第60話 人さらい妖精 その1

「なにやら外が騒がしいようですな」


 ベルモンドが葡萄酒を満たした杯をテーブルにおいて、扉の方を振り返る。


「ふっ、どうせレチナ辺りが、酔った勢いで誰かに絡んでおるのだろう」


「絡まれるとしたら、まあ、ディクスンでしょうが」


 ディクスンの首を締め上げるレチナ。そんな見慣れた光景が脳裏をよぎって、サイクスは思わず苦笑する。男勝りのレチナは酔うと大抵、ディクスンに絡んでいく。彼女がディクスンを憎からず思っているのは、まあ、見ていれば大体分かる。当のディクスンを除くほぼ全員が、彼女のその不器用さを微笑ましく思っているぐらいだ。


 サイクスとベルモンドがテーブルを挟んで差し向うここは、騎士団宿舎の最奥、窓の無い団長の執務室。二人はスレイマンが辞した後も、今後の段取りについて話を続けていた。


 ベルモンドは再び杯を手にしながら、思考を巡らせる。


 次の御前会議は明後日。大勢はほぼ決しているとはいえ、最後の詰めを誤っては元も子もない。ここまでは順風満帆、だが順調であるが故に気がかりなこともある。彼は思い切って、サイクスにそれを問うてみた。


「団長。私はやはり……スレイマンという御仁は、信用に値すると思えないのですが」


「まあ、そうだろうな。見え透いている。アイツは気づかれていないと思っておるようだが、テルノワールの工作員と見て間違いないだろう。騎士専門の暗殺者も、グレナダをほふるためだけに雇った訳ではあるまい」


「それが分かっていて、何故……」


「分かっているからこそだ。利用できる者は利用する。そうやって私はここまで這い上がってきたのだからな」


 ベルモンドが「そういうものですか」と、どこか納得いかなげなニュアンスを舌先に載せたのとほぼ同時に、ドンドンドン! と、激しく扉を叩く音が執務室に響き渡った。


「どうした! 騒がしいぞ!」


 ベルモンドが扉の方へと怒鳴りつけると、廊下から転がり込んできたのは、先ほど話に出たばかりの序列第二十五位の騎士ディクスン。その姿は血に塗れて、すっかり取り乱しきっていた。


「だだだ、だ、団長! たた、大変、大変なんです。ば、化け物が! メ、メイドの化け物が!」


「落ち着け、ディクスン。一体、どうしたというのだ」


 サイクスが落ち着き払ってそう問いかけると、ディクスンは酸欠の金魚のように口をパクパクさせながら、必死に宙を掻く。どうやら言葉が出てこないらしい。そんなディクスンをベルモンドが苛立ちを隠そうともせず怒鳴りつける。


「落ち着けと言っておるだろうが! 馬鹿者! 貴様それでも栄光ある近衛騎士か!」


 途端に、ディクスンはビクッと身を強張こわばらせたかと思うと、大きく息を吸い込んで、身体を折るようにして吐き出した。


「も、申し訳ございません。て、敵襲、敵襲なんです。化け物みたいなメイドが庭に! ザールリンク殿が迎え撃って、お、おられます」


 サイクスとベルモンドは、互いに顔を見合わせる。


 敵とは一体何を指しているのか、アラミス公が私兵を率いて攻めてきた? あり得ない。敵ながら大胆な男ではあるが、間違えても愚か者ではない。それ以前にメイド? なんだそれは?


 ともかく、このままでは埒が明かない。サイクスはベルモンドへと顎をしゃくる。


「行ってやれ!」


「はっ!」


 第二位ベルモンド、第五位ザールリンク。多勢に無勢だというのならともかく、それがどんなバケモノだとしても、この二人を相手に生き残れるとは思えない。


「ディクスン! ついてこい!」


 ベルモンドが椅子から立ち上がって、そう声を掛けた途端、ディクスンは盛大に顔を引きつらせてガタガタッ! と音を立てて、壁際にまで後退あとずさった。


「イ、イヤです! 無理! あそこには絶対に戻りたくありません!」


「なんだとッ! 貴様!」


「いいから、ベルモンド! 早く行ってやれ」


「……かしこまりました」


 サイクスがうんざりしたような声を漏らして、ベルモンドは渋々頭を下げた。彼はディクスンをひと睨みすると、腹立たしげな足音を立てて廊下へと歩み出る。途端にディクスンはそのまま壁を背にして座り込み、膝を抱えてシクシクと泣き出し始めた。


「おい、おい……泣くなよ」


 これには、サイクスも流石に呆れる。いくら最下位とはいえ近衛騎士団の団員として、これはあり得ない。近いうちに団員の補充申請を出さねばならないな。と、彼は独りため息を吐いた。




 ◇  ◇  ◇




「静かすぎる……な」


 ベルモンドが廊下へ歩み出ると、先ほどまで騒がしく聞こえていた声もすでに絶えて、辺りは痛いほどの静寂に包み込まれていた。


「ディクスンめ、大袈裟に騒ぎおって。私が出張るほどのことでも無かろうに」


 騎士たちが全滅するなどとは、欠片ほども考えはしなかった。そんなことは天地がひっくり返ってもあり得ない。だが、現実は彼の想像を超えている。


「さて、その化け物とやらは、どんな醜いツラをしておるのか……」


 恐らく返り血なのだろうが、ディクスンは確かに血塗れではあったし、被害が出ている可能性だって無い訳では無い。なにより、たとえ最下位だとはいえ騎士を、大の男をあれだけ怯えさせた化け物というのには、少なからず興味をひかれるものがあった。


 彼はさして慌てる様子もなく暗い廊下を渡り、騎士団宿舎の広いエントランスホールへと到る。複数のカンテラの灯りが煌々と灯るエントランスホール。何も特別なことではない。この場所の灯りは常に絶やすことは無いからだ。


 だが――


「むっ……」


 そこに足を踏み入れるや否や、彼は片眉を跳ね上げて、剣のつかに指を這わせた。


 石畳の広いホールの真ん中に、こんなところにいるはずの無い人物がたたずんでいる。それは白いドレスを纏った双子の少女。カンテラの灯りが描き出す陰影の中に、彼女たちは静かにたたずんでいた。


 それは恐ろしく場違いな風景だった。深夜の騎士団宿舎に貴族のご令嬢。ベルモンドにも見覚えのある少女たちである。以前、王宮で見かけたことがある。双子というのは目立つのだ。で。


 だが、ベルモンドが、その双子に「こんなところで何をしている」程度の声さえ掛けようとしなかったのには理由がある。二人のうち一人、その少女が手にしているモノがあまりにも物騒だったからだ。


 それは、少女の背丈ほどもある巨大な肉切り包丁ブッチャーナイフ。それを身の丈にそぐわぬ力で肩に担いだまま、少女はもう一人の少女となにやら小さな声で囁きあっていた。


 だが、ベルモンドはその少女たちをディクスンの言う化け物だとは考えなかった。理由は単純、彼女たちは血に汚れている訳でもなく、手にしたその物騒な代物にも血の跡が無かったからだ。故に――


(何のつもりかは知らんが、騎士団がその『化け物』とやらを相手取っている間に、こっそり入り込んできたというところか……)


 彼はそう推測した。それもおおむね間違いではない。確かに彼女たちはまだ誰とも戦ってはいない。だがそれは戦わなかったのではなく、ここに至るまで誰とも会わなかったからだ。


 ベルモンドは剣を引き抜いて少女たちの方へと歩み寄り始める。ディクスンのいう化け物ではなくとも、異常な侵入者という点においては何も変わりはないのだ。排除せねばならない。彼の甲冑、その金属の擦れる音がガシャリと鈍い音を立てて反響すると、少女たちは音の聞こえた方へと静かに目を向ける。


 そして「いた! いた!」と肉切り包丁ブッチャーナイフを手にした少女がはしゃぐように彼を指させば、「いたね! いたね!」ともう一人が楽しげに頷いた。


 ベルモンドは、なにか酷くおぞましいものを目にしたような気がして、思わず剣を掲げて身構える。


「あはは、遊んでくれるの?」


 一人が肩に担いだ巨大な肉切り包丁ブッチャーナイフを一振りするのと同時に、「じゃ、ヒルダはおとなしく見てるね」と囁いて、もう一人の姿がスッと掻き消えた。


 その異常な光景に、ベルモンドは思わず目を見開く。(なんだ、こいつらは)と、頭の片隅でそう考えるのと同時に、身体はすでに動いていた。ベルモンドは一流の剣士である。肉切り包丁ブッチャーナイフ担いだ少女、その少女の発するあまりにも危険な気配に、彼は反射的に剣を携えて突進していた。


「うぉおおおおおおおおッ!」


 鬼神のごとき突進チャージ。だが、少女は肉切り包丁ブッチャーナイフを片手で軽々と振り回して、難なくそれを弾き返す。


「にゃははははっ!」


「ぬぉっ!」


 耳に少女のけたたましい笑い声が響いて、衝撃がビリビリと剣を伝って腕を這い上がってくる。彼は弾き飛ばされそうになる剣を力任せに手繰り寄せ、今度は少女の頭上へと、体重を乗せた一撃を見舞う。野太い風斬り音。鋼同士がぶつかり合う甲高い音が響いて、青白い火花が散った。その渾身の一撃ですら、鉄の塊のごとき肉切り包丁ブッチャーナイフに阻まれて、ベルモンドは体勢を崩す。


「くっ!」


「にゃははははははっ! やる気まーんまーん!」


 少女がけたたましく笑いながら、横なぎに肉切り包丁ブッチャーナイフを振りかぶるのが見えた。だが、やはりベルモンドは一流の剣士である。考えるより先に身体が動いていた。その一撃を受け止めようとはせず、なりふり構わず背後へ向かって飛んだのは野生の勘に近い行動だった。それが彼の命をながらえさせた。


 凄まじい勢いで振り回される肉切り包丁ブッチャーナイフ。その先端が甲冑の胸を掠って、激しい火花とともに深い傷を刻みつける。


「おー! 躱すんだ! 大きいのにすごいねー」


 石畳の上を転がって素早く身を起こしたベルモンドに、少女は「びっくりした」とでも言いたげな真ん丸な目を向けた。


 ベルモンドは用心深く身構えながら、ちらりと視線を落とす。わずかにかすっただけだというのに甲冑の胸甲は深くえぐれて、その下の帷子かたびらが顔を覗かせていた。もし剣で受け止めていたならば、彼の胴は剣ごと真っ二つになっていたことだろう。


「なるほど、まさに化け物だな」


 幼い少女がこれだけの剣技と膂力りょりょくを身につけているというのは驚嘆に値する。だが、まだ理解の及ぶ範囲の強さ。姿かたちの異様さを無視して、単純に腕が立つ剣士だと思えば、やりようはいくらでもある。


 ベルモンドは、正眼に剣を構えなおして少女を見据えた。

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