第115話 好意の原型
クリカラは、新たに仕入れた奴隷たちの値決めを行っていた。
何といっても商売の
彼女は、奴隷の名前と経歴がリストアップされた羊皮紙に、熟考しながら価格を書き込んでいく。クリカラほどの奴隷商ともなれば、そうそう価値を見誤ることもない。だが、彼女は唐突に走らせていたペンを止めて、インク壺の
(さて……これはどうしたものか?)
リストの最後に書かれていたのは、某国の元王族という経歴。単純に高値を付けるのは素人の所業。血が高貴なのは結構だが、こと労働となると王族などクソの役にも立たないのだ。となれば、頭の良し悪し、容姿の善し悪しで、価格は大いに左右される。
この奴隷については、一度面談してみるかと、クリカラが一つ頷いたところで――
「良かったんです、か? 随分凹んでました、よ?」
と、テーブルの向こう側に音もなく現れた銀猫が、脈絡もなくそう問いかけた。
「誰が?」
「アラミス公がで、す」
銀猫がそう告げると、クリカラはくすりと笑った。
銀猫にはアラミス公の元に『
「凹まれても困るとしか言いようがありませんね。必要無いのですから。敵対勢力とはいえ今、貴族たちがアラミス公を襲う道理はありません。大義名分の必要性も分からぬ愚かな者であれば、大して恐れる必要もありませんし。アラミス公もそれぐらいは分かっておられると思いますよ」
「分かっているなら、どうしてもう一人暗殺者を付けて欲しいなど、と?」
「舞い上がっておられるのでしょうね。恋焦がれてきた婚約者と、十年ぶりに言葉を交わしたのですから、少々抑えが効かなくなっても無理はありません。ですが、
いかがわしいと言えば、暗殺者集団よりいかがわしいものも無いんじゃ? 喉元まで出かけたその言葉を呑み込んで、銀猫は改めて尋ねる。
「『
すると、クリカラは小さく首を振る。
「むしろ逆でしょうね」
「逆?」
「ええ、例えば、よく『好みのタイプ』などと言ったりしますけれど、その相手は、どうして『好みのタイプ』なのか分かりますか?」
「え? 仰る意味が良くわかりませ、ん……」
「ふむ、言い方を変えましょう。その『好み』というのは、どういう風に形成されたのでしょう?」
「形成され、る? 好みは好みなので、は?」
「いいえ。好みのタイプというのは、最初から決まっている訳ではないのです。人間は、初めて恋心を抱いた相手が好みのタイプになります。大抵が幼少期のことでしょうし、その、最初の一回は天啓としか言いようがないのですけれど。その恋心を抱いた相手、そうですね……仮にオリジナルとでも呼びましょうか。その相手が『好み』の中心点として魂に刻み込まれます。つまり、オリジナルにどれだけ似ているかというのが、好意を抱く際の物差しとなるのです」
「はあ……?」
「分かりませんか? 『
「好みのタイプなのに、嫌がるのですか?」
「いやよ、いやよも好きの内と申しますからね。恐らく、『どうして? アタシったら、どうしてこんなにドキドキしてるのかしら? 彼の姿を目にすると、どうしてこんなに胸がキュンとなるの?』と、戸惑っているというところでしょう。うふふ」
自分の身を抱いてクネクネと身を捩るクリカラ。銀猫はそれを眺めて、戸惑うように口を開く。
「あの……」
「なんでしょう?」
「…………楽しそうです、ね」
「…………気のせいです」
身を
◇ ◇ ◇
二日後のことである。
アラミス公の一行は六両の馬車を連ねて、メルヴィル湖畔へと差し掛かる。微かな風に波立つ湖、その湖畔に沿って続く
黒い鉄柵の門をくぐり、夏も終わって少し荒れた庭園を抜け、青い噴水の周囲に円を描くエントランスへと辿り着くと、バルコニーから、じっとこちらを眺めている女性の姿がある。
「おお、姫殿下だ!」
「本当に生きておられたのか!」
後続の馬車から貴族たちのそんな声が、風にのって聞こえてくる。期待に満ち満ちた表情を浮かべて、車列を凝視しているその女性は、確かにヴェルヌイユ姫、その人であった。
だが、馬車を止めて降りてきたアラミス公たちを目にした途端、彼女の期待に満ちた表情は、
アラミス公は集まってきた貴族たちを見回して、重々しい口調で告げる。
「申し訳ありませんが、貴公らは、ここでしばらくお待ちいただきたい。国王陛下から少々内密のお話を言付かってきておりますゆえ、まずはそちらを済ませたいのです」
国王陛下云々という下りは、もちろん嘘である。だが、ヴェルヌイユ姫の姿を目にして、戸惑う敵対派閥の貴族たちは、それをいぶかしむ様子はない。姫殿下は何を
アラミス公は『
「ご案内いたします」
彼女はそう告げると、返事も待たずに大階段を上り始める。案内も何も、アラミス公も元々は王族だったのだ。幼少期には景色が良いことと、多少涼しいことだけが取り柄のこの離宮で、何度、退屈極まりない夏を過ごしたかわからない。どこに何があるのかぐらいは知っている。
離宮はしんと静まりかえり、メイド、アラミス公、
二階へと上がり、部屋を二つ通り抜け、バルコニーへと続く扉の前までくると、アラミス公はメイドへと告げた。
「ここから先の案内はいらぬ。済まないが、外にいる貴族たちを庭園に案内して、茶の一つも出してやってはくれないか」
「かしこまりました」
メイドは恭しく頭を下げると、部屋を出て大階段の方へと向かう。彼女が行ってしまうのを見届けて、アラミス公はバルコニーへと続く扉を開け放った。
途端に、涼しい風が吹き込んでくる。秋の始め、うららかな午後。空は数日前までの雨が嘘のように晴れ渡って、やわらかな陽射しが降り注いでいる。
アラミス公と
「まさか、こんなに早く見つかってしまうとはのぉ」
ヴェルヌイユ姫は
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