第43話 前言撤回
「なるほどぉ~、それで姫殿下直々に、こんなところにお越しになられたって訳ですね……」
「ええ、そうですの」
そう言って一つ頷くと、姫さまはイルの方へと目を向けて、華やかな微笑みを浮かべる。
「それにしても、アナタは聞き上手ね。こんなに楽しくお話できたのは、いつ以来かしら?」
まあ人間、なにかしらの取り柄ぐらいはあるもので、イルは確かに聞き上手。ニーシャとボードワンによる毎日の説教は、イルを
下衆な話ではあるが、説教というのは相手のためという建前の下で、自分の不満を解消する作業に他ならない。イルはそう捉えている。
故に説教を早く終わらせるためには、気持ちよく語って貰って、いかに満足してもらうか。それが重要なのだ。
散々説教を食らっているせいでバカなのだと思われがちだが、実際のところ、イルの頭は悪くない。勉強が出来るという訳ではないが、洞察力が人並み外れているのだ。ただ、残念なことに、性格には大いに問題がある。それだけだ。
故に彼は、説教を受ける度にトライアンドエラーを繰り返し、相手に気持ちよく話してもらうためにはどうすれば良いのかを完璧に理解していた。
くだらないという無かれ、これが実に侮れない。
例えば、男性が聞き手に求めるのは理解。女性が聞き手に求めるのは主に共感である。無論、何事にも例外というのは存在するのだが、
ゆえに、男性への相槌は、「つまりこういうことでしょうか?」「こうであっていますか?」と確認すること。要は、「理解しようとしてますよ」と、強くアピールすればよいのだ。
だが、それは女性相手では逆効果になる。多くの女性は理解など求めておらず、しつこく尋ねると、機嫌を損ねてしまうことになりかねない。
女性に対する正しい相槌は、「酷いでしょ!」と言われれば「酷いよね」、「すごいでしょ!」と言われれば「すごいね」、「楽しそう!」と言われれば一緒に「楽しそう」。要は、あなたと同じように感じてますよと、相手に伝えることが重要なのだ。
それを突き詰めていけば、最後は結局、オウム返しになってしまうのは、何とも馬鹿にしたような話ではあるけれど。
さして社交的とはいえないイルが、それを完璧に習得しているのは皮肉なようにも思えるが、半面、要領よくサボるためだと思えば納得もいく。クズの正常進化だと言えなくもない。
側に
それはまあそうかもしれない。ひたすら走り続けるむさ苦しい男たちを、一日中眺め続けるなんていうのは、イルの感覚でいえば拷問以外の何物でもないのだ。
面倒くさいのには違いないが、幼い女の子の話を聞くだけで良いのだ。一日中走らされることを思えば、天国だと言ってよいだろう。同僚たちが向けてくる恨みがましい視線など、今更、気にするつもりもない。
それに、おかげでこのおかしな状況がよく呑み込めた。つまり、こんなしがない衛士団に姫殿下が送り込まれてきた理由が……だ。
端的に言えば、姫殿下がこんなところに来たのは、父親……つまり国王陛下の役に立ちたい。そう思ったから。
国王の役目は国のかじ取り。では王族たる自分の役目は一体なんなのだろう。常々そう考えていた姫殿下は、戦争が近くなって漂い始めた不穏な雰囲気を鋭敏に感じ取って、国王陛下に自分も何か役に立ちたいと、そう仰ったのだそうだ。
国王陛下は優柔不断ではあるが温厚な人格者である。それはこの国の人間なら、誰もが知っていることだ。ゆえに頼りないと言われながらも、それなりに民衆から愛され、人気もある。
だが、この時はよっぽどテンパっていたのか、「役にたつことなどない、大人しくしておれ」と、国王陛下は姫殿下に冷たくそう言い放ったのだそうだ。
国王陛下の部屋を辞して、廊下に出た途端思わず泣きだしてしまった姫殿下を慰めたのが、たまたまその場を通りかかった近衛騎士団長サイクスなる人物である。
彼は
「戦争は既に近く、戦力の増強、兵士たちの練度の向上は我が国にとって喫緊の課題でございます」
「ええ、そうよね」
「そんな折、実は王都の東門衛士団の団長が急死いたしまして、死者を冒涜するつもりはありませんが、私は、これはこれで衛士たちを鍛え直す良い機会ではないかと考えております」
「うん……」
言っていることは分かるけれど、それが自分にどう関係するのか、それが全く分からなくて、姫殿下は随分困惑したそうだ。
「そのため東門の衛士詰所に、近衛騎士団から人を派遣するつもりにしておったのですが……姫殿下、その役目をお願いできませんでしょうか?」
「え? ワタクシが?」
「はい、左様でございます。……とは申しましても、実際の指導は騎士団の者が行います。姫殿下は団長として、衛士たちの訓練をご照覧くだされば、それで結構です」
「見ているだけ……ですの?」
「姫殿下、王家に忠誠を捧げるものならば、王族の方々がご照覧くださるだけで無限に力が湧いて参ります。姫殿下にご照覧いただければ衛士たちも発奮し、訓練は通常の倍ほども
本来なら近衛騎士団でも二十位以下の下位の者が赴任してくる予定だったそうなのだが、姫殿下の護衛を兼ねるということで、急遽、同じ女性であり騎士団の中でも指折りの実力を持つグレナダに、交代することになったのだとか。
うん、それでわかった。そのサイクスってヤツが全部悪い。そいつが要らないことを言い出したせいで、衛士全員が、今まさに地獄を見せられているのだ。あのサド女に。
まあ、それは冗談として、いや半分本気だけど……。
善意で見れば落ち込む姫殿下になにか役割を与えようとした、ということなのだろうが、姫殿下を狙う人間がいるとすれば、姫殿下を王宮の外に出すべく働きかけたそのサイクスという男が、どう考えても一番怪しい。
だが、姫殿下はかなり信頼しているようだし、何より、姫殿下の護衛にグレナダを抜擢したというのが引っかかる。暗殺するつもりなら、一番腕が立つ者を護衛に抜擢するというのは、どう考えても筋が通らない。
じゃあ、あのサド女もグルという可能性は……うん、無いな。
先ほどの激昂っぷりを見てもわかるように、その性質は直情径行。間違っても腹芸の出来る人間ではない。姫殿下暗殺などという後ろ暗いものを胸の内に抱えながら、あんなに平然としていられるとは思えない。
イルがそんなことを考えていると、姫殿下は衛士たちを追い回しながら怒鳴り散らすグレナダの姿に目をやって、くすりと笑った。
「サイクスは王家に忠誠を捧げるものなら無限に力が湧いてくる。そう申しておりましたけど、アナタはそうではないのですね」
「え、いや! そ、そんなことは……」
思わず慌てるイルを、姫殿下は澄んだ瞳でじっと見つめる。
「取り繕う必要などありません。だからこそ、側に
イルは思わず空を見上げ、参ったなぁ、と頭を掻く。
話を誘導して聞き出しているつもりだったのに、俺はどうやらこの幼い姫殿下の小さな掌の上で転がされていたらしい。まさか、こんな小さな女の子に器の違いというものを見せつけられるとは、思ってもみなかった。
暗殺者の身では王家への忠誠など捧げることもできないし、捧げられても困るだろうが、少なくとも一つ撤回しておかねばならないことがある。
こんな女の子を死なせてしまったら、俺はきっとこの先、二度と安らかな眠りを得ることはできなくなるだろう。いかにクズといえど。
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