第122話 グレナダ、惚れ直す。

 耳の早いユーディンの話によれば、大聖堂の門前町、酒場のオープンテラスで、男女の変死体が見つかったらしい。変死体といえば大抵、夜の住人ノクターナル絡みなだけに、イルだって少しは気になる。


「北門の連中、碌に調べもしなかったらしいぜ」


「ま、そりゃそうだろうよ」


 大聖堂の周囲は北門衛士団の管轄。詳しいことは分からないが北門の連中は、昨日はそれどころではなかったはずだ。なにせ、王家の宝物庫に押し入った賊が、そっちに逃げ込んだというのだから。


 結局、賊は見つからず、その変死体は首に風穴が空いているにも関わらず、男女の行き倒れとして適当に処理されて墓場に直行。素性も分からないままに埋められたらしい。


 訓練終わりの衛士団詰所。貴族上がりのユーディンとそんな話をしながらイルが帰り支度を続けていると、ターリエンが満面の笑みを浮かべて近寄ってきた。


「……なんスか?」


「カンパを集めているンです。アナタも一口、いや、もうお貴族さまなんでスから、お金はあるでショ? 十口ぐらい乗ってくだサいな」


「はぁ? なんのカンパです?」


「クリンスマンの奥さんにお渡しするンですよ、これからユラさんは女手一つで二人の子供を育てていかなきゃならないンですから、我々も少しは手助けしてあげないと……」


 すると、イルは途端に仏頂面になって、こう言い放つ。


「ヤですよ」


「は?」


「ヤダってんです」


「ア、アナタねぇ!」


 ターリエンが思わず声を上げかけると、傍で話を聞いていたグレナダが、チョビ髭親父を押しのけて割って入り、声を荒げてイルに喰ってかかった。


「旦那さま! いくら何でもそれは薄情ではないか! クリンスマンは同じ釜の飯を食った仲間であろう? あやつの無念と、奥方の哀しみを考えてみろ! 我々が何かしてやろうというのは当然ではないか!」


「知らねぇよ。お仲間ごっこで気持ちよくなりてぇんだったら、自分たちだけでやってくれ。俺を巻き込むんじゃねぇよ、バーカ」


「な! バカとは何だ! バカとは! 旦那さま、見下げ果てたぞ! 言って良いことと悪いことがあるだろうが!」


「見下げ果てたもなにも、最初から俺はクズだっての。じゃあ聞くがよぉ、おめぇら、この先、クリンスマンの嫁と子を、ずっと養っていってやれるってのか?」


「それは……」


「ほれみろ」


 口惜しげに唇を噛み締めるグレナダと、軽蔑の眼差しを投げかけるターリエン。ユーディンはやれやれと肩を竦める。そんな三人を一瞥して、イルはつまらなさげに、衛士団詰所を出ていった。



 ◇ ◇ ◇



「……という訳なのです」


 グレナダは、テーブルを挟んで座るアストレイア姫に、心底落ち込んだ表情でそう語った。


 今日は衛士団の勤務が終わったら、姫殿下の下へ立ち寄るように指示を受けていたのだ。なにやら話があるのだと。


「確かに彼はクズなどと呼ばれておりましたが、悪ぶっているだけ、根は善人なのだと、優しい男なのだと、そう信じておったのですが……私の目は節穴だったのでしょうか」


 すると、姫殿下はどういう訳か、さもおかしげにクスクスと笑いだした。


「うふふ、本当にイルらしい」


「笑いごとではありません」


「じゃあ、グレナダはどうするのかしら? 離婚しちゃいます?」


「まさか! ……ですが、旦那さまがあの調子では、この先ちゃんとやっていけるのかと、いささか不安にもなります」


「不安? 良いですか、グレナダ。結婚する前は、両目を見開いて相手を見極め、結婚したら、片目を瞑って相手を見るべきだと申します。気に喰わないことも出てくるでしょう、それも人間です」


「はぁ」


 グレナダは戸惑うような表情を浮かべる。アストレイア姫、わずか八歳。そんな彼女に大の大人が結婚についてさとされれば、そういう顔にもなる。


「それは……そうです。ですが、今回のことは気に喰う、気に喰わないという問題ではなく……」


「ええ、そういう問題ではありませんね。だって、あなたの愛が足りていないのですから」


「はい? わ、私が悪いと?」


「だって、グレナダ。アナタは、彼のことを信じていないんですもの。愛とは信じることの別名。相手のありのままを受け止め、ありったけの想いを注いでいくことこそ愛なのです。相手にこうであってほしいと求めることは、決して愛ではありません」


「な、なるほど……」


 グレナダはごくりと喉を鳴らす。


 繰り返すようだが、アストレイア姫は八歳である。


 実は、このあたりの恋愛哲学めいた話には元ネタがある。


 兄――アラミス公の受け売りなのだ。


 ひと月前の、あのヴェルヌイユ姫の事件は、顔に似合わず繊細なアラミス公の心に実に大きな傷痕を残した。トラウマと言っても良い。父と叔母、二人の姿、その結末を自分とこの幼い妹に重ねて、彼はとてつもない不安に襲われたのだ。


 結果、叔母と同じ轍をふまぬように、無謀な恋愛に走らぬようにと、彼は妹に地に足の付いた恋愛哲学を滔滔と語るという行動に出たのである。


 おかげで週に一度、夕食を共にする時には、アラミス公の恋愛哲学独演会の様相を呈している。


 もう一度繰り返す。アストレイア姫は、わずか八歳。


(八歳児に何を語ってるんだ、アンタは)


 流石に口に出すことはなかったが、夕食時に壁際に控えていた執事とメイドたちは、胸の内では一様にそう思っていた。


 それはともかく。


 思わず考え込んでしまったグレナダ。彼女に微笑みかけながら、姫殿下はこう告げた。


「実は昨日、ここにいらしたんですのよ……彼が」



 ◇ ◇ ◇



 屋敷に戻ってグレナダが居間に入ると、いつも通り、イルはぐにゃりとだらしなくソファーに横たわっていた。


「……旦那さま」


「なんだよ、文句なら聞かねーぞ。もう腹いっぱいだからな」


 そう言って、イルは不機嫌そうに身をよじり、彼女に背を向ける。


「旦那さまよ」


「あーあー何も聞こえねぇ」


 イルのその子供じみた態度に苦笑しながら、グレナダはソファーに横たわる彼の上へとしなだれかかった。彼の背中にはりつくように横たわると、彼女はその耳元に囁きかける。


「今日、姫殿下のところに寄らせていただいたのだが、面白い話を聞いたぞ。昨日、目つきの悪い衛士が姫殿下の下を訪れて、メイドを一人、雇ってくれと言ってきたそうだ」


「…………暑い、くっつくんじゃねーよ」


「一介の衛士が姫殿下に願い事など、不遜極まりない話だがな。『子持ちの女が、子育てしながら住み込みで働ける職場を探してるのだと、そこそこちゃんとした、金の出る良い職場を探しているんだ。だから雇ってくれ』と、一方的にそう言い放ったのだそうだ」


「へー、おかしなヤツもいたもんだな、だが、俺には関係ねぇ」


「まあ、我が家で雇うことも出来るのだが、それはそれで気を遣うという判断なのだろうな。もちろん姫殿下にしてみれば、メイドの一人や二人雇うのは訳もないことだ。ユラ・クリンスマンは、明日から住み込みで働くことに決まったそうだ」


「ふーん、だから何だってんだ。俺には関係ねぇって言ってんだろうが」


 グレナダはクスリと笑うと、ソファーの背に顔を埋めてしまったイルを背後から抱き寄せて、わずかに赤くなった頬を摺りつける。


「まったく、おまえは貴族になりきれぬのだな。貴族なら自分の善行は吹聴するものだぞ。それで領民は安心するのだ。ご領主さまは慈悲深いとな。だが、まあいい。そこがいいのだ。そう言うところに私は惹かれたのだ。惚れ直したぞ、旦那さま」


「あーもう、知らねぇ、知らねぇ、目つきの悪い衛士違いだ」


 頑なにソファーに顔を埋めるイルの耳元に、グレナダがそっと囁きかけた。


「残念ながら私は、お前ほど目つきの悪い衛士は他に見たことがない」

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落ちこぼれ衛士見習いの少年。(実は)最強最悪の暗殺者。 マサイ @masaichi

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