第71話 おとぎばなしか!

「ふふんふ~ん~♪」


 昼間の暑さは相変わらずだというのに、吹き抜ける風には秋の気配が微かに漂う晩夏の王都サン・トガン。風に吹き寄せられる、緑の色彩を微かに残した落ち葉を踏みしめて、鼻の頭に大きな傷のある修道女シスターが、鼻歌交じりに大通りを下っていく。


 彼女に付き従うのは二十人からの子供たち。上は十三の男の子。その男の子が背負っている一番年少の子はわずか二歳である。着ているものこそどれも見すぼらしいが、賑やかにワイワイとはしゃぐ子供たちの姿には、正直あまり悲壮感は無い。


「みんな、わかってるよな。練習通り思いっきり可哀そうな子のフリするんだぞ。これから押しかける衛士の兄ちゃんは、見た目はクズだけど、とにかく押しに弱ぇから。ついでに自分でも気づいて無ぇみたいだけど、かなりのお人好しだからな。派手に泣きわめいて、有り金全部寄付させてやろうぜ!」


「うん、けつのけまでむしるのぉ!」


「お、おう……」


 返事をしたのは四歳の女の子シャラ。これには修道女シスターも頬を引き攣らせる。年長の子たちの会話を聞いて覚えたのだろうが、四歳の女の子に「ケツの毛」などと言われると流石にちょっと引く。っていうか、将来が心配になる。だが、そもそも年長の子たちは、誰を見てそんな言葉を覚えたのかといえば、いうまでもないわけで……。流石にこれはちょっと反省した


 一行はカルガモの引っ越しのごとくに大通りを練り歩いて、衛士長屋へと辿り着く。そして、修道女シスターはキョロキョロと左右を見回して「うん」と一つ頷いた。


 一応、前にそれとなく聞いた話では、月のこの日は『最悪イルネス』は非番だったはずだが、もしヤツが留守だったならその時には仕方が無い。妹か母親に寄付を募って、それでも出し渋るようなら、このうちの誰かをアイツの子だと言い張って、養育費をたんまり踏んだくるつもりだ。


 え? それは流石に酷いんじゃないかって? 馬鹿言っちゃいけない。貧しい者への施しは、天国への通行手形を金で買うようなものだ。その機会を与えてやろうというのだから。感謝してもらっても罰は当たらない。それにもし、もしもだ、万一これが悪いことだったとしても、『神は迷える子羊を救い給う』、教会はそう教えているのだ。流石に暗殺者を救ってくださりはしないだろうが、この子たちは違う。迷える子羊たちだ。言い換えれば、神さまはだいたい何でもお許しくださるってこと。素敵、神さま超イケてる。


 道の左右に並ぶ造りの同じ建物。確か西側の三件目があの少年の住まいだと、リム姉さんから聞いている。


「あれだな。よーし、みんな準備は良いか?」


「「「おー!」」」


 子供たちの声を背に修道女シスターは扉をノックする。一秒、二秒。返事は無い。もう一回ノックする。それでもやっぱり返事は無い。


「んだよぉ……留守かよ」


 わざわざこんなところにまで出向いてやったというのに、不在というのはちょっと切ない。それともこの家じゃないのだろうか?


 たまたま数件隣の家から、買い物かごを抱えた奥方が出てくるのが見えたので、修道女シスターはそちらの方へと歩み寄りながら、できるだけ穏やかな声で問いかけた。


「あのぉ……すみません。この長屋に目の腐った男性がお住まいの筈なのですが……」


「え、あ、ああ、イルくんですね」


 奥方は修道女シスターの顔に走る傷を目にして、一瞬ぎょっとしたような顔をした後、愛想笑いを浮かべた。

 

 うん、まあ別に今さら何とも思わない。こういう反応には、もう慣れている。どちらかというと『目の腐った男性』で何の迷いもなく認識されるヤツの方が不憫だとも思う。


「衛士長屋の男たちは皆、今は戦地ですよ、修道女様シスター


「戦地……?」


 そう言われてはじめて気が付いた。言われてみればその通り。身の回りには子供たち以外に男がいないので、ついつい失念してしまっていたけれど、もう、テルノワールとの戦争が始まっているのだ。


 実際の戦闘は敵国の領内で行われているので、王都に居れば戦争中であることを感じる機会はほとんどない。間抜けなのは歓楽街の入口で募る寄付が、あまりにもかんばしく無いからここへ寄付を募りに来たということ。どうしてかんばしくないのか。無論、男たちの多くが戦場へ行ってしまったからなのだが、今の今までそれに気が付いていなかったのだ。


(仕方が無い。じゃあ、予定通り妹に標的を移すか)


「じゃ、じゃあご家族は?」


「ああ、なるほど、修道女様シスターはご存じなかったのですね。イルくんの御一家なら引っ越しましたよ、つい先日」


「引っ越したァ! ど、ど、どちらへ?」


「それが……随分噂になったんですよ。なにか、どこかのお貴族さまの執事さんが、男手を一杯引き連れて家財道具を運び出しに来てねぇ。尋ねてみれば、なんでもイルくんが、どこかのお貴族さまのお嬢さまに見初められて、婿入りすることになったんだとか」


「ファッ!? き、貴族に婿入りぃ!?」


「ええ、そりゃあもう凄い騒ぎで。とくに独り身の男どもが嫉妬に狂ってねぇ。何でよりによってアイツがって……。ついこの間までは、その噂で持ち切りだったんですから」


「お……」


「お?」


「お」の口の形のまま身動きを止めてしまった修道女シスターを眺めて、ご婦人が怪訝けげんそうに首を傾げる。


御伽噺おとぎばなしかっ!」


 貴族に見初められて婿入りとか、もはやそうツッコむより他にやりようも無い。


 話が飛躍しすぎていて、羨ましいとか、妬ましいとか、そんな感情も沸いてこなかった。それよりも問題は、こんなところまで来たというのに全くの無駄足になってしまったということ。今から歓楽街の入口で寄付を募っても、大した実入りにはならないだろう。


(ちっくしょー! あの腐れまなこめ、てめぇだけ良い目見やがって!)


 はっきり言って八つ当たりでしかないのだけれど、とりあえず腹いせに「この子たち、実はみんなイルくんの隠し子なんですよ」と、その奥方に適当なことを言っておいた。

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