第64話 姫殿下の暗殺者 その2

夜の住人ノクターナル


 押し殺したような声。


 イルのその一言に、サイクスは一瞬、目を丸くした後、静かに目を閉じた。


「……なるほど、聞いたことはある。正体不明の暗殺者集団だったな」


「そういうこと。外の連中は、みんな仲良くさようなら。すぐにアンタもさようならって訳さ」


「君はこの私をれると、本気でそう思っている訳だな」


「わけもねぇ」


 サイクスは、その視線をイルの頭のてっぺんから足の先へと、ゆっくりと移動させる。


 見れば見るほどに冴えない少年である。体つきは華奢で、顔つきにも凄みはない。その上、くすんだ金色の髪が見すぼらしさに輪を掛けている。目は濁り切って、年相応の生気も感じられない。


 だが、こういう目には見覚えがある。色んなものを諦めてきた者の目だ。サイクス自身も貧民街の生まれなだけに、こういう目をしたヤツは身の回りにゴロゴロいた。そして、そのほとんどが大人になる前に死んでいった。


 サイクスは思う。


 だから怖い、と。


 こういう目をしたヤツが死なずに生き延びたら、化け物になるのだ、と。


 この貧相な見てくれでは、きっと誰もが、この少年をあなどることだろう。自分だってそうだ。王宮で姫殿下がこの少年を連れているのを目にした時には、彼女の見る目の無さを、胸の内で嘲笑あざわらったものだ。わざわざ、この少年に目を掛けるような言い方をしたのはグレナダへの当てつけ、それ以上でもそれ以下でもない。


 実際、この少年に見るべきものは何もない。どう見ても膂力りょりょくや身のこなしは人並み以下、何も警戒するようなことはない。少なくともその時は、そう思っていた。


 だが、こうやって対峙してみれば、はっきりと分かる。この人並み以下の弱弱しさこそが、この少年の生きる術。言うなれば疑似餌ぎじえのようなものだ。あなどって喰いついたが最後、暗器か毒か……なんらかの真面まともならざる手段が牙を剥いてくることだろう。


 実際、騎士団の団長である自分と一対一で対峙しておきながら、この余裕。状況を思えば、この少年の言うことにハッタリが含まれているとは思えない。この少年は、本当に訳もなくサイクスを殺せる。そう考えているのだ。


 サイクスは「フッ……」と、どこか自嘲するように鼻で笑うと静かに剣を下ろし、怪訝けげんそうに眉をひそめるイルを見据える。


「一つ聞こう。君はこの国のあり方をどう思っている?」


「はぁ? どうとも思っちゃいねぇが?」


「凡愚な王の下、貴族に生まれついたというだけで権勢を振るう愚か者ども。庶民たちに与えられる機会はごくわずかで、愚かな貴族がバカ面下げて飽食を尽くすかたわら、路地裏ではなすすべもなく飢えて死ぬ幼い子たちもいる。君は理不尽だとは思わんかね?」


「だから、テルノワールにくみするってのか?」


 イルが興味なさげにそう言い放つと、サイクスは思わず眉根を寄せた。


 なるほど、この少年は本当に全てを知っているらしい。


「テルノワールか。あれは理想には程遠い。王政を倒し庶民の手に政治を取り戻したとうそぶいてはいるが、結局一部の連中が権力を奪い取っただけ。王から、反乱を主導した者たちに首がすげ変わっただけで、本質はなにも変わってはいない」


 そこでサイクスは一旦話を区切って、イルを見据える。


「だからこそ、には丁度良いのだよ」


「踏み台?」


「そうだ。血筋の貴さに意味はない。王の血筋などなくとも国は成立する。それを示してくれただけで、あの国には十分に価値がある。ただ、それが周辺の国にすぐに倒されたとあっては、元の木阿弥にしかならん。手を貸し、ながらえさせる必要があるのだ。だが所詮は衆愚の政治。すぐにほころびが出るのは言うまでもない。あとは正しく国を導くことの出来る、真に能力のある者が王の役割を担えばいい」


「それがアンタだとでも?」


「そうだ。庶民から自身の才覚だけで成り上がったこの私の他に、その役割を誰が担える」


 イルは呆れたとばかりに肩を竦める。


「自意識過剰って言うんだ、そういうのは」


「ははは、確かにそうかもしれん。そう見えるかもしれん。そう思ってもらってもかまわん。だが、私はこの国を変える。貧しい者を救い、正しいまつりごとを行う。そのために、私は右腕を欲しているのだ。それにはキミのような人物こそうってつけだと思うのだがな。どうだ?」


「は?」


 唐突に話の流れが変わったことに、イルは思わず片眉を跳ね上げる。


「キミもおそらく報われない人生を送ってきたのだろう? 日々の生活に追われ、理不尽に搾取され、自身の力の無さに、血がにじむほどに拳を握り締めてきたはずだ。口にせずともわかるさ。キミはそういう人間だ。目をみれば分かる。我々は同じだよ。いわば理不尽なまつりごとの犠牲者だ。私とともに、この人生に復讐してやろうではないか!」


「あのなぁ……なんども言わせるなよ。金はもう支払われちまってる。アンタはもう境界線の向こう側に立ってんだ。それに馬鹿にし過ぎじゃねーか? そんな見え見えの餌に釣られるヤツなんかいねーぞ、流石に」


「馬鹿にしているつもりはないのだがね。金か? いいだろう。金なら君の望むだけ支払ってやる。それとも女か?」


「女は勘弁してくれ……」


 イルは思わず渋面になって、うめくようにそう口走る。積み残している諸問題を思い出してしまったのだ。この後、家に帰れば、それが彼を待ち受けていることも。

 

「ははは、女は苦手か。なにも別にグレナダのような者ばかりではないぞ……。ああ、なるほど。だから君は姫殿下にご執心なのか。あの幼い姫さまなら、いきなり君を怒鳴りつけたりはせんからな。隠さずともいい。嗜好は人それぞれだ。幼い娘しか愛せぬというなら、それはそれで否定せぬよ」


「はぁ!? ちょ、ちょっと待て! て、てめぇ、何勘違いしてやがる!」


 いきなりロリコン認定されれば、流石にイルも慌てる。それは人聞きが悪すぎる。だが、思わず声を荒げるイルをよそに、サイクスは独り納得したような顔で頷いた。


「では、まずは君を姫殿下付きの騎士として陛下に推挙しよう。どうだ、姫殿下の騎士だぞ! 四六時中一緒にいても誰にも文句は言われん。そして私がこの国の王になった暁には、彼女を君にめあわせようではないか。世間体が気になるというのなら、私に無理やり押し付けられたことにしてもらっても構わんぞ」


「あのなぁ……」


 これには流石に呆れるしかない。イルは肩を竦めて天井を見上げる。だが、再びサイクスへと視線を戻したその瞬間――


「……ッ!」


 イルは思わず息を呑んだ。サイクスの秀麗な顔、その口元には不似合いにいやらしい、酷薄な薄笑いが張り付いている。やべぇ! イルの背筋にゾワッと冷たいものが走った途端、彼の足下で、ガタン! と、音が響いて石畳が割れ、奈落が口を開けた。


 サイクスには知る由もないこと。


 だが、偶然にも彼は暗殺者『最悪イルネス』の弱点を突くことになった。


 落ちるという状況と死は必ずしも直結しない。受動的発動パッシブは、時間を遡れない。地面に叩きつけられ、結果として死に直面したとしても、その直前の『落とす』という行動にさかのぼって因果を入れ換えられない。


 その間の、わずか一秒の断絶を越えられないのだ。

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