第113話 星を観る者(スターゲイザー)

「置いていっちゃうんだにゃ?」


「だってアンタ、そりゃぁ、野暮ってもんでしょうが?」


 逃げ出した騎士を始末し終えて戻ってきたヴィヴィと青猫は、激しく降りしきる雨の向こうに、互いを情熱的に求めあうイルとグレナダの姿を見た。


 途端に、ヴィヴィは荷馬車ワゴンを反転させて、王都の方へと走り出したのだ。


 もはや、あの二人の目には互いのことしか映っていない。何もかもを忘れ去って、無心に互いの唇を貪りあっているのだ。


 何があったのかはさっぱり分からないが、そんなところにホイホイと割って入れるほど、ヴィヴィの神経は図太くない。


 オリガの姿は見当たらず、先ほどすれ違った金色の甲冑を纏った騎士が、少し離れたところに倒れていた。誰かは知らないが『最悪イルネス』とやりあって勝てる訳がない。


「ほっときゃいいのよぉ。落ち着いたら勝手に帰ってくるわよ。それより、アタシたちをコケにしてくれたお姫さまには、どう始末をつけてもらおうかしら? 青猫ちゃん、お姫さまの居所ってわからないの?」


 御者台の座席、ヴィヴィの隣に、実に猫らしい態勢で座っている青猫は、少し考えるような素振りを見せる。


「にゃー。それなんだけどにゃ、午後から元締めのところにアラミス公が来るみたいだにゃ。姫殿下について話があるって、使いに来たメイドが言ってたにゃ」


「あら、そう。うーん、じゃあ勝手に首ツッコむ訳にはいかなさそうね。それにしても、結局、姫殿下は何考えてあんなことしたのかしら? 『最悪イルネス』は、あのオリガってのから、ちゃんと聞き出せたのかしら?」


「それなんだけどにゃ、わざわざ聞き出すまでも無さそうだにゃ」


「どういうこと?」


「銀猫が色々調べてたのにゃ。で、調べて分かったことと、銀猫から数えて二代前の記憶が結びついたんだにゃ。それで大体わかったにゃ」


「なにそれ? 二代前って……そんな前の話が関係あんの?」


「にゃー、二十年より、もうちょっと前かにゃぁ? 赤猫の前の、茶虎の記憶だにゃ。ややこしいにゃいようだからにゃ、あまり詳しいことも言えにゃーけどにゃ」


「ややこしい内容?」


 ヴィヴィが怪訝そうに首を傾げると、青猫は器用に肩を竦める。


「王家絡みのことだからにゃぁ……。掻い摘んで言うとだにゃ。男に裏切られた姫殿下は、自暴自棄ににゃって、片っ端から男を漁り始めたんだにゃ。好みだったんだろうにゃぁ、相手は銀髪の男ばっかりだったみたいだにゃ。他国の王家への輿入れも決まっていたんだけどにゃ、それもダメににゃったみたいだにゃ」


「まあ、そりゃそうでしょよ。そんな乱れた女を受け入れるような王家なんてないもの」


「にゃ、それで怒り狂った父親……当時の王様だにゃ、それが姫殿下を離宮に幽閉したんだにゃ。ところが一月と経たないうちに姫殿下は解放されたんだにゃ」


「赦されたってこと?」


 青猫がブンブンと首を振る。


「王様が死んだんだにゃ。で、今の王様が即位して、妹の姫殿下を解放したんだにゃ。解放されてからの姫殿下は、さらに放蕩三昧だにゃ」


「お兄ちゃんが甘やかしたってこと?」


「そうにゃ。で、ついこの間、姫殿下が可愛がっていた男が殺されたんだにゃ」


「ああ、サイクスってヤツね」


「にゃ、ここから先は銀猫の想像にゃ。そのサイクスの死に、自分を裏切ったあの男の娘が関わっていることを知った姫殿下の中で、きっと復讐心が燃え上がったんだにゃ。その娘に姫殿下殺しの罪をきせ、憎い男の一族郎党を根絶やしにする。処刑が全部終わった後は、何食わぬ顔をして王宮に戻るつもりなんだにゃ」


 青猫がどこか自慢げにそう言うと、ヴィヴィは納得のいかなさそうな顔をした。


「ふーん……なんか変な話ね」


「にゃ? 変? どこがにゃ?」


「何食わぬ顔して王宮に戻るってのも変だけど。一番変なのは、清楚な筈のお姫さまが男に裏切られて男漁りに走るってとこよ。そんなことあるのかしら? なんか、女なんてそんなもんだろうって、男が勝手に決めつけただけって感じ。女心ってそんな単純じゃないと思うんだけど?」


「お前も男だにゃ……」


「やーね、心は乙女よ」


 ヴィヴィはひらひらと手を振って、そのまま肩を竦めた。


「ともかく、下手に首ツッコむと元締めに怒られそうだし、このまま大人しく王都を目指しましょうか」



 ◇ ◇ ◇



 同日、午後のことである。


 クリカラの屋敷、あの緑のカーテンに覆われた部屋の内側で、テーブルの上に広げられた羊皮紙を挟んで項垂れるアラミス公を、クリカラがじっと見つめていた。


「どうなさいますか? 放置してもさほど問題になるとは思えませんけれど?」


 その羊皮紙は、ドレスデン子爵の次男から齎された書簡。姫殿下からドレスデン子爵にあてた手紙である。


 金の甲冑の騎士が死んでいたことは、既に銀猫からクリカラとアラミス公に伝わっている。金の甲冑といえば、ドレスデン子爵の代名詞。つまり、この手紙をアラミス公に託した者は、もうどこにもいない。


 苦悩に満ちた表情を浮かべるアラミス公に、クリカラは再び問いかける。


「どうなさいますか?」


 彼は静かに顔を上げ、苦しげに言葉を紡いだ。


「……哀れだとは思う。同情もしよう。だが、王国の平穏のためには、これ以上の混乱は避けねばならぬ。叔母上にはすみやかに退場していただくしかあるまい」


「もう一度聞きます。本当に良いのですか? 国王陛下が罪を犯してまで守ったものを無に帰すことになってしまいますよ?」


「……父上の罪か。そのおかげで、私も罪を重ねることになるのだな」


 クリカラは珍しく口元を緩める。


「お互い、親の尻ぬぐいには苦労いたしますね」


「まったくだ。……できれば、殺されたと分からぬようにしてもらえると助かる。どう見ても事故で死んだのだと、欠片の疑いも残さぬような形で頼みたい。国王陛下のお怒りや哀しみが、誰かへ向いてしまわぬように。この不幸の連鎖を、ここで断ち切ってしまえるように」


「難しいことを仰る。ですが、まあ、良いでしょう。銀猫、『星を観る者スターゲイザー』に招集を」


「『星を観る者スターゲイザー』ですか? アレはまだ等級の設定もなされておりませんが……」


「等級はSで」


 途端に銀猫はガラス玉のような目を見開いた。


「Sですか!?」


「ええ、そうです。五人目の等級Sとして登録なさい」


 銀猫の只ならぬ驚きように、アラミス公は眉根を寄せた。


「なんだ? その『星を観る者スターゲイザー』というのは?」


 クリカラは彼の方へと向き直り、こう言った。


「最近新たに加わった暗殺者です。人は等しく幸運を手にして生まれてくる。そう言われていますが、彼女はそれを何一つ持たずに生まれてきました。言うなれば不幸の権化といったところでしょうか。ですが、その代わりに、彼女は恐ろしい力をその身に宿して生まれてきたのです」


「恐ろしい力?」


「他人の幸運を吸い取る力です。先日、私もうっかり彼女の瞳を見てしまったのです。ほんの一瞬でしたが……。それでもここ数日は、何一つうまくいかず『銀狼フェンリル』の対応にも後手後手に回る始末。ツキが無いというのは、これほどまでに忸怩じくじとしたものかと相当苛立いらだったものです。そんな彼女に幸運を吸いつくされればどうなるか……お分かりになりますよね?」

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