第14話 蛇と少年

 朝の歓楽街はどこか物悲しい。


 夜が明けてしまえば、見たくも無い薄汚れた景色が顔を覗かせる。楽しげな笑い声、妖艶な女達の媚態びたい。それも全てエールの泡とともに消え去って、白日の下に一夜の夢のむくろを晒す。


 えた臭いのする細い路地を通り抜けて、イルは歓楽街の奥、一軒の建物の前で足を止めた。この辺りでは一番大きな建物。二階の窓からは紫色の垂れ幕がぶら下げられていて、この建物が何なのかを通りに向けて示している。


 イルは今、娼館の前にいる。この店を根城にしている男に会うために、ここへと足を運んだのだ。


 入口のすぐ脇には、背を丸めた男が地面の上に胡坐あぐらを掻いて座り込み、欠伸あくび交じりに両手を突き上げて伸びをしている。


 イルが近寄ると男は寝ぼけたような声で、「もう、店じまいだぜ」と言った。夜の仕事を生業とするものにとっては夜の続きに朝があり、朝は一日の始まりでは無く、終わりなのだ。


「ヒルルクさんに会いに来たんだけどよぉ」


 その言葉に男はハッと顔を上げ、品定めするような目でイルの事をジロジロと見つめる。


「ボードワンのとこの若い者が来たって、取り次いでやっちゃあくれねえか?」


 そう言ってイルが小銭を投げ渡すと、「ちょっと待ってな」と吐き捨てるように言って、男は建物の中へと入っていく。そしてしばらくすると正面のドアを内側から小さく開きながら、あごをしゃくってイルを中へと招き入れた。


 男の後について一番奥へと案内され、促されてイルが自分の手で扉を開けると、目に飛び込んで来たのは赤い絨毯が敷かれた豪奢な部屋。ソファーには両手でそれぞれ派手な女の肩を抱きながらふんぞり返るヒルルクの姿があり、壁際には今にも襲い掛かってきそうなヤバい目つきの男たちが、ずらりと並んでいるのが見えた。


「アッシの前に顔だすたァ、いい度胸してるじゃないですか。この間はアッシの邪魔しようとしてたように見えたんですけどねぇ」


 ヒルルクが薄笑いを浮かべながら口を開くと、イルは特に慌てる様子もなく、言葉を返す。


「邪魔するなんてとんでもねぇ。オレも仕事ですンでね。一応抵抗したフリぐらいしておかねえとオヤッさんにドヤされますんで。まあ、あの時は見知らぬ優男が乱入してきちまったんで有耶無耶になりましたけど」


 ヒルルクは口の中でククッと小さく笑いを転がす。


「まあ、女を楯にしてたぐらいですからね。アナタが相当なクズなのは一目でわかりましたけど」


「そいつはどーも」


 ヒルルクとイルのそのやり取りに、壁際の男達は一斉に笑い、イルも思わず愛想笑いを浮かべる。しかし――


「で、用ってのは、トルクの野郎のことでさあ」


 イルがそう話を切り出した途端、ヒルルクは笑顔のまま固まって、壁際の男たちが瞬時に色めき立った。敵意塗れの無数の視線に射抜かれながらも、イルは平然としている。


「坊主、アンタ……何を知ってやがるンです」


「いやぁ、なんとか俺も一枚噛ませて貰らえねぇかなーなんて思いましてね」


 ヒルルクに値踏みするような眼を向けられながら、イルは冗談めかして話を続ける。


「あの強情な娘を追い込む為とはいえ、トルクを使ってあの屋敷を抵当に入れちまったんなら、ずいぶんな金になったんじゃねえかなと、そんならちょっとぐらいは、おこぼれの一つにもあずかれやしねえかなーなんてね」


 イルがニヤリと笑うと、ヒルルクは緊張を解いて呆れたような顔をする。


強請屋ゆすりやですか……」


「まあ、衛士の安俸給じゃやってけないんでね。じゃの道はヘビっていうじゃないですか、蛇のサーペントヒルルクさん」


 ヒルルクは少し不愉快そうに眉をしかめる。


「残念ですがね、ウチには一銭も入っちゃいねえンですよ。トルクの野郎が金持って逃げちまいやがったんでね」


「あらま、ヒルルクさんともあろうお方が、素人に出し抜かれたんですかい?」


「テメエ、調子に乗るんじゃねえぞ!」


 イルの嘲るような調子に周囲の男達が激高して声を上げると、ヒルルクがそれを手で制する。


「お恥ずかしい話ですがね。奴にはお嬢さんを奴隷としてくれてやることになってたんですが、金を目にしたら欲の皮を突っ張らせたらしくてねぇ。あのお嬢さんにスゲエ執着してやがったんで、裏切りやしねえと思ったんですがね」


 気に入った女を手に入れるために、こんな連中とまでつるむぐらいだ。確かにそう簡単に諦めるはずが無い。


「ってなわけでね。残念ですが強請屋ゆすりやさん。アナタにくれてやれるのは、精々せいぜいなげきの川の渡し賃ぐらいのもんです」


 ヒルルクが芝居がかった調子でそう言うと、男たちが一斉に短刀ナイフを取り出してイルの周りを取り囲み、ヒルルクの両脇の女たちが、きゃっきゃと楽しそうに歓声を上げた。


「へえ……俺みたいな小物に、コイツはえらい大層じゃねえですかい?」


 イルがあっさりとさやごと自分の剣を床に投げ出して両手を上げると、ヒルルクは拍子抜けしたような表情を見せた。


「オイオイ、まさか抵抗する意気地もえとはね。衛士がこの調子じゃ、この国の未来が不安になりますね」


「心配にやぁおよびません。俺ァ衛士の中じゃ味噌っかすなんでね。他の連中は結構、ちゃんとしてますから」


 ヒルルクは少し面白がるような表情を見せた後、すぐ傍の男に顎をしゃくって言った。


「部屋をこんなゴミの血で汚されたかァねえですからね、裏の方で始末しといてくださいな」


「オラッ、外へ出ろ!」


 男に肩口を突き飛ばされるようにして、部屋から廊下へと連れ出されたイルは、ナイフを突きつけられながら裏口を通り、薄暗い路地裏へ。扉の開く音が狭い路地裏に反響すると、たむろしていた猫たちが勢いよく逃げ出すのが見えた。


「まさかねぇ、こんなに速攻でりにくるとは思わなかったなぁ、取り付く島もありゃしねえ」


 イルのそのボヤきに、背後の男がケヒっと喉の奥で嗤う。


「同情ぐらいはしてやるぜ」


「そいつはどーも」


 投げやりな調子でそう口にした途端、男は背後からイルの心臓めがけてナイフを振り下ろした。

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