第61話 人さらい妖精 その2

「うらぁあああああっ!!」


 ベルモンドは構えた剣を大上段に振り上げ、裂帛れっぱくの気合とともに、少女目掛けて突進する。少女に慌てる素振りは見られない。それどころかニヤニヤと笑うばかり。彼女は肉切り包丁ブッチャーナイフを振りかぶって、振り下ろされるベルモンドの一撃を迎え撃とうとしていた。


(かかった!) 


 そんな彼女の挙動に、ベルモンドは胸の内でほくそ笑む。いくら剣技を磨こうが、化け物染みた力を持とうが関係ない。経験の差は埋められない。彼は傭兵上がり。十代の頃から死線をくぐり抜け続けてきたのだ。自信満々の強者を、そのおごりにつけ込んでたおす術も身に着けている。


 彼が剣を振り下ろすその瞬間、少女はどこか呆れるような顔をして、振りかぶる肉切り包丁ブッチャーナイフを途中で止めた。それもそのはず、甘い踏み込み、かすりもせず、その切っ先は少女まで届きもしない。彼の剣は少女の眼前で空を斬って石畳の床を叩く。


 間合いを誤った? いな、これこそ経験の差。


 ベルモンドの剣、その切っ先が地面を叩いたまさにその瞬間、彼は腕の力を抜いて更に一歩踏み込んだ。少女は途中で止めた肉切り包丁ブッチャーナイフを掲げたまま、それまで浮かべていた満面の笑みを驚愕に凍り付かせる。おごりに溺れて死ぬがいい! ベルモンドの剣が予想外の動きを見せたのだ。その切っ先が石畳の上で鞠のように弾んで、下からえぐるように、彼女のがら空きの胴体へと襲い掛かった。


 これはかわせまい! ベルモンドは勝利を確信した。


 股間から脳天までを斬り上げて、幼い少女をにする。そんな凄惨な光景が脳裏をよぎった途端、彼は心臓が激しく高鳴るのを感じた。背徳的な暗い悦びが、背筋をゾワゾワと駆け上がってくる。子供を斬るのは久しぶりだ。傭兵時代に辺境地の村を焼き討ちにしたあの時以来。大人とは違う柔らかな手ごたえを思い起こして、興奮にザワザワと皮膚が泡立った。


 鋭い風斬り音を立てて、ベルモンドの凶刃が彼女へと迫る。


 だが、少女の白いドレス、その裾に剣の切っ先がわずかに触れた瞬間、彼女は驚愕の表情のまま、身体を強張らせたままに、何の予備動作も無しに背後へと弾かれるように跳び去る。


 虚しく宙を斬る剣。


「なにぃいいいい!?」


 まさかかわされるとは思っていなかっただけに、ベルモンドは反射的に声を上げた。

 

 どう見ても少女自身は何もしていない。何者かに背後から無理やり引っ張られたかのような、そんな挙動。思わず見開いた彼の目に飛び込んできたのは、肉切り包丁ブッチャーナイフを掲げた少女の首根っこを掴んで、背後へと引っ張り倒すもう一人の少女の姿だった。


「もう、ミリィったら、遊びすぎ」


「えへへ、ごめーん」


 突然、姿を現した少女は唇を尖らせ、肉切り包丁ブッチャーナイフの少女は、誤魔化すようにえへへと笑う。


 先ほどベルモンドは、『理解の及ぶ範囲の腕』そう考えた。


 だが、それはあくまで肉切り包丁ブッチャーナイフを掲げた少女の方。このもう一人の少女の方については、姿を消したその直後から、彼の意識からぽっかりと抜け落ちてしまっていたのだ。


「何なんだ、一体! お前らは一体何なんだ!」


 思わず声を荒げるベルモンド。それを振り返って少女たちは揃って口元を歪める。カンテラの灯りの下に浮かび上がる、下弦の月の形をした不気味に歪んだ赤い口。




「「夜の住人ノクターナルだよ」」




 二人の声が重なり合って響いた。


「ふざけるな! 貴様らのような子供が暗殺者だと? 馬鹿も休み休みにいえ!」


「そんなことをいわれたって、ねぇ、ヒルダ」


「だよねー」


「……やはり双子は、悪魔の仔だとでもいうのか……」


 ベルモンドが呆然と呟いたその一言に、二人はピクリと身体を跳ねさせる。


 この国では双子は忌み嫌われている。双子のうち一人は、悪魔が妊婦の母胎に忍ばせた悪魔の仔だと、考えの古い者たちは未だにそう信じている。


 だからこそ、ミリィとヒルダは


 大人たちがいらぬことをせねば、二人はただの子供でいられたのだ。




 ◇ ◇ ◇




 ミリィとヒルダの父親は、下級貴族だった。爵位で言えば準男爵。それが彼女たちが四歳を迎える頃、ひょんなことから栄達の機会を得たのだ。


 その時、口さがない者たちが、父親の耳に毒を流し込んだ。「双子は忌まわしい。貴卿の娘が双子だと陛下に知られれば、きっと栄達の機会が途絶えるぞ」と。


 それが事実かどうかは関係無かった。折角掴んだ機会が消え失せるかもしれないという思いは、父親の胸へと暗い影を投げかけたのだ。日を追うごとに大きくなっていくその影は、ついに絶望的な所業となって双子の運命を捻じ曲げる。


 ある朝、ミリィが目を覚ますと、隣で寝ていたはずのヒルダの姿が消えていた。


「ヒルダはぁ? ヒルダはどこぉ?」


 母親に尋ねても悲しげに微笑むばかり。父親に尋ねると不機嫌に怒鳴りつけられる。ミリィだって、幼心に双子が忌み嫌われていることぐらいは察していた。使用人たちがヒソヒソと話をしているのも耳にしたことがある。幼いミリィにも、何が起こったのか大体の想像がついた。


 両親は、とうとうヒルダを存在しなかったことにしようとしているのだと。


「ヒルダぁ! ヒルダぁ!」


 幼い少女の悲痛な声が響く。ミリィは、ヒルダを求めて探し回った。だが、幼い子供に出来ることなど、たかが知れている。ミリィはただ、喉が潰れるほどにヒルダの名を叫びながら、屋敷の周囲を捜し歩いた。名を呼ぶことをやめてしまえば喉どころか、心が潰れてしまう。そう思った。


 大人たちにしてみれば、何が起こったのかは一目瞭然だったことだろう。屋敷に仕えるメイドや下男たちの多くは、主の意図をくみ取って目をつぶり、その耳を塞いだ。


 だが只一人、そうせぬ者、そう出来ぬ者がいた。


 父親が抱える私兵、その隊長を務める四十がらみの男である。


 名をナヴァロという。


 彼は善人であった。


 間違っていることを間違っていると言える、強い人間であった。


 彼は下男の一人を締め上げて、ヒルダの居所を突き止めた。彼らの主である準男爵――双子の父親の指示で、その所領の南に広がる深い森。悪霊が住まうと噂され、何者も近寄らない不気味なその森に置き去りにしてきたのだという。


 ナヴァロが憔悴しきったヒルダを抱きかかえて屋敷に戻ってきたのは、その翌朝のこと。ヒルダが姿を消して、実に七日後の朝のことであった。


「賊にさらわれたお嬢さまを救って参りました」


 彼は準男爵に向かって、何も気づいてないかのようにそう言い放ち、準男爵は目を逸らしながら、苦々しげに「ご苦労」と、そう告げた。


 だが、危機が去った訳ではない。ナヴァロは二人に、何かあれば自分を呼ぶようにと言い含め、ミリィとヒルダは互いから一層離れなくなった。


 表面上は何事もなく過ぎ去っていく日々。憔悴しきっていたヒルダも次第に元気を取り戻していった。


 だが、一月ほども経った頃、今度は屋敷からナヴァロの姿が消えた。


 メイド達の話に聞き耳を立てれば、なんでも『おうりょう』して、首になったのだとか。幼い二人には、それがどういうことか、はっきりとは分からなかったが、もちろん、二人は彼が悪いことをしたなどとは信じなかった。


 だが、――これでヒルダを守れるものは、自分しかいなくなった。


 ミリィはそう思った。


 ――自分さえいなければ、こんなことにはならなかったのに。


 ヒルダはそう思った。


 そして、ナヴァロが居なくなって、数日が経った夜のことである。


 下男が一人、二人の寝室に忍び込んできた。ヒルダを森へと攫った、あの下男である。二人は身体を強張らせながら、握り合った手を更に強く握る。次第に近づいてくる足音。それを聞きながら、ミリィは枕元に隠した短剣へと指を這わせた。


 この日に備えて、父親の部屋から持ち出しておいた短剣。下男の指先が毛布へとかかったその瞬間、ミリィはその短剣を引き抜いて下男の方へと突き出した。が、それはわずかに衣服をかすっただけで、虚しく空を斬る。


「この野郎! あぶねぇじゃねぇか!」


 男の平手がミリィの頬を打って、ミリィはベッドから転げ落ちる。そして、その下男は怯えるヒルダの腕を掴んで、ミリィに凄んだ。


「オメェでも良いんだぞ! 旦那様は最悪、オメェでも構わねぇ、そう仰ってるんだからな!」


 そして、ひきつけを起こしたかのように、身を縮めるヒルダに顔を突きつけて、ぬめっとした声音でこう言い放った。


「要らない子、おめぇがいれば皆が不幸になるんだ。お前がいなければナヴァロの野郎も始末されずに済んだんだ。全部おめぇが悪いんだぞ」と。


 ヒルダの目にじわりと涙が浮かぶ。喉の奥にぐっと嗚咽が詰まった。


「ヒルダを放してっ!」


「大人しくしてろって言ってんだろうが!」


 声を上げてつかみかかるミリィを小煩げに払いのけ、男はヒルダの手を乱暴に掴んでベッドから引きずり下ろす。


 絶望的だった。これだけ騒がしくしているというのに、誰も起きだしてはこない。ナヴァロの死は見せしめとして充分だった。


 ――ヒルダを守る力が欲しい。


 ミリィはそう願い、


 ――私さえいなければ……。


 ヒルダが、胸の内でそう嘆いた。


 その瞬間のことである。二人の耳元で何者かが囁いた。


 ――よかろう、望みを叶えてやろう、と。


 そもそも四歳の幼子が深い森で、七日も生き延びられた時点でなにかがおかしかったのだ。その時点で既に、何かがヒルダの中に潜んでいたのだ。


 ――だが、相応の代価は支払ってもらう、と。


 そんな囁きが、二人だけに聞こえた。


 翌朝、屋敷の廊下で、真っ二つに引き裂かれた下男の死体が見つかった。


 凄まじい力でねじ切られたような、そんな死体だった。


 そして、その日から準男爵の娘は最初から一人……そうなった。


 目の前にいるというのに、彼女たちの両親、そして屋敷のメイドや下男たちの目にヒルダの姿は映らない。ヒルダを認識できなくなったのだ。双子でさえなければ、ただの善良な両親。元の家族に戻れはしないが、もはや殺さねばならぬ理由は無い。


 食卓には、ミリィ一人の前に二人分の食事が並ぶ。


 どんなものでも、二人分を求める変わったお嬢さま。


 以来、ミリィはそう思われている。


 服をあつらえる時には、同じものを二つ。髪飾りも二つ。アフタヌーンティーも、二人分を用意せねば怒り出す。


 そう、なんでも二つなのだ。

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