第7話 ウォード工房
翌日の正午過ぎ、恐ろしい程アバウトな地図が書かれた紙片を片手に、キョロキョロと辺りを見回すイルの姿があった。
「オレの勘が正しければ、この辺のはずなんだけどな……」
地図によればとは言わない。……というか言えない。
ボードワンが書いてくれた、あまりにも大雑把な地図を理解することに比べれば、遺跡から発掘される古文書の解読の方が遥かに容易ではないかとさえ思える。
「それにしても絵心無さすぎだろ、これ」
イルはもう一度、地図を眺めて溜息を
地図に絵心を求めてしまうほどのレベルでそれは酷かった。イルが何とかここまで来れたのは昨日、シアが口頭で説明してくれていたのをある程度覚えていたからだ。
今、イルが立っているのは衛士長屋から八ブロック先の職人街。軒を連ねている工房のどれかが、目指す『ウォード工房』であるはずだ。
誰かに聞いてみようとイルがあらためて辺りを見回すと、比較的立派な庭付きの建物、その門柱に隠れるようにして、庭の方を覗きこんでいる少年の姿が目に止まった。
「ごめんよ。このあたりに『ウォード工房』ってのがあると思うんだけど、知らねえか?」
イルが声を掛けた途端、少年はビクリと身体を硬直させる。
年の頃はイルとたぶん同じぐらい。癖の強い銀髪、おどおどとした瞳。常に肩を
「ここ……で、す」
少年は今しがたまで覗き込んでいた門柱の奥の建物を指差すと、ポケットに手を突っ込んで去っていった。
(なんだあいつ……?)
イルが少年の背を見送りながら、いぶかしげに首を
「イルさん!」
声のした方に目をやると、庭の方からイルの姿を見つけたシアが小走りに近寄って来るのが見えた。
「本当に来て下さったんですね」
「ああ……まあ、来ねぇとゴリラみたいなのに絞め殺されるんでね」
「まあ、ボードワンさんに言いつけちゃいますよ?」
「いやいやいや、これは悪口じゃねえよ。なにせゴリラは何にも悪くねぇんだから、それとも何だい? シアはゴリラに何か恨みでも?」
「ごめんなさい。イルさんが何を言っているのか良くわかりません」
「奇遇だな。オレも良くわからねぇ」
大抵の人は、ここで愛想程度には笑ってくれるのだが、残念ながらシアには困った顔をされてしまった。
(冗談のわかんねえ
イルは胸の中でそう呟いて、話題を変えることにした。
「立派な家だな」
門柱の向こうには、それほど広くは無いにしろ芝に覆われた庭があって、二階建ての石造りの家屋がどっしりとした風情で鎮座している。職人の工房なんていうイメージからはかけ離れた立派な
「でも、ここもあとひと月ほどで人手に渡ることになっているんです」
「そうなのかい?」
「ええ、私のお給金じゃ、この屋敷を維持していくことなんて出来ませんし、売ったお金は弟が将来鍛冶師になる時の開業資金に貯めておきたいって思ってたんですけど、あの人達への借金の返済に使うしか無さそうですね」
「なんだい、借金を返す
「ええ、今朝、トルクさんから連絡があったんです。この屋敷の買い手が見つかったって……」
「トルクさん?」
「父のお弟子さんで、ついこの間まではここに住み込みで働いてくれていたんですけど、父が亡くなってしまったので、今はここを出て別の工房で働かれてます」
あのヤクザ者達の言い分とシアの言葉に、イルはどうにもチグハグな印象を受けた。屋敷を売れば返済できるような借金に、あれだけの人数を掛けての追い込みなどするものだろうか? そこがどうにも腑に落ちない。
「あ、ごめんなさい。立ち話もなんですし、中へどうぞ」
「ああ、ありがとよ」
シアの後について、庭先へと足を踏み入れるイル。屋敷は一部が円形に出っ張った石づくりの2階建て。恐らく5、6部屋はありそうに見える。
「5、6部屋はありそうにみえるんですけど、実はそんな事はなくて、1階は全部父の工房なんですよ」
まるでイルの考えていることが筒抜けになっているかのようなシアの説明に、イルは思わず硬直する。
どうやらこの娘は恐ろしく勘が良いのだろう。まかり間違って嫁にでもしたら浮気がバレて、どエライ目に合うタイプだ。ニーシャとはタイプは違うように見えるけど……近いものを感じる。
ドアを開けると正面に階段。右側が工房。
蹴破られたまま修繕されていないのだろう、工房の入口には扉が無く、その向こう側には床の上に置かれた
外観で言えば円形に出っ張っていたところ、どうやらあの部分全部が工房らしい。上空から俯瞰して見ればこの建物は、たぶんPの字を横倒しにしたような形をしているようだ。
正面の階段をトントンと軽やかな足取りで登って行くシアを下から見上げるイル。最初から分かっていたことだが彼女が穿いているのは、膝下まである長いスカート。見上げたところで、何か素敵な景色が見える訳ではない。
「ペータ、お客さんがいらしてるの。挨拶ぐらいしなさい」
階段を上がるなり、シアが奥に向かって声を掛ける。すると部屋の中から十歳に満たないぐらいの小さな男の子が顔を出した。
「誰?」
「イルさんよ。私達の護衛に来てくれたの」
「
「こらっ! ペータ。ダメよ人の名前を悪く言っちゃ。……イルさん、ごめんなさい」
弟に向かって拳を振り上げるフリをした後、申し訳なさそうな顔でイルの方へと振り返るシア。
「いや、良いんだ。こっちは生まれてこの方、ずっとそう言われ続けてるんでね、慣れたもんさ」
イルはシアの横をすり抜けて、ペータの方へと歩み寄るとその頭を優しく撫でる。
「ようペータ、はじめまして。オレが変な名前の男イルだ、よろしくな。ところでペータ。変じゃない人は、普通の人ってことだよな。でも例えば可愛い女の子に『あなたって普通ね』って言われたら、微妙に傷ついちゃうだろ? 『変な人』って、実は褒め言葉だったりするとは思わないかい」
ペータはきょとんとした顔で、イルの顔を見つめる。
「兄ちゃん、何言ってんのかわかんない」
「奇遇だな。オレも良くわかんねえ」
ペータは困った顔で、イルを見つめている。どうやら姉に続いて、この弟も冗談が通じないタイプらしい。しかしペータは気を取り直すと、思い出したようにキッ! と、イルを睨み付けた。
「そうだ。お父さんがお姉ちゃんが男の人を連れて来たら、俺とお前でブッ飛ばそうって言ってたんだ。兄ちゃん、お姉ちゃんの彼氏?」
さあ、
ここでシアが「まあ、ペータたら」とか言いながら、頬を染めたりすれば本当に良くあるフラグである。しかし、イルはそんな隙を与えるつもりは微塵も無かった。
「大丈夫、俺は女だ」
「じゃ、大丈夫だね」
恐ろしく雑な返答で、瞬時にフラグをへし折ったのだ。もちろんイルは男である。可愛い女の子は大好きだが、それ以上に厄介事に首を突っ込むことは御免なのだ。
あっさりとイルの言葉を受け入れたペータは、もしかしたらちょっとアホなのかもしれないが、シアは何か変な物でも飲み込んだ様な顔をしていた。
イルは二階の居間に通されるや否や、我が家のような気安さでソファーにどかっと腰を降ろし、「喉が渇いたなぁ」と遠回しにお茶を要求する。
あまりにも人を喰った態度に、思わず苦笑するシア。それに対してペータはほとんど人見知りをしない性格のようで、数分も経つと全く警戒することもなくイルにじゃれ付き始め、めんどくさそうな顔をしながらも、微妙に面倒見の良いイルの様子に、シアの表情も次第に柔らかなものへと変わっていった。
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