第121話 モグリ修道女、深夜の狙撃

「いたかっ!」


「いや、それらしいのは全く……」


「かまわん、怪しいヤツは片っ端からしょっ引いちまえ!」


 怒声にも似た、衛士たちの声が飛び交っている。王都の北西区域、中央教会の大聖堂へと続く門前町。その街中には今、余りにも物々しい雰囲気が漂っていた。


(……ったく、面倒くせーなぁ)


 何が起こっているのかは知らないが、街中をたくさんの衛士たちが駆けずり回っている。今回の標的はただの強請屋ゆすりやだ。危険な相手ではない。出向いて行って一撃加えればそれで終わりのはずなのに、おかげでこんな回りくどいやり方をしなくちゃならない。


 舌打ちしたくなる気持ちを隠しながら女が一人、厳しい顔をした衛士たちの脇を通り過ぎていく。だが、衛士たちに、彼女を気に掛ける様子はない。


 既に深夜と言っても良い時間帯ではあるし、背中には大きな荷物を背負っている。なにより彼女の鼻先には大きな刀傷があるのだ。普通ならば真っ先に呼び止められそうなものだが、彼女は修道衣をまとっていた。ただそれだけだ。修道女シスターが大聖堂へと向かうことに、何の違和感があろうか。


 修道女シスターが大聖堂の敷地内に入ると、門前町の喧噪とは裏腹に、そこはしんと静まり返っていた。


 天を衝く三本の尖塔、堂々たる石造りの巨大な教会。この国で最も高い建造物。ヴィンチェストリア大聖堂。中央教会の総本山たるこの大聖堂は一種の自治区。治外法権なのだ。衛士たちと言えど、勝手に振舞うことは許されない。


「かー、やっぱりでけぇなぁ……」


 後ろに倒れ込みそうになりながらその尖塔を見上げた後、修道女シスターは正面扉の方へと歩みを進める。


 昼間は開放されている正面の大扉も、この時間帯には固く閉ざされている。修道女シスターが大扉の脇にある詰所の扉を叩くと、門衛らしき小男があくびをしながら小窓を開いて、顔を覗かせた。


「今夜は、いつもよりお早いおこ……あれ? 大司教さまがお呼びになった方では……?」


「大司教さま? いえ、私は南辺の小さな村の教会に所属する侍祭じさいにございます。こんな時間になってしまいましたが、思うところあり、神の御許での瞑想を望んでおりまする」


「あー、はい、はい。巡礼の方でしたか。しばしお待ちを。ただいま開けますので」


 小男は詰所から出てくると正面の大扉の脇、通用口の鍵穴に鍵を差し込む。こんな時間だというのに、この小男にいぶかしむような様子はない。


 地方の小さな教会から、巡礼のために総本山たるこの大聖堂を目指してくる信徒は多い。彼の手慣れた様子を見る限り、深夜に到着するケースも少なくは無いのだろう。


 とはいえ、同じ王都にある教会の修道女シスターである彼女のことを、門衛が全く知らないというのはおかしな話である。ましてや、彼女の顔には見間違えようもないような特徴があるのだ。

 

 それもそのはず。彼女がここに来たのは過去に一度だけ、それも修道女シスターになる前の話。彼女を保護してくれた神父さまが生きている頃の話だ。


 実は、神父さまの死後、彼女は勝手に修道衣を着て、勝手に修道女シスターを名乗っている。彼女はモグリの修道女シスターなのだ。


 門衛に促されて扉を一歩入れば、そこは吹き抜けの礼拝堂。ステンドグラスの天窓は高く、壁際に並んだ燭台には溶けた蝋が幾重にも重なり、絶やされることなく火が灯されている。こんな時間だというのに礼拝堂には祈りを捧げる人影がいくつもあり、祭壇のすぐ脇には警護の聖堂騎士が二人、身じろぎ一つせずに立っていた。


「巡礼者の宿舎へは、礼拝堂の奥となります。祭壇の右側の扉へお進みください」


「あの……折角ですので、できれば宿舎に入る前に、鐘楼から夜の王都を眺めてみたいのですが」


「ああ、じゃあ、そっちに階段がありますから。でも……結構大変ですよ?」


 門衛が指さす方へ目を向けると階段があった。それは礼拝堂の内壁沿いに螺旋を描いて上へと伸びている。暗くて上の方までは見えないが、確かに半端な高さではない。


「二千段ぐらいありますから、無理だと思ったらすぐ引き返してくださいね」


「二千段……です、か」


 彼女は一瞬眉をひくつかせた後、門衛に軽く頭を下げて階段の方へと足を向けた。



 ◇ ◇ ◇



「はぁあああっ、やっと着いたぞ! こんちくしょー!」


 修道女シスターはへたりこむようにそこに腰を落とすと、大きく息を吐いて呼吸を整える。顔は汗まみれ、ももはパンパン、産まれたての小鹿のように足がプルプルと震えていた。


 三本の尖塔の真ん中に位置する鐘楼。王都で一番高い建物の天辺てっぺん。二千段の階段を上ってきたのだ。それはへこたれもする。


 標的は特に戦闘能力がある訳でも無いただのゴロツキだ。最初はいつも通り、待ち伏せて仕留めるつもりだったのだが、どういう訳か今夜に限って、街中にはやたら衛士が巡回している。出来るだけリスクを減らすため、彼女はどこから矢を撃ったか分からないように、高いところから狙い打つことにしたのだ。


 おかげで、このザマである。


「なんでアタシがこんな目に……これも全部、衛士どものせいだ」


 彼女の顔見知りの衛士と言えば、一人しかいない。そんな訳でこんな結論。


「『最悪イルネス』が全部悪い」


 とんでもないとばっちりであった。


 こんど、アイツんちに蛇かなんか投げ込んでやろうと、無茶苦茶理不尽なことを考える彼女に、背後から声を掛ける者がいた。


「もう準備、始めちゃっていいのにゃ?」


「ああ、悪りぃな」


 振り返ると、彼女がかついできた荷物の中から一匹の猫が顔を出している。


 青猫である。


 元締めから紹介された時には、「猫が喋ってる!」とお約束通りの反応を返してしまったのだが、よくよく考えてみれば、身の回りの暗殺者たちの方がもっとあり得ない。猫が喋るぐらいのことは、身体中から火を放つ女に比べれば危険が無い分、笑って済ませられるレベルである。


「そういえば、アナってリム姉さんのとこでメイドやってんだっけ……」


 あのプライドの高い女が、リム姉さんに使用人扱いされて大人しくしてられるとも思えない。


 そんなどうでも良いことを考えていると、青猫が頭陀袋から這い出してきて彼女の修道着の袖をくいくいと引っ張った。


「火を入れたにゃ、あっち、見えるにゃ?」


 鉄柵の隙間から下の方を指、もとい肉球(?)を指す青猫。指し示した先には町の灯りに混じって青白い光が一つ、小さく揺れている。


「ああ、見える。結構遠いな、ギリギリだよ」


「今から標的の傍まで移動するにゃ、そっちの準備を始めるのにゃ」


「りょーかい」


 そう言って彼女が頭陀袋から引っ張り出したのは、クォレルの三倍以上もある大弩バリスタ。彼女はそれをてきぱきと組み立てると、地面に座り込んで足に挟み込み「せーの!」の掛け声とともに全体重をかけて、つるを引き金の上端に引っかける。そうでもしなければ、矢をつがえることもできない。


 師匠のお下がりの中でも、とっておきの強弓。その飛距離は最大八百ザールにも達する。


「結構、風があるな……えーとあっちか」


 標的がいるのは、確か十字路を一ブロック先。ここに来る前に、オープンテラスで呑んだくれていたのを確認している。


 彼女は異常なほどに目は良いが、それでも流石に暗闇の中、八百ザールほども先の人間を確認できる程ではない。そこで今回は元締めに相談して、銀猫に協力を頼んだのだ。


 先ほどの小さく揺れる青白い炎はカンテラの灯り。先ほど青猫が言っていた「準備を始める」というのは、そのカンテラに火を入れて標的の傍へと向かうということである。


 青猫と銀猫は記憶を共有している。だから青猫と銀猫、両方からの視点で確認しながら、鐘楼から標的を通過する一直線上にカンテラを設置する。そして、そのカンテラの火を目掛けて矢を射れば、標的の姿は見えなくとも仕留めることが出来るという寸法だ。


 手すりの上に身を乗り出して、大弩バリスタを構える。クソ重い。


(標的に子供がいなかったってのは幸いだ。何の遠慮もいらねぇ)


 青白い炎が動きを止めた。どうやら位置についたらしい。


「準備完了にゃ」


 引き金に指を掛けただけで分かる強弓。反動は大きい。前に撃った時には肩が外れかけたのだ。


(引き金を引いた後のブレも、ちゃんと考慮しなきゃな……)


 片目をつぶって狙いを定める。西風、少し狙いを修正。



 ◇ ◇ ◇



 銀猫はオープンテラスの一番端の席に座り、テーブルの脚の脇、そこにカンテラを置いた。

 

 歩み寄ってきた給仕の女の子にエールを頼み、足で押しやって少しばかりカンテラの位置を調整する。二つ向こうのテーブルでは、鼻ピアスのゴロツキが小太りの女の肩を抱き寄せながら、上機嫌に下品な笑い声を上げている。


 テーブルの上には依頼人から巻き上げたものだろう、銀貨の入った革袋が無造作に投げ出されていた。


「ねぇ、なんで、あんなに衛士の連中ウロウロしてんの?」


「なんか、王家の宝物庫に賊が入ったらしいぜ。まあ関係ねぇ、こちとらな一市民さ。調べられたところで、困るようなもんはなにも持っちゃいねぇんだからよ」


「善良、うふふ、善良よねぇ。くれるってもん貰ってるだけだもん。それにしてもあの女、結構金持ってたわねぇ」


「はっ、まだまだこれからだぜぇ。このためによぉ、高い金払って戦死者名簿を手に入れたんだからな」


「ホント、アンタってば賢いわ。弔慰金だっけ? 戦死者の家族なら間違いなく現金をもってるってのは、最高の目の付け所よ」


「その上、名簿を眺めてみりゃ、俺を牢獄送りにしやがった衛士の名前があんじゃねぇの。クリンスマンってよ。ははは! ざまあねぇアイツ、くたばりやがった。でもそれだけじゃ腹の虫は収まらねぇ。搾り取れるだけ搾り取ってやんなきゃ気が済まねぇ」


「ええ、あの女まだまだ絞り取れるわよ。金払えないなら身を売んなって言ってやったのよ。あの感じなら多分今日か明日にでも売るわ」


「ぎゃははは! そりゃいいや、どこの店か分かったら買いにいってやるか。そいつからふんだくった金でよぉ」


「もー浮気者なんだからぁ」


 普段、感情を表に出さない銀猫ではあったが、二人のこの会話には流石に顔を顰めた。


「下衆……が」


 その呟きとともに銀猫は、わずかにカンテラの位置をズラす。


(苦しむ暇もなく死なせてやるだけの恩情も、こいつらには勿体ない)


 それと前後して、脳裏に浮かぶ青猫の視界の中に、『司祭クレリック』が引き金に指を掛けて、カウントダウンを開始するのが見えた。


 三、二、一。


 次の瞬間、シュッと何かをこするような音、やけに重い音が響いて、足下のカンテラが派手な音を立てて弾け飛ぶ。飛び散るガラス。カンテラの炎の中心を貫いて、地面に突き刺さった矢がビィンとしなった。


 その場にいた酔客たちの視線が、一斉にカンテラの残骸へと集まってくる。だが、その時にはもう、銀猫の姿はそこにはない。わずかに泡の減ったエールが、テーブルの上に取り残されているだけ。


司祭クレリック』の放った矢は、ガラス玉に糸を通すように標的二人の首を貫き、カンテラを破壊した。当初の予定では頭を貫いて即死させるはずだったのだが、銀猫がカンテラの位置をズラしたことで、貫く場所が変わったのだ。


 無論、死は免れない。苦しむだけの時間が、彼らの寿命に追加されただけだ。


 大きく目を見開き、金魚のように口をパクパクさせるゴロツキ夫妻。その場に、何が起こったのかを正確に把握できた者はいなかった。彼ら自身ですらそうだろう。いつのまにやら背後に移動していた銀猫が、二人の耳元にそっと囁きかける。


「地獄へ落ち、ろ」


 ゴロツキと小太りの女、二人は白目を剥いて、だらしない表情のままにテーブルの上へと突っ伏す。


 革袋から零れ落ちた銀貨が、ちゃりんちゃりんと音を立てて、石畳の上に転がった。

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