第51話 新たな依頼

 壁一面を緑のカーテンに包まれた一室。奴隷商人クリカラが商談に使う、例のあの部屋だ。


 そこに今、イルと姫殿下の姿があった。


 近衛騎士団第四位、グラントベリの襲撃を退しりぞけた彼らは、傷ついたグレナダをここへと運び込み、ついでに虫の息のグラントベリをクリカラへと引き渡したのだ。


 イルは壁にもたれ掛かって無言で天井を見上げ、姫殿下は椅子に座ったままテーブルの上の何もない場所をじっと見つめている。互いに言葉はない。気を揉んだままに過ぎていく無為な時間は余りに長く、ねっとりと重い沈黙が、我が物顔でこの大して広くもない部屋を占拠していた。


 やがて、ギギッときしむような音を立てて扉が開くと、姫殿下は慌てて立ち上がり、イルは視線だけを動かして、入って来る者へと目を向ける。


「……お待たせしました」


 入ってきたのはフードを目深に被ったこの部屋の主、クリカラ。その後に影のように付き従うのは、ガラス玉のような瞳の痩せっぽっち、銀猫である。


「グレナダは! グレナダは無事なのですか!」


「ええ、よく眠っておられますよ、姫殿下。医者の見立てでは二十日ほども横になっていれば、また剣を振るえるようになるだろうと……。闇医者ではありますが腕は確かですので、ご安心を」


「良かった……」


 姫殿下は脱力するように、へなへなと背もたれに倒れこんだ。


「ところで、もう一人ここに運び込まれた方、確かグラントベリと仰いましたか……。あの方は親しい方なのでしょうか?」


「いえ、なんとなく見覚えはあるような気がするというぐらい。たぶん、過去に護衛についてくれた事があるのだと思います」


「なるほど。では彼のは、こちらで処分させていただいても問題はありませんね。まだ、死んだ訳ではありませんけどね」


 その一言に姫殿下の顔が引きる。だが、クリカラは何の感慨も見せずに言葉を重ねた。


「謀反人としてしかばねを城門に架けられることを思えば、随分慈悲深いと思いますよ。姫殿下。謀反人は九族まで処刑されるのがこの国の法ですからね。アナタが沈黙を守ってくだされば、彼の名誉は守られ、何も知らぬ善良な方々が、彼の罪に連座させられる事もございません。それとも彼の顔も知らぬような遠い親族の、幼い子供たちまで絞首台に送ることをお望みですか?」


「……わ、わかりました」


「結構です。そして最悪イルネス


 フードの奥から鋭い視線が、イルを刺し貫く。


「ここに誰かを連れ込むような事は、今後はつつしんでいただきたいものですね。アナタに刺客を差し向けようと思えば、こちらとしても相応の被害を覚悟しなくてはいけませんから」


「……ああ」


 クリカラとイルの間に物騒な殺気が満ちる。物言いこそ丁寧だが、含む意味は辛辣。要は、今度余計な事をしたらブッ殺すぞという脅しに他ならない。


 重苦しい沈黙がわだかまって、姫殿下が耐えかねたように顔を伏せる。その様子にクリカラは一つため息を吐くと、小さく首を振った。


「良いでしょう。これ以上、姫殿下を怯えさせるのも心苦しい。善良な臣民としてはね」


「ハッ……」


 イルは思わず喉の奥で笑い、そして物憂げに問いかける。


「で、アイツは何か吐いたのかよ」


「ええ、彼から聞き出した話と銀猫の調べた事を合わせれば、事のあらましが大方掴めました」


「そうか……」


 イルはちらりと姫殿下の方へと視線を向ける。


「じゃ、姫殿下には外してもらった方が良いんじゃねぇか?」


「そうですね」


 途端に、姫殿下は椅子から立ち上がって大きく首を振った。


「いいえ……ワタクシには知る義務があります」


「義務ですか……」


 クリカラは口の中で味を確かめるようにそう言うと、「王族として生きていくのも、楽ではございませんね」と、どこか揶揄やゆするような声音で、そう呟いた。


「よいでしょう。それでは姫殿下にもお聞きいただきましょうか。まず……あなた方を襲ったという奇妙な黒づくめ。あれはカルカタの暗殺集団の手の者です」


「カルカタ?」


「ええ、同業者ですね。別に横のつながりはありませんし、ここで好き勝手されるのは面白くありませんから、姫殿下のことが無くとも処分していたのだろうとは思いますけれど……。ところで姫殿下、スレイマン商会はご存じですか?」


「ええ、もちろん。御用商人として王宮には頻繁に出入りしておりますので」


「彼らの潜伏先は、スレイマン商会の所有する倉庫です」


 姫殿下の幼い顔が、驚愕の表情を形作る。


「で、では、スレイマンが?」


「まあ、一枚噛んでいることは間違いないでしょう。その暗殺者を率いていたのが近衛騎士団の者となれば、両者の結託を疑わない訳には参りません」


「なるほど……そういうことかよ」


 イルが納得したとでもいうように鼻先でわらうと、姫殿下は彼とクリカラの間で視線を行き来させる。どうやら彼女にはどういうことか、まだ分かっていないらしかった。


「なあ、姫殿下、グレナダは共和国に味方しようっていうサイクスに反対してたそうだ。理由は単純、弱い方に味方すりゃあ戦力は均衡する。そうなりゃ戦争が長引いて庶民が苦しむからだ。だが、戦争が長引けばそれを喜ぶヤツがいる。長引けば長引くほど儲かるのは、一体誰だ?」


 大きく目を見開く姫殿下に、クリカラが頷いた。


「そういうことです」


「で、でも、そんなことに、サイクスが手を貸す理由なんて……」


 イルがそれを鼻先でわらった。


「そんなもん、いくらでもあるさ。弱みを握られてるかもしれねぇ、金に目がくらんだのかもしれねぇ。もしかしたら、もっとえげつねぇことをたくらんでやがるかもしれねぇ」


「そ、そんな……」


「テメェの部下を殺して、その死を利用しようってだけでも随分タチが悪い。相当、ロクでもねぇことを企んでやがるに違ぇねぇ」


「えっ!?」


 姫殿下は、ビクンと身体を跳ねさせる。


「そうだ。本当に狙われていたのはアンタじゃねーよ、姫殿下。姫殿下を守り切って近衛騎士が、それも現世のいま剣姫なんて持て囃されてる女騎士が殉職すりゃあ、世間は同情する。美談に仕立て上げられる。英雄にだって祭り上げられる。しかも『襲ってきたのは黒い甲冑を纏った男』、アンタがそう証言すりゃあ、窮地に追い込まれるのはあの陰険兄貴だ。いちいち反対してくる口やかましい女騎士を始末できて、騎士団の株は上がり、この国の世論は、一気にテルノワールに着く側へと傾く。一石三鳥ってなもんだ。そう考えれば、わざわざこれから襲おうっていうアンタの護衛に、手強いはずのあの女を付けたのだって、説明がつくってもんだろ」


「サイクスがグレナダを……そんなことが」


 呆然とする姫殿下。イルは再び天井を見上げて肩を竦める。


「で、狙われたのがグレナダなんだとしたら、俺の仕事もこれで終わり。依頼はアンタを襲う者を殺せってことだからな、俺にゃあ、これ以上首を突っ込む理由もねぇ」


「そんな!」


「そんなも、こんなもねーよ。俺たちは慈善事業をやってる訳でも無けりゃ、正義の味方でも無ぇ。アンタが無事で、ほとぼりが冷めるまで大人しくしててくれりゃ、これ以上首を突っ込む理由はなーんにも無ぇんだよ」


 だが、イルがそう口にした途端――


「ならば、新たな依頼として受けてもらおうか」


 扉の向こう側から、男の低い声が響いた。

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