第111話 俺は決して――
もはや、オリガに構っている場合では無い。
「お
イルが言葉を選びながらそう告げると、子爵は彼の方へと向き直り、ギロリと剣呑な視線を向ける。子爵家本邸で面談した時とは、似ても似つかない異常なまでの迫力。恐らくこれが武人としての彼の本来の姿なのだろう。怒鳴りつけられるかと思わず身構えたイルに、子爵は静かに一言、こう告げた。
「知っておる」
「え……?」
「姫殿下が生きておられることも、今、どこにおられるかも、全て知っておる。そう言っているのだ、婿殿」
「なら……!」
「だからこそ! だからこそ、誤魔化す訳にはいかぬ! 王家への忠誠を果たし、且つ、我がドレスデン家を
「何言ってるか、さっぱりわかんねぇぞ! このクソ親父!」
もはや言葉遣いを気にしている場合ではない。思わず声を荒げるイル。だが子爵はそれを見据えて、押し殺したような声で告げた。
「庶民の貴様には分からぬだろうな。姫殿下を弑逆した娘を、父がその手で成敗したという形にせねば、国王陛下も矛を収める訳にはいかぬ。ましてや、全ての罪を姫殿下に押し付けることなど出来るはずがあるまい。あの方は何も悪くないのだからな。たとえ受け入れることは出来なくとも、あの方の苦しみを、あの方の哀しみを、この私が受け止めぬ訳にはいかんのだ」
「アンタ、自分が何言ってるか分かってんのか? 王家がそう言やぁ、どんだけ理不尽でも死ぬってのかよ!」
「それが貴族というものだ」
「馬鹿げてる!」
思わず鼻白むイル。そんな彼の前に、グレナダが静かに歩み出た。
「お、おい、グレナダ」
戸惑う彼を振り返って静かに微笑みかけると、グレナダは父親へと向き直る。
「父上……私は死なねばならぬのですか?」
「死なねばならぬ」
「旦那さまはどうなのです?」
「お前と私が死ぬことで、ドレスデン家を存えさせようとしておるのだ。守ろうとしているもの。そこには当然、婿殿も含まれている」
すると、グレナダは小さく頷いて、イルの方を振り返った。
「すまん、旦那さま。やはり私はドレスデン子爵家の娘なのだ。王家への忠誠、そのために身を投げ出せと言われれば、従わぬ訳にはいかぬ」
「はぁあ!?」
これには、イルも流石に目を剥いた。
「ちょ、ちょっと待て! アホか、狂ってんのか、てめぇ!」
「狂ってる? ふむ、そう見えるかもしれん。いや、実際そうなのかもしれん。だが、それが我々貴族という生き物なのだよ、旦那さま。王が望めばその命さえ捧げる。むしろ、笑って自らの命を捧げられることにこそ、我々は名誉を見出すのだ」
グレナダは静かに微笑みを浮かべる。それは華やかな表情とは裏腹な、どこか無理のある、寂しげな別れ際の笑顔。
「旦那さま、最後にお前と想いを交わせて、私は幸せだった。私は愛されたのだと胸を張って死んで行けるのだからな。もう、お前は自由だ。私以外の誰かを愛したとしても決して恨みはせぬ。だが、ほんの少しでいい。ほんの少しで……良いんだ。時々、私のことを思い出してもらえるなら、私は……それで満足だ」
グレナダはそう言って父親の傍へと歩み寄ると、その足元に
「お前のような娘を持てたことを誇りに思う。我が娘よ! お前の名は汚名に塗れることになるが、許せ。お前の首を王宮に届けたらすぐに私も後を追う」
父親は静かに目を閉じる。沈黙、ただ激しく地面を打つ雨音だけが、世界を包んだ。
なんだこれ? なんだこれは? 名誉のために、家を護るために、父親が娘を殺す? バカな、そんなバカなことがまかり通るのか? グレナダになんの罪がある? この女にどんな非がある? 俺はこの女を失うのか? なんで? どうしてこうなった?
イルの頭の中を、疑問符付きの言葉が埋め尽くしていく。胸が苦しい。雨は激しさを増し、しとどに濡れた髪の先を伝って、目の前を滴り落ちていく。呆然と立ち尽くすイルを、彼女の父親が蔑むようなそんな目で、ちらりと見た。
そしてその瞬間、イルは悟った。
――そうか。元凶は俺か……。
これはイルに掛けられた呪い。イルがその身に宿した呪いが殺す相手を欲して、恐ろしく回りくどい手段を用いてお膳立てした結果なのだと。そのために彼女と、その父親の運命を捻じ曲げられたのだと。
そう思い至った途端、イルは思わず膝から崩れ落ちそうになった。耳元で、誰かがけたたましく嗤っている。そんな気がした。背後で……運命というヤツが薄笑いを浮かべている。そんな気がした。呪いってヤツが、期待に満ち満ちた目でイルを見下ろしている。そんな気がした。そしてそいつらはイルの耳元にこう囁く。
――お膳立ては済んだ。お前はここから逃れられないのだと。
「さらばだ、グレナダ。我が娘よ!」
父親が大剣を振り上げ、その刀身を雨水が滴り落ちていく。そしてそれが振り下ろされる瞬間ーー
「グレナダァァァァァァァアアァァァアアアアアアアッ!」
イルは彼女に覆いかぶさるように、その身を投げ出した。
イルは胸の内で、呪いに、運命に、剣を突きつける。
良いだろう。俺を
だが――
俺は決して、
この女を死なせやしない。
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