めなければならない。だが、それは面白い。


「では、そういうことで」


「おい! ま、待ちたまえ! 私は承諾するとは一言も」


「そ・う・い・う・こ・と・で」


 クリカラが脅迫染みた口調でそう告げると、アラミス公はなんとも情けない顔をして唇を尖らせた。いい歳をした陰険男が口を尖らせても、気持ち悪いだけだった、実に残念なことに。


 そして、クリカラは、改めてイルの方へと向き直る。


「それではS級暗殺者『最悪イルネス』」


 次に双子。


「A級暗殺者『人さらい妖精フェーラエテ』」


 そして、クリカラは視線を上向けて声を張り上げた。


「暗殺者たちよ。死すべきものたちにふさわしい死を!」

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