第46話 つかみどころのない男になりました。

「こんなに楽しい夕食は初めて」


 姫殿下はそう言って、にこやかな微笑みを浮かべた。子供らしい年相応の笑顔である。


 実際、姫殿下はテーブルの上に饗される豪華な食事よりも、喋ることに夢中と言ったご様子。庭先に咲いた薔薇のこと。同じ母親から生まれた兄が最近訪ねてきてくれなくて寂しいこと。窓辺にやってくる小鳥たちのこと。どれも他愛のない話ではあるが、本当に楽しそうに喋る。


 姫殿下の話にいちいち手を止めて真摯に相手をするグレナダは、碌に食事をする余裕もないといった有り様である。まあ、相手が王族なのだから、それが普通なのかもしれない。


 実際、「アナタも一緒に夕食をとりましょう」と言われた時の、グレナダの驚き顔はかなり笑えた。あんな顔するぐらいだ。これは相当あり得ない事なのだろう。


 だが、無邪気に楽しいと言われると(楽しいのか? これ)と、いうのが、イルの偽らざる感想である。だだっ広い部屋の真ん中に、だだっ広いテーブル。その端にこぢんまりと姫殿下。その向かいにイルとグレナダが並んで座っている。風景としては余りにも寒々しい。


「陛下と食事をされたりはしないのですか?」


 イルがそう問いかけると、姫殿下の表情にわずかに翳が落ちる。


「それは……畏れ多いことですわ」


「普通、家族なら飯ぐらい一緒に」


 そこまで口にしたところで、グレナダがテーブルの下で、イルの足を踏みつける。


「ッ……!?」


 声を殺して痛がるイルに、グレナダが小声で囁いた。


「庶民と同じ物差しで尊き王家を語るな、この類人猿」


 一緒に飯も食わねぇで、それで家族って言えるのかよ。イルは胸の内で吐き捨てる。


 おかしな話だと思う。皆で寄ってたかって、この小さなお姫さまを豪華に飾り立てた牢獄に押し込めようとしている。イルにはそう思えた。



 ◇ ◇ ◇



 食事が終わると、老齢の執事が部屋に案内してくれた


「……今日は、本当にありがとうございました」


 去り際、彼はそう言って、深くこうべを垂れる。何のことかよく分からなくて、イルは「はあ、どうも」と生返事を返してしまった。後になって考えてみれば、執事と言えど、身分はあの老人の方がずっと上、あの返事はマズかったかな。と、軽く後悔した。


 部屋は、姫殿下の居室の隣。普段は姫殿下の護衛を務める近衛騎士が控えている部屋なのだそうだ。部屋まで一緒とでも言われたらどうしようかと思ったが、流石にそれはあり得なかったらしい。正直ホッとした。


 だが、それもつかの間。


「安心しろ、貴様は私が一晩中監視してやる……おかしな気を起こしたら、首と胴体が永遠に別れを告げることになるぞ」


 グレナダとは同室らしい。


 まあ、そもそもが近衛騎士の控室なのだ。どちらかと言えばイルの方が異物と言って良い。ともかく女性と二人っきりで夜を明かすというのに、こんなに心の踊らない話は無い訳で……。


(とっとと寝ちまおう)


 そう心に決めると、イルは部屋に入るなり、二つ並んだベッドの片方にごろりと横になって、グレナダのことなどお構いなしにまぶたを閉じる。


「まったく……いい根性をしているな、貴様は」


 どうせ怯えて眠れやしないだろうと、高を括っていたグレナダとしては呆れるしかない。


「…………いろいろあって、昨日寝てないんですってば」


「あのなぁ……寝てる間に殺されるとは思わんのか?」


「ふわぁ……べつに殺人鬼と一緒にいるって訳じゃないんでしょ?」


「ま、まあ、それはそうなのだが……」


 イルの声音には、今にも眠りに落ちていきそうな、ふわふわとした雰囲気が纏わりついている。


 怯えているかと思えば、妙に豪胆だったり、この男はまったく訳がわからない。


 グレナダがなんとも微妙な表情になったところで、イルが目をつぶったまま問いかけてきた。


「あのぉ……グレナダさまぁ、一つ聞いてもいいっスか?」


「……なんだ?」


「団長さんとは、あんまり仲良くないんスか?」


 あまりにもぶしつけな質問に、グレナダは思わず声を荒げる。


「そんなことはない! 私は団長のことを尊敬している。ただ、今は状況的にだな……」


「ん……なんスか、状況って?」


 途端にグレナダは、しまったというような顔をした。だが、こんなヤツに話をしたところで、問題になるものでもなかろうと思い返して、あらためて口を開く。


「御前会議が長引いたと仰っていただろう。あれは此度こたびの戦争でどちらにつくかという話なのだ。劣勢のフロインベールにつけば戦争は長引く、当然、被害も大きくなってしまう。だから同じ王政をひくミラベルとゴアにつく方がよい。と、私はそう主張したのだが……」


「……なるほどぉ、団長さまはテルノワールにくみすべきだって仰るんですね」


「そうだ。御前会議でも意見は真っ二つに割れていると聞く、共和制などとうそぶいてはおるが、しょせん愚物どもが集まって政治ごっこをしているに過ぎん。テルノワールについて、これを傀儡とすれば、国益にかなうという意見と、従来通り王政国家同士の結びつきを強くし、早期の終戦を目指すべきだという意見。先日までは、ほぼ後者に決まりかけておったらしいのだが、強硬に後者を主張しておられたアンジュー家のフェリペ殿が殺害されたことで、状況は前者へと傾きつつあると、そう聞いている」


「殺害? そりゃぁ穏やかじゃねぇですね。ま、俺にゃぁ関係ねーか。どっちでもかまわねーですけど、戦うんなら、相手はなるべく弱い方にしてもらえる……と……助か……ぐぅ」


 イルの言葉尻が途中から寝息へと変わって、グレナダは思わず苦笑する。


 質問するだけしておいて、寝るのかよ……と。


「ほんとにおかしな男だな、こいつは」


 どうしようもない男から、どうしようもない男という評価はそのままに、つかみどころの無い男へと、グレナダのイルに対する評価が変化した。


 微妙だが、評価としては、おそらく下がった訳ではないと思われる。

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