第2話 夜の住人(ノクターナル)
北の果て、永久凍土の国に発する大陸公路は
とはいえ、街道の尽きる南北二つの国は寒さと暑さの違いはあれど、いずれも過酷な環境におかれているだけに、大陸航路の往来著しいのは、その間に挟まれた小国ばかりではあるのだが。
ここでいう小国とは、北からネーデル、カルカタ、フロインヴェール、ミラベル、テルノワール、ゴア、ベスピオの計七つ。中でも、フロインヴェール、ミラベル、テルノワール、ゴアの四つは肥沃な黒土の上に成立し、農業と大陸公路を中心とした交易によって発展した類似の文化を持つ国々で、これら四つを併せて『豊穣の四姉妹』と称することもある。
しかし、この四姉妹には現在、不穏な姉妹喧嘩の兆しが現れ始めていた。
つい数か月前のことである。
テルノワールで工業組合と徴税官との小競り合いに端を発して暴動が勃発。すぐに鎮圧されるだろうという大方の予測を
王制の国々のど真ん中に、突如として現れた共和制国家。隣国の王族にとって心穏やかなはずも無く、ミラベル、ゴアの二国はすぐさまテルノワールに出兵。良く言えば慎重、悪く言えば優柔不断な王を頂点に戴く、ここフロインヴェールだけが
そんな
大陸公路に面した東側の門のすぐ脇にある衛士の詰所。そこには腕組みをした屈強な男の前で、しゅんと
男は恐らく三十代半ば。人間よりもやや熊に近い凶悪な人相の大男だ。
その前で
「イル、お前を推挙した俺の身にもなってくれ」
「……はい、すみません」
窓から差し込む夕陽が部屋の中のあらゆるものの影を濃く描き出し、石作りのフロアの上で小さく縮こまる少年の影がおずおずと頭を下げる。
「ガスパーはなぁ、そりゃあ優秀な衛士だったんだぞ」
「……はい、わかってます」
「ガスパーが死んじまって、お前が家計を支えなきゃならんというから、なんとか上に掛け合って衛士見習いとして
「……オヤッさんには、感謝しています」
オヤッさん――この衛士団の団長を務めるボードワンは、水差しからコップへと水を注ぐと、それを一気に
説教もすでに半刻を越え、とばっちりを恐れた他の衛士たちはさっさと帰ってしまった。
同僚たちが帰っていくのを目にして、イルがそろそろ説教も終わるのではないかと、淡い期待を顔に出してしまったのは
「今日だけじゃねぇ、毎朝、遅刻した上に研修の座学じゃ居眠り、哨戒任務に当たらせてみればさぼってやっぱり居眠り、挙句の果てに訓練で模擬戦やらせてみりゃあ、剣を放り出して逃げ出す始末。おめえこりゃあ、一体どういう了見だ」
ボードワンの怒りに釣り上がった
「全く、お前は今のこの国の状況が分かってんのか?」
「わ、分かってますとも」
そうは答えはしたものの、イルの目は明らかに泳いでいる。ボードワンは少年をジトッとした目で見据えながら、ドスの利いた声で問いかけた。
「言ってみろ」
「えっと……ミラベルとゴアから、テルノワールへの出兵を求められています」
「それから!」
「そ、それから……。テルノワールからも救援要請を受けています」
「そうだ、国王陛下がどっちにつくかを決められたら、すぐに戦争に突入することになるだろうな。その時、俺たちは最前線で戦うことになる」
イルはちゃんと答えられた事にホッとして、思わず胸を撫で下ろす。
しかし、ボードワンの質問は、それでは終わらなかった。
「それから!」
「えっ!? そ、それから? えっと、あの、その……」
イルの目が泳ぐどころか、ぐるぐるとまわり始めたのを見て、ボードワンは盛大に溜息を吐き、彼のことをギロリと睨み付ける。
「
「ああ、そう! そうでした!」
「そうでしたじゃねぇだろう! ガスパーを殺ったのも奴らだという噂がある。それを
――
金さえ払えばどんな相手でも確実に仕留めてくれると、二年ほど前からこのサン・トガンの街で噂になっている暗殺集団だ。
人数を含めて何もかもが不明。誰かがその姿を見た訳でも無いのに、どういう訳か出所不明のその噂だけが確実に広まり続けていた。
「でも、『
ボードワンは岩みたいな顔をさらに硬くして口元を引き結ぶと、へらへらと笑うイルを威圧するように睨み付けた。
「奴らは確実にいる。手口はバラバラだが、そう考えねぇと辻褄の合わねえ殺しがひっきり無しに続いているんだ」
「たしか、茶色のカーテンが架かった窓の下で、合言葉を言うんでしたっけ」
「そうだ、それで奴らと接触できるって話だ」
「でもオヤッさん。俺ら毎日、街中を見回ってますけど、茶色のカーテンを架けた家なんて一件も有りませんぜ? もしあったとしても暗殺集団の容疑を掛けられるんだから、そんなのすぐに架け替えますって」
「その噂自体が何らかの偽装なんだろう。茶色のカーテンってのが何かの隠語かもしれねえ。本当の連絡方法が他にあるはずだ」
「他の連絡方法ですかぁ……」
などと神妙に考え込むフリをしながら、イルはいつの間にか話がすり替わって、説教がどこかへとすっ飛んでしまったことに内心ほくそ笑んでいた。
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