第21話 ノーライフキング その1
緑色のカーテンが壁一面を覆う部屋。
少年と踊り子、路地に面した窓の方から、つい先程まで微かに聞こえていた二人の話し声も既に途絶え、夜半特有の硬質な静寂が、キーンという微かな耳鳴りとともに、部屋の中に居座っている。
白いローブの女――クリカラは先程からずっと、少年に投げかけられた問いかけを
『助けられなかったのか?』
問いかけはシンプル。しかし含む意味は辛辣。問題はその内容ではない。あの少年が、これを問うたということだ。あの『
まともな感情の死に絶えた冷酷な暗殺者。どれほどの強者も決して勝てず、どんな相手にも躊躇しない地獄からの使者。
相手が善きものであろうと、悪しきものであろうと、老いていようと、幼かろうと、男だろうと、女だろうと依頼を受ければ、その対応は恐ろしいまでに平等。
一律の死。
その死神が、問うてきたのだ。自分がこれまで為してきた悪を棚に上げて、まるで善人のような顔をして、『助けられなかったのか?』と。
コン……コン。
静かな部屋に、おずおずとした調子のノックが響き、次に少し開いた扉の隙間から、銀猫が顔を覗かせる。
酷いくせ毛の銀色の髪。ガラス玉の様な精気の無い瞳。性別を感じさせない顔立ち。薄明りの
「ただいま戻りま……した」
「銀猫、
「問題ありま……せん。今夜中に境界線の向こうへ追いやってみせる。そういう回答を得て参りま……した」
「では、すぐに始めてくれることでしょう。彼は誠実な人ですから」
◇ ◇ ◇
「おまえさん、ちょっと落ち着きなってば……」
派手な女が二人、両脇からしな垂れかかりながら、ヒルルクの
ヒルルクの表情は苛立ちに満ちている。彼の情婦達はそれを恐れる風ではなかったが、部屋の中に居並ぶ手下たちはそうはいかない。溢れ出るピリピリとした気配に震えあがり、小さくなって目を伏せている。
頬を撫でまわす情婦たちの指先を気にも留めず、部屋中をねめつけるように見回すと、ヒルルクは感情を無理に押し殺したような声で、手下たちに問いかける。
「で、トルクの野郎は見つかったンですかね?」
「す、すんません。とりあえず街からは出さねえように、全部の門を張らせていやすが……」
「チッ」
ヒルルクが舌打ちすると、手下たちは一斉にビクリと身体を震わせた。
トルクの行方は、今もって掴めていない。あの屋敷を売り払って得た金は、今回のシノギの一番の旨味の部分だ。そこを素人に持ち逃げされたとあっては、裏の世界でのヒルルクの名前は地に墜ちる。
今日の午前、トルクが例のウォード工房に現れたと情報屋が知らせてきた。慌てて手下どもを引き連れて向かったのだが、着いた時には
それならそれでと、散々家探しさせてみたものの、肝心の『暗緑鋼の製法』については手掛かり一つ見つけられなかった。
最悪のケースとして考えられるのは、トルクの野郎が既に『暗緑鋼の製法』を見つけた上に、あのシアって娘を連れて高跳びしようとしているという状況だ。ヒルルクが苛立つのも当然だった。
そんな時、たまたま窓の外に目をやった手下の一人が、声を上げた。
「兄貴! 外になんかおかしな奴が……こっちへ向かって来やすぜ」
「おかしな奴?」
ヒルルクは女達の手を払いのけて立ち上がると、苛立ち混じりの視線を窓の外へと投げつける。
窓の外、低い生垣の向こうには大通り、夜の歓楽街。商売女たちが男を誘い、肩を組んで騒ぐ若い男達の脇を、浮浪者がよろよろと通り過ぎていく。そんないつも通りの歓楽街のど真ん中を、がしゃん! がしゃん! と賑やかな音を立てながら、時代錯誤な
「何です、あれは? 大道芸人かなンかですかね?」
ヒルルクの苛立ちに満ちた声音の中に、少しばかり好奇のニュアンスが混じった。
大道芸人。実際、道行く者たちもそう思っているのだろう。この、突然現れた前時代的な代物を指差して、笑いさざめきながら、時折近づいては甲冑の表面を触ったり、つついたりしている。
もちろん、
ただ、今、通りを行進しているソイツが着ている
恐らく数百年も前の形、鍛冶の技術も今に比べて随分と
「どっかの貴族の坊ちゃんが、初めての娼館通いが恥ずかしいもんで、顔を隠すために家伝の鎧でも持ち出したとか?」
手下の一人が今にも噴き出しそうな顔で言う。
馬鹿馬鹿しい。馬鹿馬鹿しいとは思うのだが……。
「まあ、お貴族様のやるこたぁ、今一つズレてるものですからネぇ、無いとは言えねェですかね……」
ヒルルクの表情にも、さっきまでの苛立つような空気は薄まって、物珍しさが先に立っている。
そうこうしている内に
それに対して
客引きが
「馬鹿野郎。客の嫌がることしてどうすンです。本当にお貴族さまのお坊ちゃんなら、上得意になるかもしれねえでしょうが!」
「はあ……す、すんません」
手下たちは謝りながらも興味津々。何人かはドアに耳を付けて、エントランスの音を聞いている。
「あ、今、客引きの説明聞いてるみたいっスね」
「もう放っといてやんなさいよ……」
わざわざ実況してくる手下に、ヒルルクが呆れるようにそう言った途端、「ぎゃあああああああああああああ!」と突然、エントランスの方から男の悲鳴が響き渡る。
それに合わせて、娼婦たちの控室のある二階からもいくつもの悲鳴が上がった。おそらくそっちは、聞こえてきた悲鳴に訳も分からずビックリしたというだけだろう。
「出入りか!」
ヒルルクがソファーから腰を浮かせて叫ぶと、両脇の情婦たちはソファーの上で小さく身を屈めて、怯えた表情で震える。手下たちは弾かれるようにそれぞれに得物を手に取ると、ドアに向かって殺到。我れ先にとドアを開けて部屋を飛び出そうとした。
そして、手下の一人がドアを開いた途端、そいつは声を上げる間もなく、脳天から真っ二つにかち割られて、そこに崩れ落ちた。
「なっ?!」
驚愕の表情、飲み込まれる吐息、飛び散る血飛沫、立ち込める鉄の臭い。一呼吸の間に、その場を占める空気がガラリと変わる。
開いたドアの向こう側に、静かに立っていたのは血に塗れた甲冑。身体の半ばまでを立ち割られて、崩れ落ちた男の身体がどさりと床を叩いたその瞬間、「「きゃぁあ―――――!」」と、ヒルルクの脇で二人の情婦があらん限りの声で悲鳴を上げた。
「何処のもンだ、てめえ!」
ヒルルクのその問いかけと同時に、暴発するように斬りかかった手下の一人が、剣の腹で横っ面をぶん殴られて吹っ飛び、石作りの壁にぶつかって、潰れたトマトのように赤い脳漿をぶちまけた。
「……
肩に
「依頼がなければ、僕もやり返すようなことをするつもりは無かったのだけどね、残念ながら君たちの足元には境界線が引かれてしまった。そして、君達をその向こう側へ追いやるのが、僕の仕事なんでね」
そう言いながら、
目を見開き、口は半開き。死んだはずの人間を見れば、誰だってそんな顔になる。そう、死んだはずの人間を見れば。
バイザーの奥から現れたその顔が、自分たちが徹底的に切り刻んで殺した相手ともなればなおさらだ。
鋼の兜から、ちらりと覗くのは燃えるような赤毛。そいつは、優しげな目に憐みさえ浮かべながら、ヒルルクを見つめている。
男の名はハイカー。
つい先日、闇に紛れてヒルルクたちが惨殺したはずの優男だ。
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