第42話 お傍においてよ、姫殿下!

 ――行動する。


 そう決めてしまえば、イルのすることは決まっている。


 訓練場を周回しながら、姫殿下のいる辺りへと差し掛かると、彼は自ら地面へと身を投げ出したのだ。


 もちろん演技だが実際、限界が近いこともあって、その倒れ方は真に迫っている。目の前で倒れこむイルの姿に、姫殿下が目を見開くのが見えた。


 だが、途端に――


「この軟弱者がっ! 姫殿下の御前でなんたる醜態! 貴様! そこに直れ!」


 グレナダが足早に駆け寄ってきて、つま先でイルの脇腹を蹴り上げる。それも、足の先まで鋼の甲冑でだ。


(シャレにならねぇ!)


 イルは危うく発動しかけた『呪い』をねじ伏せて、身を固くする。あばらがへし折れたっておかしくないほどの衝撃。(やっぱりコイツ、無茶苦茶だ!)と、胸の内で吐き捨てながら、大袈裟に悲鳴を上げて転がる。


「ぎゃああああああっ!」


「立て、このクズめ!」


 怒りに秀麗な顔を歪めながらグレナダがイルの背を踏みつけると、姫殿下が椅子から立ち上がった。


「グレナダ! お待ちなさい!」


「姫殿下、こいつは大袈裟に痛がっているだけです! ご心配には及びません」


 そう言って、再び足を振り上げるグレナダ。だが、姫さまが有無を言わさぬような声を張り上げる。


「グレナダッ! 二度は申しませんよ!」


「うっ、は、はぃ……も、申し訳ございません」


 グレナダにとっても姫殿下のその剣幕は意外だったのだろう。彼女は戸惑いながら振り上げた足を下ろした。


「あなた……大丈夫ですか?」


 姫殿下は、身を起こそうとするイルの側へと歩み寄って、心配そうにそう声を掛けてきた。


(……助かった)


 どうやら姫殿下は、真面まともな感覚の持ち主らしい。グレナダと一緒になって踏んづけてくるようならどうしようかと思っていたのだが、それは杞憂だったらしい。


 イルは、すぐそばにしゃがみ込む姫殿下を目にして、思わず息を呑む。


 王族というのを、こんなに近くから眺めるのは初めてだったが、姫さまは、まるで陶器人形ビスクドールみたいだった。


 恐らく、まだ十歳にも満たない幼い少女である。


 陽光の煌めきを纏った白金の髪。染み一つない瑞々しい肌。たれ目勝ちの眼は優しげで、水底から見上げた空のような、深い蒼の瞳がイルをじっと見つめていた。


 この幼さでこの美しさなのだ。あと五年もすれば、どれだけ美しくなるのか想像もつかない。


 それが、(やっぱ、食い物の違いかなぁ? 良いもん食ってんだろうなぁ)という感想に落ち着くのは、やはりイルの育ちに問題があるのだろう。


「どこか、痛みますか? 立てませんか?」


 ぼーっとしたままのイルの顔を姫殿下が心配そうに覗き込んでくる。イルはハタと我に返って慌てて返事をした。


「は、はい。申し訳ありません、姫殿下! 大丈夫……なんですが、もう足が言うことを聞いてくれなくて……」


「そう……なのですね。……ごめんなさい」


 なぜかしょぼんと肩を落とす姫殿下。彼女は落ち込んだ表情のままに、グレナダの方を振り向いた。


「ねぇ、グレナダ。王家の人間が照覧している限り、衛士の皆さんには無限に力が湧き出してくるのではなかったのですか? サイクスはそう申しておりましたけれど……。やはりこれは、ワタクシの力不足。そういうことなのでしょうか?」


(……なに言ってんだ、コイツ?)


 それが、イルの正直な感想である。そりゃあ、多少張りきるヤツはいるだろうが、王族が見てれば、みんな元気一杯とか、そんなことある訳がない。


「滅相もございません! 姫殿下には何の落ち度もございません。ただ、その男が姫殿下のご照覧、その恩恵に浴する資格も持たぬほどのクズなだけでございます! 忠誠心が足りないのです!」


「……そうなのですか?」


 イルの方へと向き直って、首を傾げる姫殿下。


(だから、何が?)


 何が何だか分からないけれど、今にも泣きだしそうな顔を向けられると正直困る。子供に泣かれるのは正直苦手なのだ。ここはなんとか口八丁をつくして、良い形に持ち込みたいところだ。


「そ、そうです。悪いのは、俺……僕の方です。僕は出来が悪くて他の連中よりも、王族の方の恩恵を受けることに慣れていないので……」


「何が、『僕』だ、気色の悪い」


 グレナダがいとわしげに吐き捨てる。だが――


「ですから、姫殿下のお傍で数日も安静にしていれば、人並みにもなるのだと思いますけれど」


 イルがそう口にした途端、彼女は激昂した。


「きっさまああぁ! 姫さまのお優しさにつけ込むつもりかぁあ!!」


「ひぃい、お助けぇ!」


 剣を引き抜いて迫ってくるグレナダ嬢に、イルは怯えるフリをして姫殿下の背後に隠れる。幼い少女を盾にしようというのである。クズの本領発揮といったところ。だが、姫殿下は両手を大きく広げると、イルをその背に庇うように立ちふさがった。


「控えなさい、グレナダ! 悪いのは自分。そう申しておる者をいたぶろうというのですか!」


「しかし!」


「グレナダ! アナタがそんな人だとは思いませんでしたわ!」


「くっ……」


 その一言に、グレナダは悔しげに顔を歪めたかと思うと剣を収めて、そのまま花が萎れるようにしょぼんと肩を落とした。


「そんな人……そんな人って……ひ、姫殿下に嫌われてしまった……」


 いくらとんでもないサド女だと言っても、流石にこの世の終わりのような顔をされると、多少罪悪感を……うん、やっぱ別に感じない。ざまあみろって感じだ。


 思わずつり上がりそうになる口の端。だが、姫殿下が顔を覗き込んできたので、イルは強引に殊勝な表情を作る。まあ、もともと目は腐っているので、それほど殊勝には見えないかもしれないけれど。


「あなた、お名前は?」


「は、はい! イルです」


「よろしい。では、イル。あなたの申す通り数日の間、ワタクシの傍にはべることを許しましょう」


 途端にグレナダが慌てて顔を上げる。


「姫殿下!? そんなクズをお近くに置いては御身が汚れます!」


「ワタクシが許すと言っているのです」


「くっ……で、では、せめて煮沸消毒しゃふつしょうどくを……」


(やべぇ、あいつ、俺を煮殺す気だ!)


 だが姫殿下は小さく首を振って、グレナダを見据える。


「ワタクシがなんのためにここに参ったのか、知らない訳ではないでしょう? グレナダ」


「ぐっ……」


 途端にグレナダは、悔しげに言葉を喉に詰めて、再び項垂うなだれた。


 イルは思わずホッと息を吐く。


 なんだかよくわからないが、どうやら話がうまく転がったらしい。


 ただ、これ以降のグレナダの不機嫌さは酷いもので。


 彼女は悪鬼羅刹のごとくに衛兵たちを追い回し、昨日の比ではないほどの地獄を見せられた同僚たちの怨嗟の視線が、姫殿下の傍でのんびりと腰を下ろすイルに、ザクザクと突き刺さったのである。

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