第28話 最悪の少年 その2

「おい、イル! てめぇ、何だこんなところまで引っ張ってきやがって。勿体もったいぶんじゃねえぞ」


「まあまあ、オヤッさん。口で説明しようったって、オレみたいな学のねぇ人間には難しいもんがありましてね。実際見てもらうのが手っ取り早いんスよ」


 苛立ちを隠そうともしないボードワン。それを先導するイルは、へらへらと軽薄そうな笑いを浮かべている。二人は遠慮する様子も無く、ブーツの土を払いもせずに、ズカズカと工房の中へと上がり込んだ。

 

「で、暗緑鋼の製法ってのはどこだ?」


「まあ、順番を追って説明させてくださいってば」


「順番?」


 ボードワンは思わず怪訝けげんそうな顔をする。


「そう、順番。この暗緑鋼あんろっこうを巡る事件ってのは、まず最初にウォード工房の親方が殺されたってところから始まった。そうですよね、オヤッさん」


「ああそうだ。俺たちが通報を受けて来た時には、ヤツは丁度このあたりに……」


 そう言いながらボードワンは、石畳の床に楕円を描く様に指を動かす。


「……うつ伏せに倒れてやがった」


 イルは小さく頷くと頭の後ろで手を組んで、気軽な調子で口を開く。


「まあ、殺ったのはトルクの野郎なんスけどね」


「あん、なんだと? トルク? どこのどいつだ、それは?」


「あれ? 知りませんか? ウォード工房の住み込みの弟子で……」


「ああ、ウォードの野郎がウチに納品に来る度に、使えねェって愚痴ってた奴か」


「まぁ、さっき路地裏で死んでましたけどね」


 その一言には、流石のボードワンも目をいた。


「ちょ、ちょ、ちょっと待て、それはさっきの死体のことか!?」


「そうですよ」


「そうですよって、おめえ!」


「まあまあ、オヤッさん落ち着いて。順番に話しますから……ちょっと近いッスよ」


 暑苦しい顔で詰め寄ってくるボードワンに、イルは後ずさりながら宥めるように話を続ける。


「トルクの野郎はね、ヒルルクにそそのかされて親方を殺したんスよ」


「ヒルルクだと?」


 ボードワンの片方の眉が跳ね上がる。


「ええ、ヒルルクはトルクを使って『暗緑鋼の製法』を手に入れさせようとしただけっぽいんですけどね。そんだけ使えねえとか言われてるようじゃ、トルクの方は、随分鬱憤も溜まってたんじゃないスかね。あっさり親方を殺したんです」


「どうやってだ! ウォードの野郎が死んだのは、鍵のかかった部屋だ。窓は天井近くの明り取りの小窓ぐらいのもんだぞ」


 イルはふふんと自慢げに鼻で笑う。


「簡単な話でさぁ、親方は病的に神経質な人だったそうで。親方の娘からはよっぽどの事が無けりゃ、毎日毎日同じ行動を取ってたって聞きましたけどね」


「ああ、アイツはウチへの納品もいつも決まって同じ時間だった。遅れたことは無ぇと思う」


「それですよ」


 イルがボードワンの鼻先に指を突きつける。


「オレもよくは知りませんけどね。鍛冶屋の作業の中でも炉に材料突っ込んだ後、待ってるだけの時間なんてのがあるんじゃねぇですかね」


「おれも知らねェが、まあそんくらいはあるだろうよ」


「で、その間、親方はどうしてると思います?」


「あん? なんだそりゃ。のんびりしてんじゃねぇのか?」


「そう、壁にでも寄っかかって、煙草なんぞ吹かしてたんじゃねえかと思いますねぇ」


 イルが何を言おうとしているのか分からず、ボードワンは口元をへの字に歪ませる。


「だから、おめぇ何が言いてえんだ」


「だからオヤッさん。いつもいつも同じ時間に親方が壁に寄っ掛かって煙草を吹かしてるって知ってさえ居れば、そこの壁、ちょうど親方の首筋がくるあたりの漆喰しっくいに小さな穴でも開けて細い杭みたいなもんでぶっ刺しゃあ、簡単に殺せるって言ってるんですってば」


 ボードワンは大きく目を見開くと、ぐりんと首を回して、まじまじとイルが指さした壁へと目を向ける。


 確かにそこにもたれた状態から倒れれば、先程ボードワンが指で囲んだあたりにうつ伏せに倒れることになる。


「そこの壁の漆喰しっくいを調べて見りゃあ、たぶん小さな穴を埋めた後があると思いますがね」


「だ、だが、それは、そのトルクって奴がやったって証拠にはならねぇだろ」


「なるんだな、これが。親方が工房の中で、決まってどんな行動をとるかなんてのは、いつも一緒に工房に入って作業してるトルクにしかわからねえ。ましてや親方が死んだ日に限って、トルクは親方を怒らせて工房から追い出されてるんです」


「追い出された?」


「ええ、靴を逆に揃えたとかなんとか、しょうもない理由でね。で、親方から庭の草むしりを命じられた。このあたりも計算ずくなんでしょうけど。庭ってどこです。その壁の向こう側じゃねぇですか。つまり、トルクが犯人じゃねぇなら、犯人はトルクの目の前で、親方に向かって杭をブッさしたことになる」


 ボードワンは思わず言葉を失う。一方イルの方はというと、ノッてきたのかボードワンの様子などお構いなし。さらに饒舌に言葉を繋ぐ。


「ところが! ところがですよオヤッさん。親方を殺した後、トルクは必死に『暗緑鋼の製法』を探し回ったが見つからねえ。あの神経質な親方が書き物にしてない筈など無いってのに、どれだけ探してもやっぱり見つからねえ。日ごとにヒルルクの野郎がれて催促してくる。毎日、毎日、矢のような催促だ!」


 興奮気味に高くなっていく声のトーン。いつものボンヤリした、イルの様子とはかけ離れた芝居がかった物言いに、ボードワンは呆気にとられた。


「で、ヒルルクは標的を変えた。このままじゃらちが開かねえって、親方の娘や息子を締め上げて聞き出そうとする訳です。どうやったか。ありもしねえ借金をでっち上げて追い込みをかけやがったんです。そう丁度、オヤッさんとオレが通りかかった日です。トルクには前もってこの屋敷をこっそり抵当に入れさせて、親方の娘達が借金を返す手段を無くして、逃げ道を塞がせました」


 ここで、イルは声のトーンを一気に落とし、ボードワンの目を見据える。


「さて、オヤッさん。ヒルルクは何で『暗緑鋼の製法』を手に入れようとしてたんでしょう?」


「なんでって……そりゃあオメエ、金の為だろう?」


 イルが何を言わんとしているのかを掴みかねて、ボードワンは眉をひそめる。


「まあ、そりゃ金の為ってのも間違いは無いんでしょうけど。でもね、オヤッさんおかしいと思いませんか?」


「だから、何がだ?」


「ヒルルクの野郎はこう言ってやがったんです。『暗緑鋼の製法をに売れ』ってね」


「鍛冶師の技術を鍛冶師のギルドに売りつけるってんなら、何もおかしなこたあねぇだろうが。それなりに高く買い取ってくれる筈だぞ」


「はっ! それなり、ねぇ」


 ボードワンのその回答に、イルは小馬鹿にするように口元を歪めて肩を竦める。


「オヤッさん、今がどういう状況か分かってます?」


「あ? だから、何がだ!」


「今、この国の周りは鉄火場だ。戦争が起こってるんですぜ。どの国だって戦力の増強にゃあ、金の糸目なんて付けやしねえ。どこに売りつけたって、そんな一ギルドに売りつけるのとは比較にならねえぐらいの値段がつく。それにあのヒルルクなら幾つもの国に話を持ちかけて、ガンガン値を吊り上げるぐらいの立ち回りが出来ねえわけがねえ。それをわざわざギルドに売るように持ちかけるなんて、むしろ慈善事業に近いぐらいです」


「奴だってこのサン・トガンの住人だ。それぐらいの分別はあるだろうよ」


「分別?」


 イルは鼻で笑った。


「オヤッさん、人間ってのはね。どうしようもねえ生き物なんです。何から何まで自分にどんな利益があるかでしか、その行動を決められねえ。そういう悲しい生き物なんですよ。分別? 馬鹿言っちゃいけねえ。分別ってのはね。それを守った方が不安にならねえから守るもんで、でっかい利益を前にして、あの蛇野郎がそれを守る理由がねえ。ギルドに売れなんてのは、ヒルルクの行動として考えりゃあ、どう考えてもおかしい。そこにゃあ、ヒルルクがそういう行動を取るだけの利益が無きゃならねえ」


 今度はボードワンが呆れたように肩を竦める。


「世の中をはすに構えて見るってのは、若けぇ時分の病気みてえなもんだが、オメエのは随分性質タチが悪い。世の中にゃあ、わが身を省みず世の為、人の為に尽くして聖者なんて呼ばれてるような連中もいるだろうが。まあ、ヒルルクはそうじゃねえだろうが」


「そういう連中も同じルールの範疇でしか生きてねえんですってば。可哀想なものを放っておくのがイヤ。見たくねぇものを見ないで済むようにしてぇってのも、立派な利益ですからね。人の喜ぶ顔が見てぇってのは、比較的マシですけど、俺は偉いんだ! なーんて優越感を得るためにやってる奴もいるでしょうよ。自分自身じゃ気付いてねえかもしれませんがね」


「馬鹿野郎! 穿った目で見すぎだ。てめぇには衛士の誇りは無ぇのか!」


 声を荒げるボードワンを冷ややかな目で眺めながら、イルはニヤニヤと口元を歪める。


「誇り? それこそ唾棄すべきモンだと思いますがね。薄皮一枚剥ぎ取ってみりゃ、どんな麗しい言葉も、その下にあるのは剥きだしの欲望だ。何を引き換えにしたかは知らねえが、ヒルルクにそういう行動を取らせた奴がいる。そういう行動を取るだけの利益、もしくは、そうしなかった場合の不利益を突きつけた奴がいるんです」


「ほう……ヒルルクの他に黒幕がいるって訳だな」


「ああ、そうです。そいつはね、暗緑鋼あんろっこうの存在を知ってて、その製法をギルドが手にする事で利益を得られる人間。この場合の利益ってのは金じゃ無ぇですがね……。更にヒルルクに対してそういう話を持ちかけられる人間っていえば、すげえ限られてくる。来ちまうんです」


 興奮気味に捲し立てるイルのことを、ボードワンはじっと見つめている。


 それは笑っているようで、少し寂しげな顔だった。


「オヤッさん、このままこの国が戦火に巻き込まれりゃ、俺たちは最前線だ。誰よりも早く、死神の足音を聞くことになる。あんたは戦場に借り出される部下たちに、暗緑鋼あんろっこうの武器を持たせたい、そう願った。部下たちの事を思って……アンタは本気でそう思っているんだろうが、違うね。自分がイヤだってだけさ。アンタは自分の部下の死を見るのがイヤで、遺族に泣かれるのがイヤで、夫を亡くした妻に、親を亡くした子に、責められるのがイヤなだけさ。まあ、それを責めるつもりはねえ。みんな、そうやっていろんな事に言い訳しながら生きてる」


 ボードワンは目を逸らさず、イルを見つめている。


「ただ……今回ばかりは良くねえ。そいつはオレが我慢ならねぇんだ。オレはシアの泣き顔を見たくねえ。ペータを死に追いやった奴を許しておけねえ。それを……大人ぶって、見て見ぬ振りをするのが、俺には苦痛でしょうがねぇ!」


 ほこり舞う工房に、息苦しい沈黙が舞い降りた。


「……で、お前はどうしたいんだ? 大人になれ、イル。ガスパーが死んじまってからは、オレがてめえの親代わりだ。味噌っかすのてめえを衛士にじ込んで、食い扶持を稼がせてやってるのも親心みてえなもんだ。お前はてめえの父親に逆らおうってのか?」


 床に積もったほこりを足で掻いて、イルは自分とボードワンの間に一本の線を引いた。


「残念だが、既にアンタは境界線の向こう側だ。まあオヤッさん、安心してくれ」


 イルは俯いたまま、こう呟いた。


「父親を殺すのは、これでだ」


 途端に、ボードワンの目が鋭さを帯びる。


「産みの親の記憶はほとんどねえ。だが俺が殺した。育ての親……ガスパーも俺が殺した。そう殺したんだよ」


「ハン! はったりもそこまで行けば傑作だ。オメエにガスパーを殺れるわけがねえ! アイツはなぁ、この国の衛士の中でも飛びぬけて腕が立つ男だった。誰もかなわなかったぞ。俺だって二回に一度は負けるぐれぇだ。それに引き換え、おめぇはどうしょうもねえ味噌っかすだ。実はすげえ腕前でソレを隠してる? 有り得ねぇな、お前のその全く鍛えられてねえ、ひ弱な腕を見りゃあ、誰だってわかる。コイツは虫も殺せねェってな!」


 相変わらずうつむいたまま、イルはぼそりと呟いた。


夜の住人ノクターナル


「あ? なんだと?」


「アンタが会いたがってた人間。この国の抱える問題の一つが、今アンタの目の前にいるって……そう言ってるんだ」

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