第8話 クズ過ぎる男

 ヤクザ者たちが踏み込んでくるという事もなく穏やかに時間は過ぎ、夕暮れ時。


 シアは飲み屋へと働きに出かける。もちろんイルはそれに付き添った。


 裏通りの安っぽい一杯飲み屋で甲斐甲斐しく働くシアの様子を眺めながら、イルはカウンターの隅でちびちびと安い酒を飲んでいる。そもそも、酒の味を覚えたのも今年に入ってから。あまり酒に強い方ではないイルに、手早く酔っぱらえる事だけがウリの安酒はハッキリ言って厳しいものがある。


 ちょっと酒を飲んでは水を飲んで……を繰り返しているイルを飲み屋の主人が、さも面白い物でも見つけたかの様な目で眺めていた。


 働いている時のシアはいつものおどおどした感じは無く、ヨレヨレの日雇い労働者の親父たちを軽くあしらいながら、時折、談笑したりしながら楽しそうに働いている。


 こういうのを看板娘というのだろう。飲み屋に集うヨレヨレの親父達の真ん中で、彼女は生き生きと輝いて見えた。


「アンタ仕事中なんでしょ? なんで飲んでんのさ」


 だらしなく頬杖をついてシアの方を眺めていたイルの背後から、不意に女の声がした。振り向けばそこには不機嫌そうな顔をした昨日の踊り子がいた。たしかリムリムとかいう名前だ。


「よう、ポムポム」


「そんな良く弾みそうな名前じゃないわよ! アンタ、ちゃんとシアの事守ってくれるんでしょうね」


「んーまあ、善処はする」


「ホンッと頼りないわね、アンタ」


「頼りない? じゃどういう回答だったら頼りになるってのさ? シアを包装紙に包んで胸元に大事そうに抱きかかえりゃあ満足か? ひと肌に温まっちまうぞ」


「何を言いたいんだかわかんないんだけど?」


「わあ奇遇。オレにもさっぱりわかんない」


 一瞬ぽかんとした表情を浮かべたリムリムは、からかわれていることに気がついて、思わずキッ! と睨みつける。


 イルはそんな彼女を面白おかしく笑ってやろうとして、思わず眉をひそめた。店のすぐ外に、大人数の足音が近づいてきていることに気が付いたのだ。


「おーい、シア!」


 イルはシアを手招きすると、駆け寄ってきた彼女に耳打ちする。


「オレの後ろに隠れてろ」


 イルのただならぬ様子に緊張の面持ちで頷くシア。次の瞬間、乱暴に店のドアが蹴り開けられて、人相の悪い男達がなだれ込んでくる。


 それまでの喧騒が嘘のように、よれよれの親父達は酒を酌み交わす姿勢のままに硬直し、銅貨が十枚もあれば散々に酔っぱらえる安い酒場にそぐわない、緊張を孕んだ静寂が舞い降りた。


 昨日もいた不細工な犬みたいな顔をした男が、吼える様に声を上げる。


「おいっ! ウォードの娘はど……こだ?」


 語尾が疑問形になったのは、見慣れない光景がそこにあったから。


 男達の目に映ったもの。それはシアを背中に隠したイルが、あわあわと抗うリムリムの背後に隠れて、必死の形相の彼女を男たちの前へと押し出している姿であった。


「ちょちょちょっとぉ! アンタ、男でしょ、アンタが前に行きなさいよ! なんでアタシを楯にしようとしてんのよ」


「うるせぇ! おめぇの護衛はオレの仕事に入ってねえんだよ。さあ、俺達の楯となって散れ、約束通りシアは守ってやるから、俺たちが逃げるだけの時間を稼いで散りまくれ、くそビッチ!」


 踏み込んだ男達が思わず絶句するほどのクズすぎる男の姿が、そこにあった。


「誰がビッチよ! アタシゃこれでもれっきとした処女なんだからね」


「ははっ、抱いてくれる男も見つからねえのを自慢げに言いやがったぞ、この行き遅れ!」


「行き遅れてなんかないッ! まだ二十歳はたちになったところなんだから」


「えっ? マジで……ってお前、馬鹿野郎、女は十八超えたら行き遅れなんだよ!」


「女に向かって野郎って、アンタ馬鹿じゃないの」


「馬鹿っていう方が馬鹿なんだよ!」


「先に馬鹿って言ったのはアンタじゃないのさ!」


「イ、イルさん、リム姉さん、ちょっと落ち着いて……」


 あまりにも低レベル。子供の喧嘩と見紛わんばかりの言い争いを繰り広げるリムリムとイルの背後から、涙目のシアがオロオロと顔を覗かせる。しかし、その弱々しい仲裁は、エキサイトする二人からは完璧に無視され、尚も続いた言い争いが『アホ』だの『馬鹿』だのと連呼するだけになった頃――


「じゃれ合うのもいい加減にしてくれませんかねェ!」


 あまりの馬鹿馬鹿しさにポカンと立ち尽くしていたヤクザ者達の最後尾から、苛立ち混じりの甲高い声があがった。


 思わず言い争いを止めて、声がした方へと顔を向ける二人の眼に、男達を乱暴に押しのけるようにして歩み出て来るヒルルクの姿が映った。


 後ろに撫でつけた長い髪、酷薄そうな薄い唇、不健康に痩せた青白い頬、一重瞼の三白眼、どこをどう切り取ってみても二つ名がサーペントであることに一分の違和感も覚えることのない容貌。あらためて見てみれば、流石に不穏な二つ名を持っているだけの事はあって、その存在は尋常ではない威圧感を放っている。


(ああ、怖ええなぁ……こいつ)


 イルは思わず胸の内で呟く。


「アッシらが用があるのは、そっちのお嬢さんだけですよ」


 ヒルルクがそう言ってシアに目を向けると、その途端、シアはビクリと硬直する。


(なるほど、蛇に睨まれた蛙ってのはこういう感じなんだな)


 妙に納得しながらも、イルはヒルルクへと問いかける。大人しくしていたいのは山々だが「はいそうですか」とシアを差し出すってわけにもいかないのだ。


「ヒルルクさん、ちょっとお伺いしたいことがあるんスけど、良いっスか?」


 ぎろりと三白眼に睨み付けられて、イルは思わず首を竦める。


「ん? ああアナタ、ボードワンの旦那んとこの若いのじゃないですか……何でしょう?」


「この娘の家屋敷が売れて、もうすぐ金が出来るみたいなんスけど、それまで返済を待ってもらうって訳にはいかないんスかね」


 イルのその言葉を、ヒルルクはうっすらと口元を歪ませてわらった。


(ちっ……馬鹿にしてやがる)


 イルはハッキリとそう感じとったが、だからと言ってここでキレて殴りかかる程、子供ではない。


「あら、知らなかったんですかい? そのの家は、もう別の金貸しの抵当に入ってますよ」


「ええっ!?」


 声を上げたのはシア。ヒルルクは一瞬呆れた様な顔をした後、演技じみた憐みの表情を浮かべる。


「なんです? やっぱり知らなかったんですかい。だからね、折角『暗緑鋼の製法』なんて高く売れるものがあるんだ。それをギルドにお売りなさいって。それでウチの借金を返してくれりゃ、それで良いんですよ」


「そんなこと言われても、私、製法なんてわかりません!」


「親父さんが何か残してるものがあるでしょう? トルクでしたっけ、アンタの親父さんの弟子。ちょっと脅したらあっさり吐きましたよ。製法を書き残したものがある。親方からそう聞いてるってね」


「ト、トルクさんが? ホントです! 本当に私、知らないんです!」


 必死に声を上げるシア。ヒルルクは肩を竦める。


「しらを切るってんなら仕方が無ぇ、話したくなるようにてあげましょうか」


 ヒルルクが指を鳴らすと、ヤクザ者達は下卑た笑いを浮かべながら、つかつかと歩み寄ってくる。


(こりゃしゃあねえ、やりあうか? それとも逃げるか?)


 イルがそう自問したその刹那。


「うげえぇえ!?」


 シアに向かって手を伸ばしたヤクザ者の一人が、突然、横っ飛びに勢いよく吹っ飛んだかと思うと、蛙が潰れるような声を上げて、テーブルごと客のヨレヨレのおっさんを巻き込みながら壁に激突した。


 イルたちとヤクザ者との間に、ゆらりと一人の男が立ちはだかる。


「なんだァ! お前、どこのもんだァ!」


 突然割り込んできたその男は、見下す様な視線をヤクザ者達に投げかけた後、小さく鼻で笑った。


「どこの者でもありませんが……君達の話は理不尽極まりない。少々腕に覚えがあれば、助太刀にも入ってあげたくなるというものでしょう」


 その様子を見たリムリムがニヤニヤしながら、肩越しに背後のイルへと軽口を叩く。


「アンタと違ってイイ男だね」


「うるせえよ、男は見た目じゃねぇんだよ」


 確かにその男は見た目が良い。


 短く刈り込んだ髪はネーデル人らしい燃える様な赤毛。目つきは優しげで、鼻は高く全体的に整った容貌。細身ではあるものの、そこに線の細さは感じられない。


 腰には刀身五十センチほどの短めの剣グラディウスがぶら下がっていて、足元に背嚢リュックが転がっているのを見る限り、旅の剣士といったところだろう。


「アンタのクズっぷりも、見た目だけじゃないけどね」


「中身はクズだが、見た目はそんなにクズじゃないだろうが」


「あ、中身がクズなのは認めちゃうんですね……」


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