第59話 野良犬少女クレリック その3

 にごった眼をした、いかにもやる気のなさそうな衛士見習いの少年を挟んで、明らかに良家の子女といった装いの幼い双子がはしゃいでいる。人通りの絶えた真夜中の大通り。すれ違うものがいれば、恐らく首を傾げるであろう組み合わせである。


「……んだよ、結局、姫殿下の護衛も、依頼主はあの陰険兄貴かよ」


「うん、そうそう。あはは! アラララミスったら、昔から心配性なんだよねー。アストレイアちゃんがー、王宮の外に出ちゃうよー。心配だよー。って泣きそうになってるんだもん」


 泣きそうというのは、大袈裟に言っているのだと思いたい。あんな景気の悪いツラをした男が、そんな子供染みた態度をとっているところは、正直あんまり想像したくない。あと『ラ』多すぎ。


「でね、でね! アララララミスも夜の住人ノクターナルにとってはお得意さんだし、勝手に仕事受けちゃうとマズいかなぁと思って元締めに話しを通したら、『最悪イルネス』に振るっていうんだもん。ズルいよ あやまれ!」


「んなこと言われてもなぁ……」


 イルは不満げに唇を尖らせる。『ラ』の数については、もはやツッコむ気もない。


 実際、彼にしてみれば、あの護衛は無理やり押し付けられたようなものだ。不本意も不本意。姫殿下の相手だけならともかく、あの脳筋女ともセットで行動する羽目に陥ることが事前に分かっていれば、全力で断った。うん、間違いない。絶対断ったはずだ。


 今日襲い掛かってきた黒騎士がグレナダに、『素直に嫁いでいれば良かったのに』とか適当なことぬかしてやがったが、あんなのお貴族さまじゃ手に負えない。猛獣使いでもないと無理ってもんだ。


「うーん、でも、まぁ、いいや。結局、お仕事も回ってきたし」


 そう言って、左側を歩いていたミリィが小走りに前へ駆け出すと、振り向いてイルの右側を歩いているヒルダに手を差し伸べる。


「じゃ、『最悪イルネス』! ミリィたち先にいくね。いこっ!」


「うん!」


 ヒルダがパタパタとミリィに歩み寄ると、二人は――


「「じゃ、またあとでね~」」


 と、イルに向かって手を振る。そして、互いに手を繋ぎあうと、イルの視界から二人の姿が唐突に掻き消えた。


「ったく、騒がしいったらありゃしねぇ」


 イルのその呟きは、急に静けさを増した大通りに、やけに大きく響いた。




 ◇ ◇ ◇




「……存外、呆気ないものだったな」


 通りを下っていく馬車のキャビン。スレイマンはそのでっぷりと太った身体を座席に投げ出して、誰に言うでもなく、そう呟いた。


 サイクスを篭絡ろうらくし、この国とテルノワールの間を取り持つことで戦争を長引かせて大儲けする。いかにも欲深な悪徳商人らしい企み。だが、それはサイクスをあざむくための仮面でしかない。スレイマンにはもう一段階、裏の顔がある。それは、テルノワールの幹部の一人としての顔。


 ミラベルとゴアの二国が相手では、贔屓目に見てもテルノワールに勝ち目はない。だがフロインベールを味方に引き摺り込むことができれば、それを一気に優勢な状況にまでひっくり返すことが出来るのだ。


 御用商人としてこの国の中枢、その力関係はよく把握している。では、この国を味方につけるために、誰をどう動かすか? そう考えた時に真っ先に浮かび上がったのが、近衛騎士団の団長サイクスであった。


 サイクスは庶民上がりなだけに、地位と名声に飢えている。騎士爵はあれども貴族ではない。団長だというのに、部下よりも社会的な身分は低いのだ。本人としても忸怩じくじとして思いを抱いていることだろう。その推測は的を射ていた。テルノワールと手を結び、アストレイア姫の身柄を確保して、最後は王位を簒奪する。そういう筋書を描いてやったら、一も二もなく食いついてきたのだ。

 

 想像以上の大物と結びついていたのには肝を冷やしたが、サイクス自身は所詮しょせん、成り上がり者の武人。海千山千の商人にかかれば、犬を飼いならすのとさして違いはない。目の前に餌をぶら下げてやるだけで良いのだ。気が抜けるほど簡単だった。


 哀れな女騎士をほふった鉄の爪。それが自分の方へと向かってくることも想像出来ない程度の愚か者だ。買い付けた塩も順次テルノワールへと運び出している。塩の値を吊り上げられて、泣きを見るのはミラベルやゴアだけではない。戦争が終わった後には、この国にそのツケが回ってくる。戦争を勝利へ導いて、英雄と呼ばれるのは決してサイクスではない。このスレイマンなのだ。


「笑いが止まらないとは、正にこういうことをいうのだな」


 と、スレイマンが思わず口元を緩めた途端――


 突然、馬が激しくいななき、馬車の車体が女の悲鳴のような金切り音を立てて、大きくよれた。


「な、なんだ!?」


 振動に足をとられながら、その太った身体をジタバタと動かして、スレイマンは御者台につながる小窓に飛びつく。掌二つ分ほどの小さな窓に顔を押し当てて外を覗き見た途端、彼は慄然として息を呑んだ。

 

 視界に飛び込んできたのは、干された洗濯物のように御者台の欄干へと前のめりに倒れ込んでいる御者の姿。御者を失った馬車は暴走し始めている。


「くっ! 刺客か、どこだ!」


 暗い大通り、道の先へと目を凝らすと、はるか遠くに独りの人影が見える。


「どこの手の者だ!」


 スレイマンがそう声を上げた瞬間、キャビンの小窓、本当に小さなその窓を突き破って飛び込んできた短い矢が、寸分の狂いもなく彼の額を貫いた




 ◇  ◇  ◇




 暴走馬車が走り去っていく。そのけたたましい車輪の音を背中で聞きながら、『司教クレリック』はクォレルを肩に担いで、安堵のため息交じりに呟いた。


「……きっちり死んでやがったな」


 すれ違いざまに馬車のキャビン、その車窓の内側が見えた。額に矢の刺さった肥満体の男が、無様に口を大きく開けたまま座席にもたれ掛かっていた。あの小さな窓を撃ち抜くのは流石に緊張したが、身に着けた技術は、決して彼女を裏切らない。


 呆気ないといえば呆気ない。危険リスクの少ない仕事だ。たぶん、元締めはそういう仕事を選んで、回してくれてるのだと思う。


 彼女にしてみれば、「もっと危ない仕事でもちゃんとこなして見せる」という思いもあるが、まだ幼い弟や妹たちのことを考えれば、ここで死ぬわけにはいかない。これはこれで良いんだとも思う。


「さって……急いで帰んなきゃな」


 先月拾ってきた二歳のミラは、毎晩「おしっこぉ……」と、起きだしてくる。彼女がその場にいなくとも、あと数日で十三歳になるリーズが、ちゃんと面倒を見てくれるだろうとは思うけれど、それならそれで、こんな夜中に外出している言い訳を考えなくちゃならない。でなきゃ、弟たちがおかしな勘違いをする。


 先日、最年長のマックィンが「姉ちゃんだって年頃なんだから、恋人の一人や二人いてもおかしくないだろ? みんなちゃんと気づいてないフリをするんだぞ」などと訳知り顔で、弟や妹たちに言い聞かせるのを聞いてしまったのだ。


(恋人? いるわけねぇだろ、んなもん)


 顔面にでっかい傷をつけた、素性のはっきりしない修道女シスター。しかも二十一人の孤児のコブつきだ。おまけに裏の顔は暗殺者ときたもんだ。


(ありえねぇから)


司教クレリック』は苦笑すると、さっさと路地裏へと消えていった。 




 ◇ ◇ ◇




「どうなさいました?」


 ぼんやりと物思いにふけるクリカラに、銀猫がガラス玉のような目を向けて首を傾げる。


「あ、ああ、少し……思い出してしまったものですから。……どこまで話ましたか」


「孤児の少女に暗殺者の仕事を振った、と……」


「そうでしたね。ともかくその少女は、私が与えた仕事をこなして見せたのです。約束は守られねばなりません。私は彼女を暗殺者として雇うことにしました」


「でも……七歳の女の子ですよ、ね?」


「ええ。衛士を相手に仕事を成し遂げたのも奇跡。二度も奇跡が起こるとは思えません。ですので、私は『古狼アルトヴォルフ』に頼んで、彼女を指導してもらうことにしたのです」


「指導?」


 銀猫が無意識に片方の眉を吊り上げる。表情に乏しい彼にしては珍しい顔。それぐらい意外な話なのだ。暗殺者は基本的に一匹狼である。共闘することはあれど、指導したなどという話は聞いたことがない。


「『古狼アルトヴォルフ』は引退したいと言っているのを引き留めている状態でしたし、ならば最後に、その技術を彼女に継承させてやってほしいと、そうお願いしたのです」


「引き継げるものなのです、か?」


「もちろん、呪いを引き継ぐことなどできませんし、不幸な運命をわざわざ引き継ぐ必要はありません。彼の呪いはそれほど強力なものではありませんでしたし、むしろ、彼は技術によって暗殺を成し遂げていた比率の方が高かったのです」


「技術……ですか?」


「ええ、暗殺者になる以前の彼は軍属で、とりわけ彼の母国ベスピオでは『弓聖』と呼ばれて崇められるほどの人間でしたから」


「なるほ、ど」


「弓を修得し終わるまでの一年の間は、彼女と他の孤児たちには、私から食べていけるだけの金銭を与えました」


「ええっ!?」


 銀猫が零れ落ちんばかりに目を見開き、クリカラは苦笑する。彼が驚くのも当然だろう。人を売り飛ばしてまで金を稼ごうという奴隷商人が、金を与えたというのだ。


「理由は二つあります。一つは単純に、私が気に入ったから。もう一つは高く売りつける相手が見つかったからです」


 銀猫は、なぜかホッとしたような顔をした。だが続くクリカラの一言に、今度は困惑するように眉根を寄せる。


「高く……とは言ってもお金の話ではありません。私は報われるべき者が報われるところを見たかったのです。この世界が価値あるものだと……そう納得したかったのです」


「それは……一体?」


「古くからご愛顧いただいている、ある上得意さまに、ひょんなことから彼女の話をすることになったのですが、その方が彼女のことをいたくお気に召されたのです……そして、こう仰ったのです」


 そう口にして、クリカラはなんとも微妙な表情を浮かべた。苦笑しているかのような、楽しげに笑っているかのような、どちらともとれそうな、そんな顔。


「将来、その娘を我が子の妻として迎え入れたい……とね」

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