第37話 死んだらゴメンね

 にんまりした微笑みを浮かべて、顔を覗き込んでくるリムリム。


 つい今の今までステージでなまめかしい踊りを披露していた踊り子が、声援に応えるのを切り上げて、一人の男のところへと歩み寄っていったのだ。それはもう、ただ事ではない。


 周囲の客の好奇とやっかみの視線が、イルにザクザクと突き刺さる。優越感を感じるかって? 冗談じゃない。これだけでも十分な嫌がらせだ。――にも拘わらず、リムリムは椅子を引き寄せると、イルの隣にぴたりと寄り添うように腰を下ろした。


「お、おい、馬鹿野郎、何考えてやがる。くっつくなってーの!」


「なによ、良いじゃない。つれないわねぇ」


 香水でも振っているのか、踊り終えたばかりで熱を持った肢体したいから、ふわりと甘い香りが立ち上ってきて、鼻の奥がムズムズした。


「あ、あのぉ……イルくん、ど、どういったご関係でスか?」


 盛大に目を泳がせながら、ターリエンが問いかけてくる。その表情は半ば放心状態、心なしかチョビ髭もしなびて見えた。


「え、えーっと、その……」


 はっきり言って、この状況はマズい。かなりマズい。このチョビ髭親父がおかしな勘違いをして、純情をこじらせたら、勤務評価アップどころか、明日からの俺へのイビリが酷いことになる。


 イルは、慌てて口から出任せを並べ立てる。


「ははは、やだなぁ! リ、リムリムさんってば! いたずら好きなんですから! 何日か前にやくざ者に囲まれて困っていたあなたをボードワンのおやっさんが助けた時に、たまたま! そう本当にたまたま近くにいたってだけで、ほぼ初対面のぼ、僕にまで、こんないたずらをしかけてくるなんて、ほんと、お、お茶目ですよねー!」


「なに、そのキモい喋り方? 熱でもあんじゃないの?」


 怪訝けげんそうな顔をするリムリムに、イルは声を潜めて凄む。


「うるせぇ、いいから話を合わせろ!」


 そう言ってちらりとターリエンの様子を窺うと、「なるほど、そういうことでスか。おかしいと思ったんでスよ」と、うんうん頷いている。


 周りの連中もあっさりとこちらへの興味を失って、店の中は元のがやがやとした賑わいを取り戻した。


 そりゃそうだよねー。あんなやつがモテる訳ないよねー。


 そんな雰囲気があからさまに広がって、狙い通りだとはいえ、イルはどこか腑に落ちないものを感じた。


(こいつら……)


「コホン、ところで、イ、イルくん。こ、こちらの可憐なお嬢さんに私を紹介してくれまセンかね」


「あ、はい。そ、そうでしたね」


 ソワソワと、しきりに目配せしてくるターリエンにうんざりしながら、イルはリムリムへと向き直る。


「リムリムさん、紹介します。こちらのダンディーな男性は俺……いや、僕の上司のターリエンさんです」


「……どーも」


 リムリムは気のない返事をする。


(おい、こら! クソビッチ! その態度はねぇだろうが! みろよ、ちょっと凹んだ顔してんじゃねーかよ!)


 こりゃマズいとばかりに、イルはリムリムへとまくし立てる。


「ターリエンさんはね。気は優しくて、剣の腕も指折り。衛士たちの信頼も厚く、将来の出世も間違いなし! 衛士みんなの憧れなんですよ!」


「ははは、イルくん、持ち上げすぎではないでスかな、ははは」


 あっさり機嫌を良くして胸を反らすターリエンに呆れながらも、イルは更に言葉を重ねる。


「いやいや! 持ち上げすぎだなんて、とんでもない! ターリエンさんの偉大さは、こんなんじゃ表現しきれませんって。昨日だって僕と一緒の警邏中、男の中の男、ターリエンさんはたまたま出くわした暴漢どもを千切っては投げ、千切っては投げの大活躍。それだけじゃありませんよ。詰所への帰り道、泣いてる迷子を見かければ、手を引いて一緒に母親を探してやる。強くて優しい男の中の男、ターリエンさんの男気は、この大陸を駆け巡る勢いですぜ」


 片っ端から作り話だが、ターリエンは気をよくして更にふんぞり返る。


「ははは、ま、まあ、そんなこともないわけではないでスけどね」


 だが、リムリムの反応はというと……。


「へー」


(へーじゃねぇよ、クソビッチ!)


 イルは胸の内で地団駄を踏む。


(そこは「すっごーい!」とか言って愛想の一つもふりまくところだろうが! 空気よめ! 空気を!)


「あれ? でも昨日ってさ、アンタ、警邏サボって帰ってきて、妹を抱き枕にして昼寝してたんじゃなかったっけ、たしかシアがそんなこと言ってたよーな?」


(空気よめっっっっつてんだろうが!!)


 おもわず絶叫しそうになるイル。


(っていうか、シア! アイツ、なにチクってんの!? 妹を抱き枕にしてとか、人聞き悪すぎるだろうが! あれはアイツが勝手に寝床に入り込んできただけだ!)


 だが……時すでに遅し。賑わっていたはずの店内がしーんと静まり返って、そこら中から「シスコン」だの「犯罪者」だのというヒソヒソ話が聞こえてくる。


 イルが思わず、項垂うなだれるように目を向けると、ターリエンのこめかみに青筋が走っているのが見えた。


 お怒りでらっしゃる。マズい。これは非常にマズい。


「いや、違った! ターリエンさんと一緒に警邏に出かけたのは一昨日、一昨日だったわ! 警邏の途中で昼寝? そんなことするヤツいる訳がありませんって! 妹を抱き枕? 馬鹿言っちゃいいけません。そもそも妹なんて、口うるさいばっかりでうっとおしいったらありゃしないんですから!」


 なんとか取り繕おうと必死のイル。


 だが、リムリムの反応はというと――


「そんなことよりさ」


(そんなことより……じゃねぇええええ!!)


 ちらりとターリエンの方へ目を向けると、ぶっ殺してやると言わんばかりの目でイルの方を睨んでいる。その瞬間、ここからどうやって立て直すかと、イルの心の中で、本日何度目かの対策会議が開催された。


 だが、会議は踊る。されど進まず。


 あれ? これ、もう無理じゃね?


 わずか数秒で、そんな結論に辿り着きかけたところで、リムリムがじっとイルのことを見つめていることに気が付いた。


「次に会ったら、確認したいことがあったのよね」


「な、なんだよ」


 上気して朱に染まる頬、潤んだ瞳、切なげな視線。


「これでも、随分悩んだんだよ。アタシ……こんな気持ちになったのって初めてで……さ」


「な……」


 その色っぽさに思わず絶句するイル。急激に身体が熱くなって、心臓が跳ねまわる。


 そして次の瞬間――――


「死んだらゴメンね」


 リムリムはそう耳元で囁くと、いきなりイルの首筋に手を回し、その唇に自らの唇を押し当てた。

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