第22話 ノーライフキング その2

「お館様、彼は一体何者なので……すか?」


「おや、アナタが他人に興味を持つなんて珍しい」


 クリカラの声には少し驚くような、揶揄やゆするような、そんなニュアンスが含まれていた。しかし、尋ねた『銀猫』にしてみれば、自分の疑問は何一つ不思議な事ではない。


 何故なら数日前、ヒルルクについての調査を進めている際に、つい先ほど自分が言葉を交わしたその男――ハイカーが荒くれ者たちに、寄ってたかって惨殺されるところを目撃しているのだ。


「不死身なので……すか?」


「不死身というのとはちょっと違いますね。彼は殺されれば死にます。極々ごくごく普通の人間と同じように。ただ……普通の人間と少し違うのは、いつの間にか生き返っているということ」


「生き返……る?」


「そう、どんな死に方をしようとも、骨の一片、肉の一部、それさえ残っていれば、そこから再生して生き返る。そう聞いています」


「そんな出鱈目でたらめな……」


『銀猫』はそこまで口に出したところで、ハタと思い返す。


 考えてみれば、ハイカーに限ったことではない。夜の住人ノクターナルに身を置く者は多かれ少なかれ、どこか出鱈目でたらめなのだ。


「彼が呪いによって失ったのは『安息』。彼自身、自分がいつ生まれたのか、どのくらいの時間を生きて来たのか、それももう分からないそうです。『銀猫』、アナタは先程、彼は何者? そう尋ねましたけど、『ハイドラ』という名のハイランド王だったこともあったし、奴隷だったこともあった。彼からは、そう聞いています」


「ハイランド!?」


『銀猫』は絶句する。


 ハイランド――それは今となっては伝承の中にしかその名を見出すことのない幻の王国。この地に複数の国家が林立するよりもずっと以前、この地にあったという幻の大国の名前だ。そしてハイドラといえば、そんな伝承の登場人物の一人である。


「簒奪者ハイドラ……」


 父王を殺して国を乗っ取り、欲望のままに砂漠の国エスカリス・ミーミルへと侵攻。圧倒的な戦力を誇りながら敗れた愚かなる王。


「そんなヤツがどうして、暗殺者なんて……」


「ホントかウソかはわかりませんけど」


 クリカラはそう前置きして言葉を切り、『銀猫』はゴクリと喉を鳴らす。


「随分前に話した時には、お金のため、そう言っていましたね」


「それはまた随分と俗っぽい理由で……すね」


「あの世との境界、『嘆きの川』を渡っている途中で、必ず引き返すことになるものですから、最近では『嘆きの川』の渡し守に追加料金を取られる。だからお金が必要なんだと……」


「俗っぽい……んでしょうか、それ?」


 死後の世界の事を俗っぽいと表現して良いものかと困惑する『銀猫』。その何とも言えない表情に、クリカラは口元に手を当てながら、少女のように笑った。


 ◇ ◇ ◇


 娼館の一室には、晩春とも思えない冷たい空気が漂っていた。


 ぞわり。悪寒が背中を駆け抜け、ヒルルクは小さく身を揺らす。目の焦点を合わすのも忘れて呆然とし、目を開けたまま何も見ていなかった自分に気づいて、鋭い目つきで周囲を見回し始める。


 いつもの部屋。ヒルルクが私室として使っている娼館の一室。両脇で泣きわめく情婦たち。うるさい。女どもの甲高い声は、ヒルルクの神経を逆撫でする。


 真っ二つになって、床に転がる死体。真っ赤な絨毯に血だまりで黒い染みを作っているこの男は、確かサザロフだかザザロフだかいう名前の田舎者だったはずだ。


 気ばっかりが短くて、そのくせ気の回らない使えない男だ。いや、だった。ヒルルクを囲むように立っていた手下たちは、死体から目を離すことも出来ずに、どいつもこいつもアホ面ぶら下げて立ち尽くしている。


 そして最後に、不格好な全身甲冑フルプレート。殺したはずの優男が、わざわざ道化のような全身甲冑フルプレートを着こんで現れ、ヒルルクを殺しに来たというのだ。


 何だ? これは一体、何の冗談だ?


 さっきから延々とヒルルクの頭の中で、思考が上滑りを続けている。体中に心臓が散らばったかのように、そこら中の血管がピクピクと蠢いている。冷静になろうとすればする程に頭は熱を持ち、思考は拡散して、目で見ているものをわざわざ認識しなおすだけで精一杯というありさまだ。


 この全身甲冑フルプレートは自分を殺しに来た。この事実を残して、あとは全て意図的に無視する。それでやっと、ヒルルクは喫緊に考えるべき問題へと辿りついた。


 ヒルルクは、目の前の全身甲冑フルプレートを睨み付ける。


 問題は全てこの優男。そうコイツだ。


 死んだはずの人間が襲い掛かってきたなどという訳の分らない状況が、こんな混乱を引き起こしているのだ。


 結局、コイツは何なんだ? 不死者アンデッド? いや有り得ない。跳ね上がったままのバイザーの空隙くうげきから覗く、この男の顔は血の通った者のそれ。むしろ少し興奮しているかのように赤みがかってさえいる。間違いなく生きた人間のものだ。


 息を吐く。吸う。そして細く長く息を吐く。落ち着け、落ち着け、落ち着け。ヒルルクは、目を閉じて自分に言い聞かせる。


 両脇からしがみ付いてくる情婦たちの小刻みな震えが伝わってくる。それが判るのも、冷静になってきた証拠だ。良く考えてみれば、今目の前にいる優男は、殺した筈の人間と、同じ顔をしているというだけでしかない。


 双子、もしくは単純にそっくりな奴。そうでなくとも古代の魔道具や化粧、姿を偽る方法なら幾らでもある。何一つ怯えなければならない要素など無い。


 それよりも、あいつは何と名乗った?


夜の住人ノクターナル


 馬鹿にされたものだ。


 その名を出せば、この町の人間なら誰でも震えあがる、そう思ってやがる。そこに思い至って、やっとヒルルクの身体の中で、怯えを怒りが上回った。


 ヒルルクは音を立てて床を蹴りつけると、大声で手下共を怒鳴りつける。


「おまえたち、相手は一人です! ビビってるんじゃァねぇですよ!」


 手下達は、ビクッと一瞬、身体を硬直させた後、思い出したように自分たちの人数を確認する。相手は一人。こっちは女二人を除いても八人。冷静に考えれば、なにもビビる必要などない。


 手下達は、一斉に闖入者ちんにゅうしゃへと向き直って、手にした得物を構え直した。


 全身甲冑フルプレートの男――ハイカーはここまでの間、肩に短めの剣グラディウスを肩に担ぐようにして、戸口に立ったまま微動だにしていない。上がったままのバイザー、そこに空いた隙間から覗く、にこやかな微笑みが男たちを苛立たせた。


 不細工な犬みたいな顔をした男――若頭のキジェが一人前へと進み出る。


 ヒルルクの手下の中でも、最も武闘派と呼ばれる男。見た目どおりに『狂犬』という二つ名で通っている。手にした武器は二本の手斧ハンドアクス。ヤクザ者の得物としては恰好が悪いが、それを気にさえしなければ、殺傷力は匕首ナイフの比ではない。


「もう一回墓場に送ってやらア!」


 キジェは、叫び声を上げながら全身甲冑フルプレートに駆け寄ると、力一杯に手斧を振りかぶる。しかし、全身甲冑フルプレートは少しも動く様子がない。大上段から振り下ろされた手斧が、甲冑のヘルムを叩き、分厚い鉄同士がぶつかる鈍い金属音が壁にぶつかって反響しながら、ヒルルク達の耳を裂く。


 ぐらりとよろめく全身甲冑フルプレート。ヘルムの一部がボコッとへこみ、バイザーの隙間から血が飛び散る。


「いぇへぅい! 兄貴! コイツ見掛け倒しだぜぇ!」


 高揚のあまりおかしな調子で声を上げながら、ヒルルクへと振り向くキジェ。


「ば、馬鹿、キジェ! まだです!」


 ヒルルクは叫ぶ。しかし、キジェにとって、その一瞬が命取りになった。よろめいただけで踏みとどまったハイカーは、肩に担いだままだった短めの剣グラディウスを無造作に振り下ろす。


「あひゃ……」


 ミシッという鈍い音と共に、おかしな声がキジェの口からこぼれ落ちる。後頭部が鈍い音を立てて凹み、ぐりんと眼球が上を向いた。


 膝から崩れ落ちるキジェ。その身体を背後から蹴り飛ばし、ハイカーは喉の奥で「ひゃはっ」と小さくわらった。


「無茶苦茶するナァ」


 ハイカーは間の抜けた口調で、キジェの死体を見下ろしてその上へと言葉を垂らす。


 無茶苦茶なのはどっちだよ。ハイカーを除く誰もがそう思いながらも、この場にそれを言葉に出来た者は居なかった。しかし、キジェの一撃のせいで、全身甲冑フルプレートは明らかにふらついている。


 相手は手負い、そう見た途端、男たちの中に錯覚にも等しい余裕が生まれた。概してチンピラと呼ばれる連中は、弱っている者には強いのだ。


「「「死ねえぇえええええ!」」」


 男達はふらつきながらも、相変わらず入口を塞ぐように立ったままの全身甲冑フルプレートを半円形に取り囲み、互いに目を見合わせると、一斉に声を上げながら襲い掛かる。


 しかし、錯覚はどこまで行っても錯覚。その瞬間、地獄の釜が蓋を開けた。


 バイザーの隙間を狙ってナイフを振り下ろした男は、いかにも無造作に振り払われた短めの剣グラディウスによって、自分の腕がナイフを握ったまま宙を舞うのを見た。


 長剣で横なぎに胴を払いにいった男は、甲冑と長剣が接触して軽い金属音を立てたのと同時に、手甲ガントレットに包まれた左の拳が顔面へとめり込んで、顔のど真ん中を陥没させながら吹っ飛ぶ。


 短剣で肩を狙った男は、全身甲冑フルプレートに触れることも出来ずに、跳ね飛んできた味方の腕に顎を打ち付けられ、もんどりうって無様に倒れた。


「ちくしょう!」


 自分の上に乗っかったままの味方の腕を払いのけて、男が立ち上がろうとしたその瞬間、頭上から短めの剣グラディウスを振り下ろされて、永遠に立ち上がる機会を失った。


 一瞬にして三人もの命を刈り取った全身甲冑フルプレートは、そのまま制御を失った魔導生物ゴーレムの様に、足元をふらつかせながらも、ブンブンと乱暴にグラディウスを振り回しながら、残った男達の方へと近づいてくる。


 普通に考えれば隙だらけの、剣術とも呼べない無造作な動き。


 打たれることを、斬られることを、これっぽっちも恐れる様子もなく、後ずさる男たちへと向かってゆっくりと迫ってくる。


「何なんだよコイツ……」


 後ずさる男たちの口から、恐怖の染み込んだ声が零れ落ちる。


 ヘルムの継ぎ目からはボトボトと血が垂れて、全身甲冑フルプレートの首を伝い、胸の装甲を汚している。手斧の一撃はやはり効いている……その筈なのだが、全身甲冑フルプレートは少しも怯んだ様子を見せない。


 言い様のない不気味さに残った男たちはじりじりと追い詰められていく。


 そしてヘルムの空隙、そこから垂れて流れる血流の向こうの眼を見た途端、男達は震え上がった。それは、痛みに苦しむでもなく、恐怖に怯えるでもなく、殺戮に酔うでもなく、怒りに燃えるでもない眼差し。全身甲冑フルプレートの男は最初から少しも変わらないまま、優しげに微笑んでいたのだ。


「うぁ、うわあああああああ!」


 既に背後へと後ずさる余地を失い、残った部下達は恐怖のあまり、引き攣った表情を浮かべたまま、暴発する様に次々に全身甲冑フルプレートへと襲い掛かる。


 しかし、既に男達に塵芥ちりあくた程にも勝ち目は無い。男たちは斬るというよりはぶん殴るといった風情で、次々に打ちのめされていく。瞬時に意識は刈りとられ、倒れたところを滅多打ち。残された身体が人間の形を保っていられなくなるまで、ものの数秒の出来事だった。


「化物……」


 ヒルルクも自分の声が震えているのには気付いている。楯となる手下たちはもう一人も残ってはいない。既に一人残らず、血の海へと沈んでしまったのだ。


 剣を振り回す手を止め、血の海のど真ん中で佇む全身甲冑フルプレート。そいつが、ゆっくりと身体をヒルルクの方へと向ける。そして、そいつはヘルムの奥から微笑んだ。


 ヒルルクはゴクリと喉を鳴らすと、弾かれる様に立ち上がる。


「きゃあああああ、いたっ、いたぁいぃ!」


 ヒルルクは自分の右腕にしがみ付いて震えていた女の髪をひっ掴み、ソファーから引っ張り上げた。そして楯のようにその背後に隠れ、全身甲冑フルプレートの方へと女の化粧の崩れた顔を見せつけながら、懐から匕首ナイフを引っ張り出す。


「ちょ、ちょっと、アンタ止めてよぉ、許してよぉ!」


 髪を引っ掴まれた女がぎゃあぎゃあと泣き叫び、全身甲冑フルプレートの跳ね上がったままのバイザーの奥で、ハイカーは眉間に皺を寄せた。


 薄気味悪い微笑が消えた。その事だけでヒルルクは少し、圧迫感が薄れたような気がした。


「いいのか? そいつはお前の女なんだろう?」


「ハッ、見てくれだけは良かったんで、娼婦から情婦として引き上げてやっただけですよ。元より愛情なんてものはありません。まぁ、正義の味方気取りのクソ野郎相手にゃァ、楯代わりに使えるわけですから、それなりにいい女って言ってやっても良いですけどね」


「いやあぁぁぁぁぁ」


 女が涙声で絶望の叫びを上げ、ヒルルクは女の頬に自らの頬を寄せながら、ニタリと笑う。


 さあ、悔しがれ。そしてそこを退け。

 しかし、ハイカーの反応はヒルルクの想像したものとは、大きくかけ離れていた。


「正義の味方? それはアンタの勘違いだ。確かにアンタは悪だろう。だがね、悪を飲み込むのは正義じゃない」


 ハイカーが無造作に右手を振るうと、ヒルルクの手の中で女の重みが、いきなり小さくなる。


 ぎょっとしてヒルルクが目を落とすと、ヒルルクが掴んでいる髪の下にぶら下がっているのは女の首のみ。


 首から下は横の壁に叩きつけられて鮮血を噴き出していた。


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