第48話 刺客襲来

 イルたちを乗せた馬車。


 そのキャビンの中には、何とも形容しがたい空気が漂っていた。


 王宮への帰り道のことである。


 あのいけ好かない兄貴のせいで、姫様の表情はどうにも優れない。目があえばニコリと微笑んでくれるのだが、どこか無理をしているようにも見える。


 本来なら、姫殿下に寄り添って慰めるのはグレナダの役割だと思うのだが、このポンコツは気の利いたことの一つも言えずに、「なんとかしろ!」と、イルの方へチラチラと視線を向けてくるばかり。


 ホント役に立たねぇな、コイツ。と胸の内で独り言ちて、イルは口を開く。


「それにしても、アラミス公は一体、何しにお越しになったんでしょうね。衛士詰所なんてお貴族さまが気軽に顔を出すようなところじゃありません。末端の末端ですぜ? まあ、それを言っちまえば、姫殿下も、そうですけど……」


「お兄さまは、きっと私のことがお嫌いなのでしょう」


 姫殿下が沈んだ声を漏らす。


 あ、やべぇ! 話題の選択を間違えた! と、イルが焦りかけたところで、グレナダが姫殿下を見据えて大きく首を振った。


「そうではありません、姫殿下! 好き嫌いという単純な話ではありません。あれは……恐らく団長への牽制なのだと思います」


「サイクスへの……ですか?」


「左様でございます。現在、御前会議では、意見が真っ二つに割れておりますが、団長は、テルノワールにくみすべしと主張する派閥。フェリペ殿が急逝きゅうせいされた今、アラミス公はそれに反対する派閥の筆頭。言うなれば政敵ということになります」


「それが、どうしてお兄さまがお越しになられたことに繋がるのです?」


「姫殿下が、この衛士詰所の団長に就任されたのはかなり異例のことでございますし、しかもそれが団長の勧めによるものであれば、団長が姫殿下を巻き込んで何かを企んでいる。そう疑われるのも無理からぬことでございます」


「それはつまり、私の身を案じて……ということなのでしょうか?」


「おそらく」


「そうなの……ですね」


 グレナダが力強く頷くと、姫殿下の表情がほころんだ。


 グレナダのように、断言してしまうのもどうかとは思うが、まあイルも大体同意見だ。ただ、あの兄貴は物の言い方ってのが、なっていないだけだと思う。


「そういや、グレナダさんよぉ。アンタ、その団長さまの意見には反対だったよな? ってこたぁ、アンタはあの陰険兄貴の派閥ってことかい?」


「べ、別にそういう訳ではない。あと貴様、陰険兄貴はやめろ、姫殿下にも失礼であろうが! どちらの派閥に属している訳でもないが、国王陛下がご決断なさられたなら、どんな形であれ、私は一騎士として力を尽くすだけだ!」


「でも、反対なんだろ?」


「ああ、そうだ! 民草のことを思えば、戦争は早く終わらせるに限る。団長は庶民出身なだけに、民衆が政治の中心だとうそぶくテルノワールに肩入れしすぎるのだ。お気持ちは分からなくはないが、それで国王陛下に国のかじ取りを誤らせるような事があれば、ひいては団長ご自身のためにもならない」


「そういうもんかねぇ」


「そういうものだ!」


 肩を竦めるイルの、その言葉尻に食らいつくように、グレナダが語気を強めた。


 ちなみに、グレナダは気づいていないようだが、どさくさに紛れてイルは敬語を使うのをやめている。怒られないギリギリのラインをさぐりながら、徐々に色々なことをなし崩しにしていくという、実にクズらしいやり口であった。


「あのぉ……ところで、グレナダ」


「はい、なんでしょう。姫殿下」


 姫殿下の方へと向き直りながら、グレナダが微笑む。


 だが、


「窓から見える風景が、いつもと違うように思えるのですが……」


 彼女のその一言に、グレナダの微笑みが凍り付いた。


 イルとグレナダは思わず顔を見合わせ、それぞれに窓へと飛びつく。


 確かに、いつの間にか馬車は大通りを外れている。だが、窓から見える風景に見覚えがないという訳では無い。衛士として街中を警邏けいらするイルには見覚えのある風景。それは、商家が所有する倉庫が立ち並ぶ区域であった。王都を出た訳ではない。だが、住む者のほとんどいない一画ゆえに、夜になると人通りが絶える静かな場所だ。


(来やがった!)


 イルは胸の内でほくそ笑む。正直なところ、標的のはっきりしないこの仕事には、イラ立ちを覚えていたのだ。だから、怯えもしなければ慌てもしない。むしろ遅いぐらいである。だが、グレナダの方は、流石にそういう訳にはいかない。


「おい! 御者! 貴様! 一体なにを考えている!」


 御者台側の小窓を開けて声を荒げるも、彼女のその問いかけに返事は帰ってこない。


「停めろ! 停めぬか!」


 グレナダがキャビンの壁をガンガン叩きながらそう騒ぎ立てると、馬車は速度を落とし始め、やがて停まった。恐らく彼女の指示に従ったという訳ではないのだろう。目指す場所に辿り着いたのだ。


 馬車の中から周囲の様子をうかがうも、光源は御者台に吊るされたカンテラだけ。周囲はあまりにも暗く、状況は正直良く分からない。


 グレナダはキャビンの扉に手をかけながら、イルの方へと振り返る。


「貴様は、ここで姫殿下をお守りしろ!」


「あれ? 良いんですか、俺なんかに姫殿下を任せちゃって?」


「貴様に他に何が出来るというのだ! 姫殿下の盾に出来る程度には信用してやるから、ここで姫殿下をお守りしろ!」


 盾に出来る程度の信用は、イヤすぎるだろう……。


 これには、イルも流石に顔をしかめる。


「グレナダ、お気をつけて!」


「ハッ! お任せを!」


 姫殿下に一つ頭を下げると、グレナダは剣を抜きはらって馬車から飛び降りた。扉は開け放ったまま。イルは姫殿下を背に隠して、暗闇へと目を凝らす。


 すでに陽は落ちて久しく、視界は著しく悪い。耳元で、姫殿下の息遣いがはっきり聞こえるほどの静けさ。目を凝らすと倉庫の間の路地に深い闇がわだかまっていた


(潜んでいるとすれば、あそこだな)


 と、イルはその暗闇を睨みつける。


 一方キャビンから降りたグレナダは、剣を構えながら御者台の方へと目を向ける。そこにはすでに御者の姿はない。真っ暗な闇の中にカンテラの灯りだけがゆらゆらと揺れていた。


(マズいな、飛び道具を使われれば、格好の的ではないか)


 だが、彼女の心配は杞憂に終わる。周囲の倉庫、建物の間に横たわる路地。そこにわだかまる暗闇の中から、幾人もの人影が這い出して来たのだ。


 爬虫類を思わせるヌメっとした挙動。見ているだけで背筋に怖気が走る気色の悪い動き。男たちは揃いも揃ってひょろりと背が高く、細身の身体を老爺のように丸めながら這い出して来る。


 目の部分だけが開いた真っ黒な仮面を被り、上から下まで黒づくめ。闇の中から染み出したかのような出で立ちである。男たちは五名。その手に装着されている鋭利な鉄の爪が、カンテラの灯りを反射して鈍く光った。


「貴様らッ! 何者だ!」


 グレナダは剣を正眼に構えて、声を張り上げた。


 だが、男たちはグレナダを遠巻きに取り囲んだ後は、身じろぎ一つしない。


 グレナダのその問いかけに答えたのは、その五人の男たちではなく、いつのまにか彼らの背後に控えていた黒い甲冑を纏った別の男。その男はあざけるような調子でこう言ったのだ。


夜の住人ノクターナルだ」


「……ほう、貴様らがこの王都を騒がせておる暗殺者どもか」


 グレナダの表情に緊張感がにじむ。もちろん『夜の住人ノクターナル』の名は知っている。それが尋常ならざる敵だということも。


 だが、キャビンの奥でそのやり取りを聞いていたイルは、盛大に呆れていた。


(おいおい、よりによって夜の住人ノクターナルかたるとは、怖いもん知らずにも程があるぞ)


 もちろん、イルも夜の住人ノクターナルに所属する暗殺者の全てを把握している訳ではない。顔を知っているのは、共に仕事をしたことのある数人ぐらいのものだ。


 だが、本物の夜の住人ノクターナルであるイルは、『姫殿下に襲い掛かる者を排除しろ』という依頼の執行中なのだ。仮に姫殿下を襲えという別の依頼が来たとしても、クリカラがそれを受けることは絶対にありえない。


 夜の住人ノクターナルの名を騙れば、もちろんクリカラが黙ってはいない。だが、まあ今回に限っていえば、夜の住人ノクターナルの出番以前の問題だろう。なんだかんだ言っても、グレナダは呆れるほど強いのだ。あれはあれで、一種の化け物だと言って良い。


 だから、イルは――


(グレナダが始末しても、俺の依頼達成ってことで……いいんだよな?)


 と、まったく違う心配をしていた。

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