第62話 人さらい妖精 その3

「やはり双子は、悪魔の仔だとでもいうのか……」


 ベルモンドのその一言に、二人はピクリと小さな身体を跳ねさせた。


 虎の尾を踏むなどという言葉もあるが、絶対に口にすべきでは無い言葉がある。双子は嫌悪感も露わに眉をしかめ、その瞳に冷たくてついた光を宿す。


「そういう事を言う人は嫌い」


「嫌い、嫌い」


 目視できそうなほどに膨らんでいく殺意。張り詰めた空気の中、二人は互いに手を取り合うと、途端にベルモンドの視界から掻き消えた。


「くっ、どこだ!」


 ベルモンドは慌ただしく剣を引き寄せて身構える。視界のどこにも、少女たちの姿は見当たらない。彼は耳に意識を集中させて双子の足音を探る。聞こえてこない。気配は? 気配も……ない。バカな! そんな筈は無い! ありえない!


 だが、ベルモンドは困惑しきった自分自身に気づいて、諭すように独り言ちた。


「落ち着け……。落ち着くのだ」


 暗殺者がどんな技術を用いようと、存在の痕跡を何から何まで消し去ることなど不可能だ。襲い掛かってくるその瞬間には、必ず殺気が漏れ出してくる。そこを狙え。心を乱せば奴らの思うつぼだ。


 息苦しい静寂。呼吸音がやけに大きく聞こえてくる。緊張のあまり彼の頬を一滴の汗が伝う。それが滴り落ちて、石畳の上に小さな染みを作ったその瞬間――


「え?」


 ベルモンドは自分の右腕が、くるくると回転しながら宙を舞っているのを見た。


 手甲ガントレットに包まれた右腕が剣を掴んだまま、床へと落ちてカランカランと音を立てる。一拍の間を置いて、肩口から噴水のように噴き出す血。途端に凄まじい痛みが、神経を灼き尽くしながら脳へと駆け上がってくる。


「ぎゃぁああああああああああああああああ!!!」


 ベルモンドは絶叫とともに膝から崩れ落ち、惨めに床を転げまわった。凄まじい痛み、自分の意思など関係なく涙が溢れ出し、獣のようなうめきとともによだれが口の端から零れ落ちた。


(い、一体何が起こったのだ? 音も気配もなにも感じなかったというのに)


 彼が痛みにのたうちまわりながら顔を上げると、そこに双子の姿があった。彼女たちはベルモンドをじとりとした目で見下ろしていた。


「人かと思ったら虫だった。うねうねして気持ちの悪い虫……嫌い、嫌い」


「うん、嫌い。虫は潰さないと、プチっとね」


 双子の片割れが肉切り包丁ブッチャーナイフを振り上げる。


「やっ、やめてく……」


「やめたげない」


「ぎゃぁああああああああ!」


 甲冑の肩当てごと断ち切られる左腕。斬られた衝撃で左手が石畳の上を滑り、壁にぶつかって鈍い音を立てた。


「うぁっ、い、うぉあ……」


 ベルモンドの口から零れ落ちるのはもはや断片的な母音だけ。あまりの痛みに、まるで言葉にならない。


「女の子に悪魔なんて、酷いこと言うから」


 ミリィは、ドレスが汚れることなどお構いなしに、血まみれの肉切り包丁ブッチャーナイフを肩に担ぐ。


 恐ろしい膂力を持つ妹。人の認識を狂わせる姉。どちらか片方でも十分に恐ろしいのに、二人がかりとなるといくら腕が立とうが、まるで関係がない。


「ねぇ、ねぇ、ヒルダ、次は右足にする? 左足にする?」


 そう言って、ミリィがヒルダを振り返ると、彼女は頬を上気させて、切なげにももをすり合わせていた。


「ねぇ……ミリィ……もう我慢できないよぉ、早く……よぉ」


「はぁん……ヒルダにそんな顔されると、私もしたくなってきちゃうよぉ。じゃあ、ちょっと待っててね」


 ヒルダが濡れた瞳でミリィを見つめ、ミリィも頬を赤らめて熱い吐息を漏らす。二人がその身に宿した呪いは、互いへの過剰な愛。二人にとって、お互いの存在以外は正直どうでもいいもの。暇つぶしの道具でしかない。


 だから、二人は誰にも人見知りはしない。


 だからこそ――潰してしまうことにも躊躇がない。


 ミリィが上気した顔を向けると、ベルモンドは怯えるように身をよじった。


「助け……てく……れ」


「虫は喋らない」


「ねぇ、はやくぅ……」


「ほら、ヒルダが待ってるから、あっさり死んでね」


 ゆらりと振り上げられる武骨な鉄の塊。巨大な肉切り包丁ブッチャーナイフがベルモンドの上へ影を落とす。その刃から滴り落ちた血が、ベルモンドの額に紅い水玉模様を描いた。


「む、むしじゃなくて、き、きし……」


 実に憐れなことに、そんな間の抜けた一言が、彼の最後の言葉になった。




 ◇ ◇ ◇




「はいはい、お邪魔しますよっ、と」


 騎士団宿舎の門、その扉をそっと押し開けて、相変わらず緊張感の欠片もない顔つきをした衛士見習いの少年が、敷地の中へと足を踏み入れた。


 そして彼は途端に、げっそりした表情で「うわ…………」と、声を漏らす。


 全く想像していなかった訳ではないが、そこに広がる光景は、彼の予想を遥に超えて酷かった。立ち込める濃厚な鉄分の匂い、血の匂い。庭先はもはや血の海である。ペンキをぶちまけたかのような赤い液体が、沼沢地帯の無数の小沼のように血だまりを造っている。門の周囲に灯されたわずかな篝火かがりびの薄明かりだけで、はっきりと分かる地獄絵図であった。


「まったく……遠慮ってもんはねぇのかよ」


 見回してみても、そこにあるのは血の跡だけ。死体の一つ、肉片の一つ、剣の一本ですら転がっていない。我関せずと噴き出し続けている噴水の水音だけが、やけに大きく響いていた。


「喰っちまったってことなんだろうな。まったく、『食人鬼マンイーター』ってのは、随分、悪食あくじきな野郎だな、おい。……まさか、俺の獲物まで喰っちまったなんてこたぁねぇだろうな」


 ぶつぶつと呟きながら、器用に地面に広がる血を避けて、イルは宿舎の建物へと足を踏み入れる。


 エントランスホール。そこに広がる光景を目にして、彼は再び呆れ顔で肩を竦めた。


「まったく……お前ら、かよ」


 カンテラの薄灯りの下、石畳の床、その継ぎ目を紅い血が描き出している。その真ん中、挽肉が敷き詰められた床の上では、半裸の双子が血に塗れながら、互いの身体に指を這わせ、唇を貪り合っていた。


「ミリィ……大好き」


「うふっ、わたしもぉ……すきぃ」


 二人はイルのことなど、気にかける素振りもない。この二人はいつもそうだ。まったく目のやり場に困る。


 互いを貪り合う双子を置き去りにして、やれやれとばかりに肩を竦め、イルは宿舎の奥へと歩みを進めた。

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