第72話 ありえない家族構成
「ふへぇ……すっごい、お屋敷だべ」
王都サン・トガンの王宮、その北側にある貴族階級の別邸が立ち並ぶ一角。その屋敷の一つの前で、女の子が感嘆の声を上げた。
年の頃は十五、六。薄汚れた野良着に、手にしているのは布で拭けば茶色い色が落ちそうな汚いトランク。無造作に二つに
「貴族なら……これぐらいは普通。むしろ小さいぐらい、だ」
感情の無い物言い。あんぐりと口を開いたまま屋敷を見上げている女の子に、そう告げたのはガラス玉のような目をした銀髪の少年である。
「今日からここが……表向きのおまえの仕事場にな、る」
「いやぁ……表の仕事まで世話してもらえるなんて、
女の子がはしゃぐような調子でそう声を上げると、少年はじっと彼女を見据える。
「軽々しく
「あわわ、申し訳ねぇべ」
「ふん……」
慌てる少女から目を逸らすと、少年は勝手に門を開けて、庭先へと足を踏み入れた。馬車を二台停められる程度の、貴族の屋敷にしては小さめの庭を縦断し、屋敷の扉へと手を掛ける。そして少年は、これまた勝手に扉を開けて、玄関の中へと足を踏み入れた。
「そろそろ来る頃だと思ってたけど……。銀猫。アンタ、ノックぐらいしなさいってば」
吹き抜けの玄関ホール。扉の向こう側には一人の女性が待ち受けていた。二十ぐらいの女性。褐色の肌に山吹色のゆったりとしたドレスが映える、金髪碧眼の美しい女性である。ただ、貴族と言うには、どうも口調がくだけすぎているような気がした。
「話は……聞いている、か?」
「一応ね。グレナダちゃんの留守中に、勝手に人を雇っちゃって良いのかは知らないけど……」
「大丈夫、だ。アラミス公経由で話は通って、る」
「なら……良いけど。で、その子がそうなの?」
銀猫がコクリと頷くと、女の子が慌てて頭を下げた。
「んだ。お、お世話になりますべや。ウチはジーンだべさ!」
「はいはい、アタシはリムリム。これからよろしくね……って、あれ? 銀猫のヤツ、もう居ないじゃないのよ」
「へ?」
ジーンが顔を上げると、確かに、あのガラス玉のような目をした少年の姿はどこにも見当たらない。
「まったく、もう……」
あまり普通ではないと思うのだが、リムリムは慣れているのかわずかに肩を竦めただけ。彼女はジーンに向かって顎をしゃくると、「じゃあ、案内するからついてきて」と
「は、はい、だべ!」
慌てて後を追いながら、ジーンは問いかける。
「あんのぉ……奥さま?」
「あはは、アタシは別に奥さまじゃないって。ただの愛人。そうね、アタシの方が年上っぽいし、リム姉さんとでも呼んでくれればいいわよ」
「は?」
ジーンの頭の中で
「この屋敷は元々、ドレスデン子爵家の王都別邸なんだけどさ。子爵家のご令嬢のグレナダってのが、一応この屋敷の主人で奥さま。で、アタシはその婿養子の愛人ってわけ。わかった?」
ジーンは思わず目を丸くする。「わかった?」って言われても……。婿養子の愛人? 婿養子が愛人を妻と同じ屋敷に住まわせているって、一体なにがどうなったら、そんなことになるのだろう。
「あ、あの、リム姉さんも
途端にリムリムが足を止めて振り返り、ジーンの鼻先に指を突きつけた。
「この屋敷には、それとは関係ない人間もいるの。それは一切口にしちゃダメ。もしバレたら、アタシがアンタを始末することになる。いいわね」
「う、うぅっ、も、申し訳ねぇべさ。もう絶対言わねぇべさ」
慌ててペコペコと頭を下げるジーンを見下ろして、リムリムはフッと吐息を漏らす。
「うん、よろしい。じゃあ、この屋敷に住んでる人間のことを説明するわよ。まず、さっきも言った通り、屋敷の主人は子爵家ご令嬢のグレナダちゃん。で、その旦那。その愛人のアタシ。それから旦那の義理の母親と、先々第二婦人になる予定の義理の妹……」
「ちょ、ちょっと待って欲しいべ。第二婦人!? 婿養子が愛人と第二婦人!? しかも義理の妹!?」
(なんだべ、その無茶苦茶な家族構成!?)
「うん、まあ、そんな反応になるわよね、あはは。あとは旦那専属の女奴隷と……」
「奴隷まで!?」
(絶倫!? 旦那さまはとんでもない絶倫男だべ!)
胸のうちでそう絶叫して、ジーンの顔から、さーっと血の気が引いていく。
「ん、どうしたの?」
「あ、あの……まさかウチも、その……身体を求められたり……とか」
途端に、リムリムは腹を抱えて笑い出した。
「あはははははは! ない、ない。心配しなくても大丈夫だってば。その旦那ってのは、とんでもないヘタレ野郎だから」
「そう、なんだべ?」
「そうそう、そーね。女にまるっきり興味がないって訳じゃなさそうなんだけどさ。気が付いたらちらちらアタシの胸の方見てたりするし、気づいてないと思ってんだろうね。バカだから。そんなに気になるんだったら、さっさとやることやっちまえばいいのにとは思うけどさ。意気地がないのよ、男の癖に」
ジーンの頭の中で、絶倫の濃ゆい人物として形作られようとしていた、その婿養子の輪郭がまた曖昧なものに変わる。
「で、あとは、執事のお爺ちゃんと調理人のおっさん。それとメイドが二人。あんたにはメイドとして働いてもらうから、先輩二人の言うことをよく聞いて、がんばってよね」
「はい、で、あのぅ、旦那さまと奥さまにご挨拶は……」
「ああ、そっちは今、いないのよ。国外に出てるから」
「ご旅行だべか?」
ジーンのその問いかけに、リムリムはなぜか少し考えるような素振りを見せた。
「……うーん、新婚旅行といえなくもないかも。行先は戦場だけどね。たぶん今頃、テルノワールの首都を攻めてる頃だと思うけど」
「物騒だべ!?」
ジーンは、思わず荷物を取り落とした。
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