第98話 開戦! ドレスデン屋敷の戦い

「うむ……うぉっ……ふむ、なるほどっ! そ、その辺りの話をもっと掘り下げるのだ、そう、そうだ。流石はプリメア、ブラボー! ブラボーだ! よくわかっておるではないか!」


 壁に額を擦り付けて、一人で興奮している男がいる。壁に空けたのぞき穴。もしここに、この男の様子だけを見ている者がいたなら、壁の向こうでは、一体どんな淫靡いんびな出来事が繰り広げられているのかと、錯覚するに違いない。


 男の名はアラミス公トレド。最近では一部の人間から陰険兄貴などと呼ばれてはいるが、王族を除けばこの国でも最高位の貴族である。


 彼が、国王陛下の肖像画に偽装したのぞき穴を通して眺めているのは、二人の女性の姿であった。


 ベッドの上で、はしたなくも胡坐あぐらを掻いているのは、顔の真ん中に大きな傷をもつ赤毛の女性――暗殺者『司祭クレリック』こと、ジゼル。その傍に立っているもう一人は、彼の使用人の中でも、特にさといと噂される商家出身のメイド、プリメアであった。


 別段、二人は特別な話をしている訳ではない。ほとんど世間話といっても良い程度の話だ。昨晩屋敷を訪れた時には戸惑いまくっていたジゼルも、二日目ともなると、多少は余裕が出来てきたのかくつろいだ様子を見せている。


 クリカラが、彼の護衛に『司祭クレリック』を指名した時には、流石に驚いた。冗談ではないと、必死に拒絶しようとしたのだが、いざ、こうやって彼女が我が家にいるという事実を目にすると、感慨もひとしお。なにせ彼女は、彼が十年以上も想いを寄せ続けてきた婚約者なのだ。


 彼女を迎えにいくその日まで、もう二週間を切っている。まさか、今彼女と対面するわけにはいかない。だが、折角訪れた得難い機会である。彼はプリメアに命じて、彼女についての情報収集をさせることにしたのだ。すなわち、指輪のサイズや、食べ物の好き嫌い。好きな色や好きな香り、などなど。彼女を喜ばせるための基礎情報である。出来れば、ズバリどんな結婚式をしたいかまで聞き出せれば、言うことはないのだが……。


 念のため、時折様子を確認しようと造らせたのぞき穴ではあったのだが、一度覗いてしまうと、もう目が離せない。今夜も朝まで生ジゼル鑑賞である。


 だが、


「旦那さま!」


 唐突に背後で声がして、彼は思わず飛び上がる。慌てて振り返ってみると、長らく彼に仕えて来た老齢の執事が情けなげに眉根を寄せて、そこに立っていた。


「な、なんだ! ノックもせずに入ってくるんじゃない」


「しましたとも、何度も」


 どうやら集中しすぎてしまったらしい。思わず顔を赤くして、彼が「だからと言ってだな!」、そう抗議しかけたところで、執事はそれを遮って、一枚の羊皮紙を突き出してくる。


「なんだ?」


「檄文でございます」


「檄文?」


「つい今しがた、投げ込まれました。恐らく他の貴族の元にも、同じものが投げ込まれていると推測いたします」


 アラミス公は執事の手から羊皮紙をひったくると、そこに目を落とし、そして、うめいた。


 そこに記されていたのは、つい先刻ヴェルヌイユ姫の執事、フロービオが兵たちに向かって読み上げたあの文面である。内容を端的に言ってしまえば、『ドレスデン子爵家を誅滅せよ』。それを、国中の貴族たちに王族が発した檄文として投げ込んだのであった。


「なんという……愚かなことを」


 近衛騎士団壊滅の経緯を知るものにしてみれば、グレナダが人喰いの化け物などというのは、あり得ない話。一方、サイクスがかつて、ヴェルヌイユ姫の寵愛する男娼であったことを知る者であれば、これはその化け物への復讐だと考えるのかもしれない。


 だが、それはいずれも真実ではない。身内として、遠い昔、彼女を見舞った不幸を知る彼にしてみれば、それはあからさまにして、あまりにも直接的な、彼女のでしかなかった。


 アラミス公は唇を噛み締めて意を決する。彼は既に王族ではない。ヴェルヌイユ姫の命を賭したこの暴走を、王族によって発せられたこの激を、取り消すことが出来るのは只一人、国王陛下のみである。


「騎士たちを招集せよ! 私はこれより陛下をお訪ねする!」


 アラミス公が声を上げると、執事は慇懃に腰を折ってこう告げた。


「既に、騎士たちは門前に揃っております」



  ◇ ◇ ◇



「あはは、グレナダお嬢が、人喰いの化け物ですってよ、旦那」


「あんな偏食の化け物がおるか。お嬢さまの好き嫌いには、どれだけ苦労させられたことか……」


「いやいや、流石に人肉を食卓に乗せたことはありませんからね。実は大好物だったってこともあったりして」


「……ほう? じゃあ、まずは、お前のケツの肉でも食卓に載せてみるか?」


「う……すんません。調子に乗りました」


 白髪を後ろへと撫でつけた老齢の執事。彼に鋭い目で睨みつけられて、コックのギンターはその大柄な体躯を縮こまらせる。


 ドレスデン家の王都別邸。先ほどからこの屋敷は、多くの兵たちに取り囲まれていた。窓から見える人数で推測するならば、全部で数百人ほどにもなるだろうか。


 つい先ほど、門前でどこかの貴族が偉そうに踏ん反り返りながら、ヴェルヌイユ姫殿下の檄文を読み上げ、大人しく投降せよと声を上げた。


 とはいえ、投降するにしろ、抗戦するにしろ、それを判断するのは使用人たる彼らの役目ではない。


 イルとグレナダが居ないこの屋敷において、一応の最上席者は主の愛人たるリムリムである。愛人が貴族の屋敷を取り仕切るというのもおかしな話ではあるが、ニーシャは未だ婚約者でしかなく、その母親も、イルがサリュート家と養子縁組を結んだことによって法的には親子関係が消滅、今となっては婚約者ニーシャの母という立場でしかない。奴隷であるシアは問題外。消去法的に、使用人たちが主人の代理として仰ぐことの出来る人間は、リムリムしかいないのだ。


 執事のブレインは、つい先ほどリムリムの部屋を訪れて脱出を勧めたのだが、彼女は「ふーん、ま、大丈夫なんじゃない」などと、呑気なことを言い出し、なにを考えているのかは分からないが、ぐるぐる眼鏡のメイド、ジーンと共に、ニーシャと彼女の母親を連れて、最上階の部屋に閉じこもってしまった。どうやら逃げる気も、投降する気もないらしい。加えて、気づいてみれば、他のメイドたちや奴隷のシアの姿も見当たらない。


「こういう状況になってしまっては、我々には出来ることをするという選択肢しかないからな。まあ、つきあえ、ギンター」


「へいへい、分かってますってば」


 執事は細身の曲刀サーベルを二本、燕尾服の腰にぶら下げ、コックは短く刈り込んだ金髪を掻きながら、白い調理着のまま、巨大な鉄槌ウォーハンマーを肩に担ぎ上げる。


「なまってはいないだろうな?」


「あったりめぇです。俺一人で百人はいけますね。のほうこそお歳なんですから」


「ぬかせ、私は百一人はいける」


「じゃ、俺は百二人を目指しますかね」


 そんな軽口を叩きあいながら、二人は玄関へと向かう。二人が庭へ歩み出ると、丁度、屋敷を取り囲んでいた兵の一部が、塀を乗り越えようとしているところ。二人の姿を目にするなり、門の鉄柵、その向こう側でふんぞり返っていた貴族が、居丈高に大声を上げた。


「遅いではないか! 今頃出て来たところで、もう投降はゆるさぬぞ!」


 すると、執事がうやうやしく腰を折って礼をする。だが慇懃なその態度とは裏腹に言葉の内容は辛辣を極めた。


「これはこれは、どこのが騒いでいるのかと思えば、ゲルゲンリートのぼんくら息子さまでございましたか。ああ、失礼。今は、ご当主さまでございましたな。もう夜も遅うございますからな、さっさと帰って、お母上の乳房にでも吸い付いておられればよろしいかと」


 この物言いには周囲の兵たちの方がぎょっとする。思わず自身の主の方を顧みると、彼は顔を真っ赤にしてブチ切れていた。


「貴ッ様ァアアアア! たかが執事が! なんという無礼! 許さぬぞ!」


「ふむ、許さぬと仰っておられるぞ、ギンター。謝れ」


「いや、いや、アンタでしょうが」


 大袈裟に肩を竦めるコック。その瞬間、ゲルゲンリート準男爵は、怪訝そうに片眉を寄せた。この二人の姿、今のと同じやり取りを、どこかで見たことがあるように思えたのだ。


「ともかく、その塀を越えることは、おすすめいたしませんな」


 老齢の執事がそう言って目を細めると、準男爵は、背筋に何やら冷たいものを感じて、慌ただしく声を荒げた。


「かまわん! たかが二人。それもジジイとコックだ。身の程を知らせてやれ!」


「「「はっ!」」」


 準男爵の声に応えて、兵たちは一斉に塀に手を掛けて登りはじめ、正面の鉄柵に幾人かが肩で体当たりをし始めた。けたたましく甲冑と鉄がぶつかる音が響いて、兵士たちの怒声が響き渡る。まさに嵐の中で決壊する堤防を思わせる風景。そして、既に塀の上に到達していた兵士たちは剣を引き抜き、ときの声を上げて庭へと飛び降りはじめた。だが、 


「なっ! や、やめっ!」


 顔を引きつらせる兵士たち。彼らが石畳の上に膝をついた途端、横殴りの凄まじい衝撃が彼らへと襲い掛かったのだ。それは巨大な鉄槌ウォーハンマー。鉄の塊とでもいうべきその凶器を片手で軽々と振り回しながら、コックが兵たちを吹っ飛ばしていく。受け止めようとした剣はへし折れ、一撃ごとに骨が砕ける音が響き、肉の潰れる音が塀の内側でこだまする。


「オラオラッ! 掛かって来いよ! 昨日叩いた豚肉の方が、まだ手応えあったぞ!」


 コックはまるで旋風とでもいうような勢いで鉄槌を振り回し、次から次へと死体を量産していく。塀の上へと登りかけていた兵たちが、その姿に怯えて後退あとずさり、後続の兵たちを巻き込んで次々と敷地の外側へと転がり落ちた。


「なにをやっておるか!」


 準男爵は忌々しげに声を上げる。だがそれとほぼ同時に宙空を何かが横切った気がして、彼は思わず空を見上げた。何もない。だが次の瞬間、彼の背後でけたたましい悲鳴が響き渡った。


「な、何事だ!」


 慌てて目を向ければ、兵士たちのど真ん中にぽっかりと空間が出来ている。血を流して倒れこむ兵士たち、その中央には両手に細身の曲刀サーベルを握った老執事の姿があった。


「い、いつの間に!」


 準男爵が声を上げる間に、老執事は既に動き始めていた。そして、まるで円舞曲でも踊るかのように二本の曲刀を振り回しながら、いともたやすく兵士たちの命を刈り取っていく。


 それは余りにも衝撃的な光景であった。兵士たちとて案山子かかしでは無い。有事に備えて日々鍛錬を積んできたつわものたちである。にもかかわらず、それこそまるで案山子かかしを相手にでもするかのように、老執事は難なくその命を刈り取っていくのだ。まさに悪夢のような光景であった。


 余りの出来事に、ゲルゲンリート準男爵はガタガタと音を立てて後ずさり、そのまま腰砕けに尻餅をつく。そして、彼はついに思いだしたのだ。


「まさか、まさか、そんな!」


 いや、だが、間違いない。もはや間違いようもない。


「先々代近衛騎士団団長、『迅雷』、ブレイン殿! それに、先代副団長のギンター殿!? な、な、な、アナタ方が、なんでこんなところに!」


 その声に老執事は動きを止めると、再び慇懃に腰を折って、準男爵へとこう告げた。


「思い出していただけたのは、なにより。ですが、なんでと言われても困りますな。あなた方が、私の再就職先に踏み込んでこられただけですので」

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