第35話 現世の剣姫(いまけんき)

 朝の賑わいを見せる大通り。左右に並ぶ食堂からは、朝食の客を奪い合う賑やかな呼び込みの声が聞こえてくる。


 そんな雑踏の中を、「悪りぃ! ちょいと通してくれ!」と、軍装姿の若い衛士が、声を上げながら走り抜けていく。もちろん、イルである。


 言うまでもないことだが、盗人や悪漢を追いかけている訳ではない。強いて言えば、彼の方が刻限に追いかけられている。そう、いつもの寝坊である。


 言い訳をするなら、毎晩、毎晩、寝床へと入り込んでくる妹のせいだ。


 母親に取り入って、あっという間に居ついてしまった女奴隷を牽制しているつもりらしいが、お兄ちゃんだって男の子。いくら「妹だぞ」と頭の中で叫ぼうと、血の繋がっていない女の子に抱き着かれたまま眠ることが、彼にどれだけの我慢を強いていることか。


 最近では、もはや四半刻程度の遅刻では怒られもしないのだが、そんな彼が息せき切って駆けているのだ。どの程度の遅刻なのかは、推して知るべきだろう。


 だが、東門へと続く大通りに入った途端、彼は突然足を止めて、今、すれ違っていった人間を振り返る。


「……ハイカー?」


 雑踏の中へと飲み込まれていく二人連れ。メイド服の少女と、肩を並べて大通りを下っていく赤毛の男。その後ろ姿を眺めながら、イルはいやいやと首を振る。


「まさか……な」


 似ているが……ありえない。ハイカーはヒルルクの手下どもに、滅多切りにされて死んだのだ。近頃じゃ珍しいぐらいに善いヤツだったが、善いヤツから死んでいくように出来ているのが、この浮世ってものなのだ。


 だが、その時、聖堂の方から朝九つを告げる鐘がゴーン、ゴーンと響き始めた。


「やべぇ!」


 イルは一目散に走り出す。


 クリカラの呼び出しを受けた翌朝のこと。例によって今日も遅刻。大遅刻であった。


 ◇ ◇ ◇


 イルは衛士詰所の建付けの悪い扉を慌ただしく開くと、勢い任せに駆け込んで、間髪入れずに謝り倒す。


「すんません! すんません! 朝になって妹が急に熱を出しちまいま……って、あれ?」


 だが、いつもならそこで腕組みをして待ち受けているはずの陰険チョビ髭親父、ターリエンの姿が見当たらない。いや、ターリエンだけではない。詰所の中はもぬけの殻、そこには誰の姿も見当たらなかった。


「……まさか、休み?」


 んなわけない。


 ボードワンが死んだ後、副団長のターリエンが我が物顔で威張り散らしていて、団員の誰もがうんざりしていたが、だからと言って、全員が全員で出勤拒否ってことでもないだろう。


「なんか……ちょっとイヤな予感がするぞ」


 イルは首を傾げながら詰所の中を横切って、窓から裏手の練兵場の方を覗き込む。すると、同僚の衛士たちが、そこに緊張の面持ちで整列しているのが見えた。


 イルは、そこでやっと思い至る。


(ああ、そうか……。今日から新しい団長が配属されてくるって言ってたな。こりゃぁマズいぞ)


 思わず窓枠の下へと頭を引っ込めて隠れ、イルは盛大にため息を吐いた。


 マズいなんてもんじゃない。新しい団長が、配属初日に遅刻してくる部下をどう思うかなんて言わずもがな。流石にこんな状況で、何食わぬ顔して出ていけるほど、イルの根性は据わっていない。


 さて……どうしたものかと、イルは再び窓から訓練場の方を覗き込む。


 ここから見える同僚たちの面持ちは、ガチガチに緊張しているように見える。


 力自慢のディドも、下級貴族崩れでお高く留まったユーディットも、まるで初恋の女の子に告白しようとしているガキみたいにカチンコチン。


 なかでも傑作なのはターリエンの野郎だ。昨日までは、あんなにデカい顔して威張り散らしてやがったのに、今は死にそうな顔して、ダラダラ冷や汗をかいてやがる。


 一体、どんなやべぇヤツが配属されてきたのかと、イルが首を伸ばしたその瞬間、彼の首根っこを誰かが力任せに掴んだ。


「痛てっ! おい、何しやがる! 放しやがれ!」


 襟を掴んで締め上げてくるその人物を見上げて、イルは思わず「……へ?」と間抜けに過ぎる声を洩らす。


 そこにいたのは女。


 おそらく二十歳はたちまではいっていないだろう。十八か十九。ウェーブのかかった燃えるような赤毛に紅玉の瞳 。一流の彫刻家が仕上げたかのような、完璧な造形を誇る顔立ち。それは金細工に飾られた全身甲冑フルプレートを着込んだ、女騎士であった。


 女騎士は練兵場の方へとイルを引きずり出すと、形の良い唇をへの字に結んで、害虫を見るような目で彼を見下ろす。


「おい、副団長! 貴様が言っていたのは、コイツのことか!」


「ハッ! グレナダさま! さ、左様にございまするぅ!」


 ターリエンの野郎が、新兵さながらに直立不動で応える。緊張しすぎているせいか、言葉遣いもどこかおかしい。


 グレナダ? どっかで聞いたことあるような……ないような……。


 そんなことを考えながら、イルが愛想笑いを浮かべると、グレナダと呼ばれたその女騎士は、威嚇するかのように、彼の鼻先へと指を突きつけてきた。


「聞いているぞ、落ちこぼれ。貴様がこの詰所のガンなのだとな」


「いやぁ……。ガンはちょっと過大評価じゃないですかねぇ。俺なんざ、そう、精々ぐらいのもんですって」


「……くだらん冗談は好まん」


「……すみません」


 冗談の一つも通じない。むしろ状況が悪化した。こいつはマズい。非常にマズい。


「フン、この状況で軽口を叩けるとは、根性が座っているのか、本物の馬鹿なのか。どちらにしろ性根がひん曲がっているというのは本当らしいな。良いだろう。今日からこのグレナダ・ドレスデンが、直々に叩き直してやる。覚悟するがいい」


 ターリエンの野郎ぉおおお! あることないこと告げ口しやがったな!


「ええっ……と、あ、新しく来られた団長さまですよ……ね?」


「そんな訳があるか!」


「で、ですよね!」


 言われてみればそりゃそうだ。一目みれば分かる。こんな派手な全身甲冑フルプレートを着込んでいるのは、この国では近衛騎士団の団員ぐらいのもの。


 近衛騎士団といえば、王家直属のエリート中のエリート。いわゆる精鋭部隊だ。こんなしがない衛士詰所など、場違いにもほどがある。


(じゃあ、なんでこんなとこに居るんだよ……)


 イルが胸のうちでそう呟くのとほぼ同時に、グレナダが予想外の言葉を放った。


「私は! 団長は、あのお方だ!」


「……へ?」


 未だに尻餅をついたまま、イルはグレナダの視線の先へと目を向ける。


 そこには白いドレスに身を包んだ、人形みたいに小さな女の子が、どこから運び込んできたのか、やたら大きな椅子にちょこんと座って、興味津々という目でイルを眺めていた。


「王位継承権第十六位 アストレイア姫殿下であらせられる!」


「はぁあああ!?」


 これには流石に、イルも面食らった。


 アストレイア姫殿下と言えば、まさに昨日クリカラの依頼にあった『お姫さま』その人なのだ。すぐに顔を合わせることになる。クリカラはそう言っていたが、まさか姫殿下が自分の上司として赴任してくるなど、想像の範囲をぶっちぎっている。


「えーと……あの、グレナダさま? こりゃぁ一体、なんの冗談ですか?」


「……冗談は好まぬと、そう言っているだろう」


 ひくひくと頬を引きつらせるイル。それをグレナダが、ギロリと睨みつける。


 そして、こう言い放った。


「本日より、王都東門衛士詰所は姫殿下直轄となった。姫殿下ご照覧の下、この近衛騎士団第三位グレナダ・ドレスデンが、貴様らの性根を叩き直してやる。せいぜい覚悟するが良い!」


 ――近衛騎士団第三位。


 そこまで言われて、イルはやっと思い出した。


 エリート揃いの近衛騎士団でも、もっとも華麗。いにしえの大英雄、紅蓮の剣姫の再来、現世のいま剣姫とも称えられる最強の女騎士。その名がたしか、グレナダだったはずだ。


(こりゃあ……やっかいなことになりそうだ)


 イルは胸の内でそう独り言ちて、深いため息を吐いた。

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