第47話 誰かが言ってやらなきゃならない。

「不審な者たちが五名、王都に侵入したようで、す。闇夜に紛れて城門を乗り越えていきまし、た。あの体術は、恐らくカルカタの暗殺者だと思われま、す」


 銀猫のその報告に、クリカラがスッと目を細める。


「カルカタですか……ということは、誰かがということなのでしょうね」


 カルカタとは、フロインベールから見て北東の方角に位置する山岳民族の国である。首都ムルチは実に標高六百七十ザール(約二千メートル)の高地に位置し、余程のことがない限り、他国の者はほとんど寄り付かない。


 主な産業は希少鉱石の採掘と各種薬草の採取――というのは表向きの話。裏社会においては、少年、少女の奴隷を買い集めて鍛え上げ、大陸各地に輸出する『蛇のひと噛みスネークバイト』という暗殺者養成組織の本拠地として知られている。


 一部の例外を除いて呪いを宿した者たちだけで構成される夜の住人ノクターナルにとっては、縁もゆかりもない組織ではあるが、自分たちの縄張りに入り込んできたとなると話は別。同じく暗殺者を名乗る者に好き勝手させる訳にはいかない。


「その者たちは今、どこに?」


「はい、スレイマン商会の所有する倉庫に入っていくところまでは、確認しまし、た」


「ほう……それはキナ臭い」


 スレイマンといえば王宮御用達の商人だ。最近は大量の食料と武器を近隣諸国から買い付けていると聞いている。戦争が近いのだ。なにもおかしな話ではない。だが、何かが引っかかる。スレイマン商会の買い付け品目を調べてみると、異常なほどに塩が多いのだ。買い占めていると言っても良いだろう。おかげで最近は塩の価格高騰が著しい。


「銀猫、引き続き監視をお願いします」


 クリカラがそう言い終わる前に、銀猫の姿が掻き消えた。



 ◇ ◇ ◇



 王宮で一夜を明かした翌朝のことである。例によって練兵場にはグレナダの怒号と、衛士たちの悲鳴が響き渡っている。そんな中、イルは同僚たちの非難じみた視線に気づかないフリをして、姫殿下のすぐそばにだらしなく腰を下ろしていた。


 尚、グレナダは、イルの方を見ようともしない。もう相手にするのも諦めたのかというと、決してそういう訳ではなく――


「今日からは実戦訓練に入るぞ。全員まとめて相手になってやる。死ぬ気で掛かってこい!」


 訳の分からない男を相手に溜まった、訳の分からないストレスの矛先は、グレナダ自身、訳が分からないままに、訳の分かる訳もない同僚の衛士たちの方へと向いたのだ。全くもってご愁傷さまとしか言いようがない。


 いくら近衛騎士さまとは言えど、総員二十二名(イルを除く)を、女一人で十分だと言われれば、衛士たちのプライドにも傷がつく。だが、人数を頼みに斬りかかってみれば、まったく歯が立たず、結局、昼食前には全員がなすすべもなく地面に転がっているという有様であった。


「ふん、他愛もない」


 バケモンかよ……。と、これには流石にイルも呆れる。


 イルのような変則的な呪いを宿す者でなければ、夜の住人ノクターナルの暗殺者たちとて、この女騎士に勝てるものは、さほど多くはないだろう。


「いや、ほんと、気の毒だわ」


 と、他人事のように笑うイルを見据えて、グレナダは、唐突に近衛騎士らしからぬ邪悪な薄笑いを浮かべた。途端に、イルの背筋を冷たいものが滑り落ちる。


(な、なんだ? なにする気だ? 嫌な予感しかしねぇぞ)


「姫殿下! どうやら私の相手を出来る者も居なくなったようですので、いかがでしょう。折角ですから、そこの目の腐った男にも稽古をつけたいと思うのですが? この男も衛士の端くれ! 皆の奮闘を眺めておれば、きっと血も騒いでおることでしょうから」


「なるほどですわね」


(騒いでねぇよ!? おめぇみたいな戦闘民族と一緒にするな!)


「ほうほう、なるほど、手加減はいらない? なんなら真剣でも良いだと?」


「え、ちょ!」


「まあ、剛毅! 剛毅ですわね! はりきって応援いたしますわ! 頑張ってくださいまし!」


(まて、お姫さま! そいつが勝手に言ってるだけだ!)


 思わず後ずさるイル。だが、その肩を背後から誰かが掴む。顔を引き攣らせて振り向けば、つい今の今まで地面に転がっていたはずの同僚たちである。


「流石だぜ! 俺たちの仇を討ってくれるって?」


「なに? まかせとけだって? おお、頼もしい! 頼んだぞ!」


「殺せるもんなら、殺してみろってか? ひょー最高だな、オメェ」


 次から次へと捏造されていく、イルの心情。


「お、お前らッ、お、覚えてやがれ!!」


 実にテンプレな、小悪党のような捨て台詞を残して、同僚たちの手を振り払い、イルは逃げ出そうとする。だが、そうは問屋が卸さない。


「ふはははははっ、覚悟しろ! クズめが!」


 狂気じみた笑顔を浮かべ、凄まじい勢いで迫ってくるグレナダ。


「く、来んじゃねぇ!」と、慌てて練兵場の出口へと駆け出すイル。


 だが、実に残念なことにイルとグレナダでは、その速さには格段の差がある。グレナダのその手が、イルの襟首をがしりと掴んで地面へと引き摺り倒し、彼は「うげっ!」と、踏みつぶされたカエルのような声を上げる。


 その時、唐突に詰所の扉が開いて、練兵場へと踏み込んでくる男たちの姿があった。


 余りにも唐突。唐突過ぎて、何が起こったのかはっきり分かったものは居なかっただろう。衛士たちはただ、男たちの方へと顔を向けただけ。姫殿下は口元に手を当てたまま、大きく目を見開いて硬直し、グレナダもまた、イルの襟首を掴んだまま呆然と立ち尽くしていた。


 凍り付いたとき。グレナダの呻くような呟きをきっかけに、それが再び動き出した。


「アラミス……公、なぜ、こんなところに……」


(アラミス公?)


 グレナダ嬢が漏らした呟きを耳ざとく拾って、イルは首を傾げながら、踏み込んできた男たちの方へと目を向ける。

 

 武骨な黒い甲冑を纏った男たちである。(グレナダほどは強くなさそうだな)と、イルが胸の内で値踏みするのとほぼ同時に、黒騎士たちの背後から一人の男が静かに歩み出てきた。身なりの良さをみる限り、貴族であることは間違いなさそうだが、どうにも薄気味悪い男である。


 こけた頬に病的に青白い肌。肩までの黒髪は乙女のごとくサラサラなのに、目つきがいかにも陰険そうな二十代前半の青年だ。


 この詰所にこんな顔をしたヤツが配属されてきたら、たぶんターリエン辺りに『貧乏神』とか、そんなあだ名をつけられて虐められているに違いない。


 青年は左右を見回して、ふんと一つ鼻を鳴らすと、姫殿下を見据えていとわしげに目を細めた。


「姫殿下、今後はこのような無意味なおたわむれは、お控えいただけますかな?」


 そのぶしつけな一言に、姫殿下は眉を跳ね上げて、真剣にその男を見据える。


たわむれなどではございません! お兄さま、ワタクシもこうやって皆の役に立とうと……」


(お兄さま?)


 イルが首を傾げると、グレナダがポカリとその頭を小突いて、声を殺しながら耳打ちした。


「貴様、そんなことも知らぬのか。あの方はアラミス公……すでに継承権は放棄されて臣籍に降りておられるが、元々は継承権第四位、第三王子であらせられた方だ。それに姫殿下とはご母堂を同じくする唯一人の兄君であらせられる」


 臣籍に下ったということは、すでに王族ではない。なるほど、それで妹だというのに呼び名は『姫殿下』になるのか。それにしても、これだけ似てない兄妹も珍しい。


「何の気まぐれかは存じませんが、ヴェルヌイユ姫殿下が強引に、陛下に了承させたそうではありませんか、アナタがここを直轄することを。あの方に食い下がられて、陛下も渋々了承されたと伺っておりますよ」


 ヴェルヌイユという名は、王宮の出来事に疎いイルですら聞き覚えがある。なぜかといえば、単純な話。イヤでも噂が耳に入ってくるほどのトラブルメーカーなのだ。


「で、でも……」


 消え入りそうな声で反論を試みる姫殿下。だが、無慈悲にも兄はそれを許さない。


「でもも、だってもありません。ここの衛士たちも辟易へきえきしていることでしょう。あなたのその一人よがりな思い込みで、周りに気をつかわせているということがわかりませんか?」


「そんなことは……」


 姫殿下は周りの衛士たちに目を向ける。だが、声を上げるものはいない。姫殿下と、臣籍に下ったとはいえ大貴族、そのどちらかを敵に回す決断など、一介の衛士たちには荷が重すぎるのだ。


 だが、沈黙を守る衛士たちの様子に、アラミス公は満足げに頷く。


「ほら、ごらんなさい。あなたが役に立てることなど何もないのです。役立たずを恥じる必要などありません。アナタは一国の姫なのです。おとなしく王宮の奥で、人形遊びでもしておればよいのですよ」


「そんな……そんな言い方をなされなくても」


 姫殿下の目に、じわっと涙が浮かび始める。だが、グレナダはアラミス公と姫殿下の間で視線を往復させて、おろおろしているだけ。


「なんだよ、騎士さまよぉ。肝心なところで役に立たねーな。やれやれだ」


 イルは大きくため息を吐いて、グレナダにそう言い放つと、その手を振り払って立ち上がり、バカ兄貴の方へと歩み寄る。


「お、おい、き、貴様、な、なにを」


 背後からグレナダの慌てふためく声が聞こえて、イルは胸の内で吐き捨てた。


 うるせぇ。腰抜けは引っ込んでろ。


 いいか、別にお姫さまが、かわいそうだと思った訳じゃねーぞ。ただ気に食わねぇ。俺は贅沢なヤツが嫌いだ。妹がいながら、それを泣かせる。そんな贅沢なヤツが大嫌いなだけだ。


 イルは姫殿下へと向けるアラミス公の視線を遮るように立ちはだかると、いつも通りの力の抜けた笑いを浮かべて口を開いた。


「あのー、ちょっといいスか?」


「……なんだね、君は?」


「俺はこの詰所のしがない衛士ですがね。アラミス公さま、その発言はいただけませんね。真面目な衛士としては、王族への不敬罪ってことになると、黙って指くわえてる訳にゃーいかないんスよね。仕事ですから」


「……私は、そいつの実の兄だぞ」


「でも臣籍なんでしょ? もう王族じゃないんでしょ? なら、そこはわきまえてもらわなきゃ困ります」


 途端に、


「貴様ァ! なんという無礼な!」


 と、アラミス公の背後の黒騎士たちが怒りを露わに、剣に指を掛ける。


「待ってくださいってば、俺だって、なにも好きこのんでお貴族さまに逆らいたい訳じゃないんですってば、仕事です。し・ご・と! 根が真面目なもんで、放っておけないんですよね。正直今だって、怖くて怖くて、小便ちびりそうなんですから」


「ふん、品の無い男だ」


「よく言われます。でもね。


「貴様ァ!」


 とうとう堪忍袋の緒が切れたのだろう。黒騎士たちが声を荒げて掴みかかってくる。


 イルは苦笑する。


 一応、王族への無礼をたしなめたって建前だ、不敬罪で死刑とはならねぇだろ。あとは気が済むまで殴られてやるだけ。呪いを抑えなきゃならねぇのは面倒だが、抵抗しなけりゃ、流石に殺されやしないはずだ。あとは、ちょっとばっかり姫殿下が肩を持ってくれるのを期待するしかない。


 全く損な役回りだが、お姫さまには「お前は役立たずなんかじゃない」と、誰かが言ってやらなきゃならない。誰かが言ってやらなきゃならないのだ。


 イルは掴みかかってくる黒騎士たちを見据えて、身を固くする。殴られることは覚悟している。ところが、衝撃は別の方向から飛んできた。


 彼は背中を力いっぱい蹴り上げられて、殴りかかってきた黒騎士たちの方へとつんのめる。意表をつかれた黒騎士たちが、思わず目を丸くして動きを止めた。そして次の瞬間――


「この身の程知らずが!」


 と、グレナダが大声を上げて、倒れこんだイルの背中をガンガンと踏みつけ始めたのだ。


「申し訳ございません! アラミス公! この馬鹿は私が血祭に上げておきますので、今日のところはお引き取りを! 姫殿下の明日以降のことにつきましても、私の方から陛下に具申いたしますので!」


「ぎゃぁあああ、内臓出るぅ。いろんなものがでちゃう!」


 そんなイルの悲鳴を黙殺して、ガンガンと背中を踏み続けるグレナダ。その何とも間の抜けた光景に毒気を抜かれた黒騎士たちは、口を開けたままぽかんとそれを見守っている。


 その様子を表情も変えずに眺めていたアラミス公が、不愉快げに鼻を鳴らした。


「ふん、グレナダ。今日のところは貴様に免じて帰ってやる。その馬鹿にもよく言い聞かせておけ。繰り返すようだが、姫殿下が役に立てることなど何も無い、それは変わらん! 良いな!」


 そう言って、アラミス公が背を向けると、後をついて黒騎士たちが足で砂を掛けるように扉の向こうへと去っていく。


 アラミス公の姿が見えなくなると、グレナダと周りの衛士たちは「はぁああああぁ……」と、一斉に魂まで抜け落ちたかのような大きなため息を吐いた。


 そして、


「いてて……ひでぇ目にあった」


 イルが呻きながら身を起こすと、グレナダが、『ガンッ!』と、拳骨をその頭に落とした。


「貴様は馬鹿か! 馬鹿なのか! アラミス公に歯向かうなんぞ、命がいくらあっても足りんぞ! 死にたいなら、私がいくらでも殺してやる!」


 ものすごい目つきで睨みつけてくるグレナダに、イルは思わず苦笑する。


「おっかしいなぁ、珍しくちゃんと仕事したはずなんですがねぇ……世の中ってのは本当に理不尽だ」


「ああいうのは仕事とは言わん! 自殺というんだ、バカ者!」


「へーい。以後、気をつけまーす」


 イルがそんな風に冗談めかして返事をすると、グレナダが小さくため息を吐いて耳元で囁いた。


「だが……まあ、礼は言っておく」


 あまりにも意外なその一言に、思わず目を丸くするイル。すると、彼女は耳まで真っ赤になって、


「なんだその顔は!」


 と、もう一発、重い拳骨をイルの脳天に落とした。

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