第29話 最悪の少年 その3

 イルの言っていた黒幕があのボードワンという男だったことには正直驚かされたが、それ以上にあの少年の一言がリムリムの胸に突き刺さった。


 父親を殺すのは三人目?


 なんだ、それは?


 どんな地獄だ、それは?


 確かに、暗殺者たちは皆、何らかの呪いを受けて、大事な物と引き換えに禍々しい力を得ている。だが、少年のそれは余りにも救いがない。


 リムリム自身の生い立ちだってロクでもないが、屋敷の一室に閉じ込められながらも、扉の向こうで涙ながらに詫びる父親の声を何度も聞いた。


 父親が亡くなったと、扉越しに聞かされた時には、世界が崩れ落ちたような気がしたものだ。


 それを殺す? アタシには出来っこない。馬鹿げてる。親って奴は無償の愛を与えてくれるものじゃないのか?


 あの少年の瞳が、あそこまで濁ってしまった理由がはっきりと分かったような、そんな気がした。


 その時――


「ねえ、リム姉さん」


 壁一枚を隔てた向こう側の、イルとボードワンのやり取り。息を呑んでそれに聞き耳を立てていたリムリムは、突然呼びかけられて身体をビクリと跳ねさせた。


 そんなリムリムの様子を気に留める節も無く、シアは静かに言葉をつむぐ。


「イルさんはとても可哀想な人ね。あの物言い。あれじゃあ、世の中には悪意しかないみたい。あの人は悪意に囲まれて生きてきたのね」


 薄暗い物置の中、シアは血のしみ込んだ布袋を、虚ろな目で見つめたまま。


「お父さんを二人も殺さなきゃいけないなんて……本当に可哀想」


 リムリムは薄闇に目を凝らして、シアの表情をうかがう。目はあいかわらず虚ろなまま、その口元だけがわらっていた。


 何かがおかしい。明らかにシアの様子がおかしい。


「シア……?」 


「誰かがあの人に、善意や優しさというものを与えてあげなきゃダメよね。世の中は素晴らしいものなんだって、教えてあげなきゃ。誰かが……私が……」


 リムリムは無意識に半歩後ずさる。


 ああ、これはマズい。非常にマズい。


 心の壊れ掛けていたシアが自分よりも、もっと酷いモノを見つけてしまった。


 自分の心を守るために、何一つ遠慮することなく依存できるモノを見つけてしまったのだ。


「シア、あのね、よく聞いて……」


「ペータもね。昔はいたずらばっかりする困った子だったんだけれど、ちゃんと教えてあげたら、本当に良い子になったの。私の自慢の弟よ」


「あのね、シア。あのクズはペータじゃないのよ。あんなのと一緒にしちゃあ、ペータが可哀想だと思うなァ、アタシは、あはは……は」


 引き攣った笑顔を浮かべながら歩み寄ってくるリムリムを、シアは静かに見上げる。


 深淵。底の見えないあまりにも深い闇。シアのその瞳には、あまりにも深い虚無が渦巻いていた。


「ううん、ペータと同じ。あの子は愛に飢えているだけなのよ」


「……あの子?」


 ヤバい、ヤバい、ヤバい。リムリムの背筋を冷たい汗が一筋、流れ落ちた。


 シアの中で明らかに、ペータとあのクズが重なり始めている。



 ◇ ◇ ◇



「はっ……はははははは、くくくっ、くっくっ、こいつは傑作だ。オメェが『夜の住人ノクターナル』だぁ? 冗談としてもそいつは出来が悪すぎる」


 ボードワンは腹を抱えて笑った。笑いすぎて息苦しい、そんな様子でイルの方に改めて顔を向ける。


「大方、『夜の住人ノクターナル』とでも言やあ、オレがビビるとでも思ったんだろうが、流石にそいつはアホすぎるだろう」


 イルは無言でボードワンを見つめている。


「確かにヒルルクを使って『暗緑鋼の製法』をギルドに売らせようとしたのは俺だ。だが、ウォードの奴や、そのガキを殺したのは、そのトルクって弟子なんだろう? 悪いのはそいつであって、俺は御法ごほうに触れるようなこたあ、何にもしちゃいねえ」


 イルは呆れたとでもいうように、肩をすくめる。


「オヤッさん、やめてくれ。そいつは格好悪すぎる。今のアンタの物言いはまるで小悪党だ。信念の欠片もねえ。最期ぐらいはいつものアンタらしく、堂々としていちゃあくれねえか。俺がアンタを殺す値打ちを下げんのは、もうやめてくれ」


 途端に、さざ波のようにボードワンの顔から笑みが消える。鋭く目を細め、ボードワンは真剣な表情でイルを見据えた。


「どうあっても、俺を殺るってんだな? 後戻りはできねぇぞ」


 イルはコクリと頷く。その瞬間、ボードワンは腰から剣を引き抜く。


 薄っすらと緑に光る刀身――暗緑鋼の剣。


 それが、全ての元凶だ。


 その緑の光が、この部下想いの男を狂わせたのだ。


「殉職ってことにすりゃあ……残された家族にも多少の恩給は出る。ニーシャには俺が責任をもって婿も探してやる。草葉の陰で見守ってやれや」


 剣先を向けながら、言い聞かせるようにそう囁くボードワンを見据えて、イルはただでさえ猫背気味な身体を更に丸め、小さなため息を吐いた。


「残念だよ……おやっさん」


「ぬかせ!」


 達人らしい苛烈なまでの踏込の速さ、まさに不意打ちというべきタイミング。ボードワンは剣を振り上げながら、一気にイルとの距離を詰める。イルは動かない、いや動けない。それほどまでに苛烈な剣の冴え。


 ボードワンの顔に宿る悪鬼羅刹のような表情を、驚く様子も無くイルはただ虚ろな目で見つめていた。


「恨むなよ!」


 そのささやきがイルの耳へと届いた時には、ボードワンの剣が暗い緑の軌跡を描いて、イルの肩口へとめりこんでいくところだった。


 袈裟懸けの一刀両断。肉を潰し、骨を力任せに砕く剛剣。イルの身体を切り裂いた剣先が、勢いのままに石畳の床を擦って、チッ! という乾いた音とともに小さな火花を散らす。


(すまねえな、ガスパー。オマエの息子が悪いんだぜ)


 胸の内で今は亡き親友にして、イルの育ての親へと詫びたその瞬間――


 ボードワンは自分の体がぐらりと傾くのを感じて、思わず目を剥いた。

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