第73話 完成! 女たちの包囲網

 少しばかり時間をさかのぼる。


 具体的には、ジーンが屋敷に来るひと月ほど前のこと。


 騎士団の解散にともなって、騎士爵を剥奪された現世のいま剣姫こと、元近衛騎士団第三位――グレナダ・ドレスデンが、イルのいる東門衛士詰所へと団長として赴任してきた。


 これはアラミス公とクリカラとの間で交わされた「彼女を夜の住人ノクターナルの目の届く範囲に配属する」という約束を守った結果の人事なのだが、当人たちがそれを知るよしもない。


 だが、そこでグレナダがまさかの大暴走。いや、実のところはアラミス公が焚きつけた結果なのだが、彼女は勝手にイルとの婚姻届けを提出し、追い詰められたイルは衛士詰所から逃亡した。


 逃げるイル、追うグレナダ。衛士団総動員の一昼夜にも及ぶ追跡劇の末に、イルを捕縛したのは意外な人物であった。誰とは言わないが、決まり手は『失恋チョビ髭親父! 怒りの投網(熊捕獲用)』である。


 捕縛され、グレナダの前へと引っ張り出されたイルは必死に主張した。


 曰く――


「早まるんじゃねぇ! 今ならまだ書類の出し間違いってことで取り返しがつくだろ! 昨日の今日だ、戸籍にだって傷もつかねぇだろうさ。よーく考えてみろって、自慢じゃねぇが俺はクズ、どうしようもねぇクズ野郎だぞ!」


 すると、グレナダは呆れたと言わんばかりに肩を竦めた。


「旦那さまよ。お前がクズなのは私も良く知っている。今さら言われるまでもないぞ」


 取り囲む衛士たちも一斉に頷く。もちろん、誰も否定してくれない。


 ……これはこれで、結構傷つくな。


 だが、そんなことも言っていられない。結婚なんてとんでもない。イルにしてみれば、殺さなきゃならない相手が増えるだけなのだ。あのシゴキは勘弁して貰いたいが、それを除けばグレナダのことも決して嫌いな訳ではない。自分とは正反対の真っ直ぐなヤツと好ましく思っている節がある。出来れば殺したくはないのだ。


 こうなったら自分がどれだけクズなのかを並べ立てて、見下げ果てたヤツだと、失望してもらうより他に無い。


 自尊心のきしむ音を聞きながら、彼は必死に声を上げた。


「お、お前が思っている以上にクズなんだってば、いいか、よーく聞けよ。俺はなぁ、女を食い物にする最低男なんだぞ。まず家族と同じ家に愛人を囲ってて、気に入った女を奴隷に落として傍に置いている。どうだ、ドン引きだろう。さらに義妹いもうとだってそのうちモノにするつもりだ! どうだ。このだらしない女性関係。クズもクズ。見下げ果てただろう! おめぇは良いところのお嬢さんなんだから、こんな男に騙されちゃいけねぇってば!」


 自分は悪い男だと主張する当の本人から『騙されるな』と説得される意味不明な状況。イルは誰にも手をつけていないのだが、客観的に見れば確かな事実である。衛士団の連中はドン引き。関係のない話ではあるが、視界の隅でターリエンがまたカッサカサにやつれていた。


 だが、グレナダは眉一つ動かさずに、指を折って数え始める。


「一人、二人、三人……か。他には?」


「ほ、他? いや、そんだけだけど……?」


「少ないな」


「はぁあああ!? ちょ、ちょっと、おま! な、なに言って……」


 イルは思わず目を見開く。


義妹いもうとに手を付けるというのは、流石にちょっと引くが、血が繋がっておらんのなら、まあギリギリ許容範囲だろう。それに数は別段多い訳ではない。貴族ならばもうあと一人二人めかけを囲っていても、おかしな話ではないからな」


「まて、まて、まて! お、俺、庶民! 庶民だぞ!」


「いつまで庶民きどりでいる気だ。もうお前は私の婿むこなのだ。子爵家の一員である自覚を持ってもらわねば困るな、旦那さまよ」


 庶民きどりって……。


 意味不明な単語がここに誕生した。だが、驚愕に目を見開くイルの目の前で、彼女は何かを決意するみたいにグッと拳を握る。


「すなわち、その三人よりもお前を満足させれば私の勝ち。分かりやすくて良いではないか。人の妻としてここから先、穏やかと言えば聞こえは良いが、退屈な人生が待っているのだと覚悟しておったのだが……ふふっ、ふふふ、やはり人生というヤツは戦場なのだな。おもしろい! この先には女としての戦場が私を待っているということか! ふふふ、たぎるではないか!」


たぎらないで!!」


 貴族という人種がおかしいのか、グレナダの頭がおかしいのかは分からないが、ともかく軽蔑させようと並べ立てた女の話が、逆にグレナダの矜持きょうじに火をつける結果になってしまったのだ。これには、流石のイルもびっくりである。


「おい、だれか旦那さまの家に行って、その三人を連れて来い! 私の屋敷までだ! くれぐれも丁重に扱うのだぞ!」


「えぇええええええ! ちょ、ちょっと待てってば!」


「やかましいぞ、旦那さま! 照れるのは分かるが恥ずかしがり屋にも程がある。おい、お前たち旦那さまを私の屋敷まで運べ!」


 かくして女たちは、ドレスデン家の王都別邸で一つのテーブルを囲むことになった。尚、イルは縛られ、猿轡さるぐつわを噛まされて床に転がっている。縛られた身体をよじって見上げれば、押しかけ女房と愛人、婚約者を自称する義妹に加えて義母、更には自称奴隷の少女までが同席する凄まじい光景である。


 テーブルの上には、最終戦争ラグナロクの現場かと思うような絶望的な雰囲気が立ち込めている。一体、どんな修羅場が展開されるのか。


 ……と思いきや、意外にも話は粛々と進んでいった。


 それというのもイルやグレナダに比べて、他の人間が比較的常識人だったのが大きい。奴隷のシアには最初から発言権などなく、庶民であるニーシャたちにしてみても貴族と言えば雲の上の人間。本来ならグレナダは、言葉を交わすことさえはばかられるような相手なのだ。


 とりわけ、一緒についてきた義母が完全に恐縮しきって、グレナダの言うことにいちいち「仰る通りでございますぅ!」と大袈裟に平伏し、ニーシャが不満げな顔をすると、それを掣肘せいちゅうして説得に回ったのが大きい。


 リムリムにしてみれば、話の初めに『愛人として、傍にいようが同衾どうきんしようが子供をつくろうが一向に構わない』。グレナダからそう言われた時点で、抗う理由を失っている。その上、生活の一切合切を子爵家で面倒みてくれるというのだから、反対する理由もないわけで。


 最後の最後まで抵抗していたのはニーシャだったが、グレナダのある発言を境にグレナダ、リムリム、ニーシャの三者が奇跡的に意気投合した。それは「そんなこと言ったって、別にお兄ちゃんのこと好きな訳じゃないんでしょ? 愛の無い結婚なんて、お兄ちゃんがかわいそう!」というニーシャの主張に、グレナダが返した「べ、別に、コイツの目以外は嫌いじゃないぞ。あ、愛していると言っても過言ではない……と思う、たぶん」という、実にひねくれた一言。


 愛している云々というのは聞き流されて、後に残ったのは「目以外は嫌いじゃない」、すなわち「目は嫌い」という部分。


 この場にいる女たちは揃って「イルの目が嫌い」という互いの共通点を見出したのだ。奪い合っているはずの男の悪口で意気投合するのだから、もはや訳が分からない。


 かくして正妻はグレナダ、愛人リムリム、ニーシャには第二婦人の地位を確約するという形で手打ちとなった。もちろん、そこにイルの意志は一切介在していない。


「なんでこんなことになった……」と、イルは思わず不自由な身体をよじって天井を仰ぐ。意気消沈する彼を尻目に、この場で最も興奮していたのは、実は義母である。


 義理とはいえ、出世も見込めないとあきらめていた息子が逆玉にのって貴族になれば、もしかしたら自分も一緒にお貴族さまに仲間入りできるかもしれないのだ。狭い長屋住まいともおさらば。贅沢三昧、老後も安泰。そりゃあ、テンションも上がる。


 かくして、イルを取り囲む女たちの鉄壁の包囲網が完成した。


 イルにとっての唯一の救いは執行猶予がついたこと。必死の説得の末にどうにか勝ち取ったのだ。数日の後には、テルノワールの戦場へと向かわねばならないという現実が味方した。おかげで正式な結婚の式典、貴族としてのお披露目は、戦場から帰ってからと、そうなったことである。


 ただ、唯一不満げな顔をしていた女がいる。シアである。「戦争が終わるまで待ってくれ!」と、必死に懇願するイルの横顔を、彼女は何かを疑うような目でじっと見つめていた。

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