第49話 一生、恩に着やがれ

 グレナダは馬車を背にして身構える。取り囲む敵の数は全部で六。全員が全員、上から下まで黒づくめ。鉄の爪で武装した男たちは、木から降りた猿みたいにだらりと両腕を垂らして、ゆらゆらとその身を揺らしている。『夜の住人ノクターナル』を名乗った黒騎士一人だけが、グレナダを取り囲む環から外れて、じっと彼女のことを眺めていた。


 夜だというのに、昼の間に籠った熱気が石畳の間から立ち昇り、剣のつかを握るてのひらが汗ばむ。息苦しい。いや、息苦しく思えるのは、きっと熱気のせいだけではない。


 肌を浸食してくるのは粘つくような殺気。周囲の男たちから発せられるソレは、これまで対峙してきたどんな者たちとも異なっている。感覚を言葉で正確に言い表すことは難しいが、ぬめり気を帯びて、掴みどころがない。そう感じる。


(私は近衛騎士だ。騎士は恐れない!)


 グレナダは胸の内で自らにそう言い聞かせ、正眼に構えた剣を振り上げる。途端に膨れ上がる殺気。彼女が動くのと同時に男たちが動き始めた。


 左右に飛び回る、猫のような短い接地音。男たちは彼女の周りを不規則に飛び回りながら、次第に間合いを詰めてくる。男の一人が「ギャァ!」と、獣じみた短い声を発すると、それが合図であったかのように十本の腕、そこに装着された鉄の爪が、グレナダ目掛けて殺到する。予想外の角度から伸びてくる鉄の爪。風を斬る音がグレナダの耳朶じだを掻いた。


「くぅっ!」


 グレナダは振り上げた剣を手元に引きもどし、次から次へと繰り出される鉄の爪を必死に弾き返す。硬質な金属音が響き渡り、暗闇の中に火花が走る。傍目には防戦一方という光景の中で、グレナダの紅い双眸そうぼうは、虎視眈々とタイミングを伺っていた。自分たちが押しているとでも思ったのだろう。男たちの動きの中にわずかに余裕が生まれた。余裕はたわみとなって、そこに隙が生まれる。


(今だッ!)


 一直線上に三人の男が並んだその瞬間。石畳を踏みしめる足音が響き渡る。グレナダは強く踏み込んで、裂帛れっぱくの気合と共に横なぎに剣を振るう。景色が歪んで見えるほどの斬撃。凄まじい剣速。完璧なタイミング。


 だが――


 男たちは軟体動物のように身をくねらせると、曲がるはずのない方向に関節を曲げ、関節の無い筈の場所を曲げてやいばかわし、彼女の剛剣は虚しく空を斬った。


「馬鹿な!?」


 これには、流石のグレナダも驚愕の表情を浮かべた。並大抵の剣速ではない。間合いも完璧だった。これをかわせるものなど、近衛騎士団にも存在しない。そのはずだった。


 だが、事実だ。そして大振りの一撃をかわされれば、そのツケがそのまま返ってくる。


「うぉおおおおっ!」


 グレナダは慣性の法則に抗って、力任せに剣を引き戻す。だが、間に合わない。鉄の爪が次々に女の金切り声のような音を立てて甲冑に傷を描き、甲冑の隙間から入りこんだ一本の鉄の爪が彼女の脇腹をえぐる。


「ぐッ……!」


 脇腹に走る灼熱感。歯を食いしばり、脇腹に爪を突き立てた男の手首を捕えて、その頭を剣のつかでぶん殴る。途端に爪が更に深く脇腹をえぐって、勢いよく血が噴き出した。


「グァァっ!!」


 彼女はうめき声を洩らしながら二歩、三歩と後ずさって、馬車の車体に力なくもたれ掛かった。呼吸が乱れる。息苦しい。傷口はジンジンと熱を発しているというのに、足元から寒気が這い上がってくる。傷を押さえた指の間から、だくだくと血が滴り落ちた。


「イヤぁああああ! グレナダぁあああッ!」


 キャビンの奥から、姫殿下の涙声の悲鳴が聞こえてくる。夏の夜の熱気に、血の匂いが立ち昇る。呼吸は荒くなる一方。それをどうにか整えようと、もがきながらグレナダは再び剣を構えた。


 あなどったか。剣でねじ伏せられる。そう過信しすぎたか。だが、私は騎士だ。騎士は倒れない! 騎士は恐れない!


  グレナダは自身にそう言い聞かせる。


 だが、手にした剣がひどく重い。手が震え、目もかすみ始めている。これは……恐らく出血のせいだけではなさそうだ。


「……毒か。姑息な」


 そんな彼女の様子に、男たちの背後にいた黒い甲冑を纏った男が、あざけるような笑い声を上げた。


「ふはははは! ざまあみろ! 所詮貴様は女なのだ! 女は女らしく、どこかの貴族にでも嫁いでおれば、死なずに済んだのだ!」


 グレナダは思わず唇を噛み締める。殊更に女、女とやかましい。そう思う。


 だが、その声には聞き覚えがあった。


(……なぜヤツが? だが、だとすれば、そういうこと……なのか)


 自身の私兵に黒い鎧を纏わせるのは、アラミス公。ゆえに黒騎士の姿を目にした途端、グレナダはこの襲撃の目的が『姫殿下を危険にさらした』と、団長サイクスを弾劾するためにちがいない。アラミス公が政争の道具に妹を利用したのだと、そう考えた。


 だが、あの男が関わっているというのなら、話は全く変わってくる。


 グレナダは力を振り絞って、背後のキャビンへと、そこにいる筈のイルへと、声を張り上げた。


「おい! 姫殿下を連れて……逃げてくれッ。私が時間を……稼いでいる内に!」


 だが、返事は帰ってこない。


「お前たち! その女にとどめをさせ!」


「くっ!」


 黒騎士が声を張り上げると、鉄の爪を振り上げて、男たちがグレナダへと殺到してくる。もはやこれまで。一人でも多く道連れにしてやろうと、彼女が大きく目を見開いたその瞬間――


 馬車の中から、男たちの前へと身を投げ出し、グレナダの眼前に立ちふさがる影がある。昨晩、王宮の騎士控室のベッドに横たわっていた背中。散々睨みつけたクズ男の背中が、そこにあった。


「ば、馬鹿者ッ!」


 グレナダ目掛けて振り下ろされた鉄の爪が、盾となったイルの身体を次々に刺し貫いていく。遠ざかる音。その光景が、時間の流れが遅くなったかのように、ゆっくりとグレナダの目に飛び込んできた。


(な、なんということだ……)


 グレナダの胸に絶望が広がっていく。もはや姫殿下を逃がせるものはいない。守るべきは姫殿下であったのだ。グレナダではないというのに。この男は一体どこまで愚かなのだ。途端に、体中から力が抜けていくような気がした。


 捨てたはずの惰弱だじゃくさ、湿り気を帯びた感情が胸の奥、奥の奥から這い上がってきて、涙がとめどもなく零れ落ちる。結局あの黒騎士の言う通りなのか……女は女でしかないのか、と。


 グレナダは膝からその場に崩れ落ち、力なく項垂うなだれる。カンテラの微かな灯り。石畳の上に涙が落ちて、黒い水玉模様を描いた。


(申し訳ございません……姫殿下)

 

 彼女は自らの無力を詫びながら、鉄の爪が振り下ろされるのをただ待ち受ける。


 だが、その頭上から降り落ちてきたのは、鉄の爪ではなく聞き覚えのある声。呆れるような調子の緊張感の欠片もない、だらけた男の声だった。


「ったく……泣くんじゃねぇよ。口ほどにもねぇ、騎士さまだな」


 驚きに目を見開いて顔を上げると、いかにも面倒くさそうに頭を掻くクズ男の背中と、その周りに倒れている黒づくめの男たちの姿があった。


「……どうして?」


「さあな」


 イルは大袈裟に肩を竦めると、残りの男たちを見据えて、背中越しに彼女へとこう言い放った。


「助けてやるから、一生、恩に着やがれ」

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