第115話 好意の原型

 クリカラは、新たに仕入れた奴隷たちの値決めを行っていた。


 何といっても商売の要諦ようていは値決めである。商売の成否、その九割はこれで決まるといっても良い。商人としての腕の見せ所でもある。価値の無いものに高い値をつけても売れ残り、価値があったとしても需要が無ければ、やっぱり売れ残る。売れるからと、安易に安値をつけるなど愚の骨頂。価値と需要を見誤って、高く売れるものに安値をつければ大損だ。


 彼女は、奴隷の名前と経歴がリストアップされた羊皮紙に、熟考しながら価格を書き込んでいく。クリカラほどの奴隷商ともなれば、そうそう価値を見誤ることもない。だが、彼女は唐突に走らせていたペンを止めて、インク壺のふちへと視線を泳がせた。


(さて……これはどうしたものか?)


 リストの最後に書かれていたのは、某国の元王族という経歴。単純に高値を付けるのは素人の所業。血が高貴なのは結構だが、こと労働となると王族などクソの役にも立たないのだ。となれば、頭の良し悪し、容姿の善し悪しで、価格は大いに左右される。


 この奴隷については、一度面談してみるかと、クリカラが一つ頷いたところで――


「良かったんです、か? 随分凹んでました、よ?」


 と、テーブルの向こう側に音もなく現れた銀猫が、脈絡もなくそう問いかけた。


「誰が?」


「アラミス公がで、す」


 銀猫がそう告げると、クリカラはくすりと笑った。


 銀猫にはアラミス公の元に『星を観る者スターゲイザー』を送り届けるよう指示してあったのだが、どうやらそこで、傍目にも分かるぐらいにアラミス公が、凹んだ顔をしていたということなのだろう。無論、その原因は分かっている。『司教クレリック』のことだ。彼の『司教クレリック』を護衛に付けてほしいという要望を、クリカラが拒絶したのだ。


「凹まれても困るとしか言いようがありませんね。必要無いのですから。敵対勢力とはいえ今、貴族たちがアラミス公を襲う道理はありません。大義名分の必要性も分からぬ愚かな者であれば、大して恐れる必要もありませんし。アラミス公もそれぐらいは分かっておられると思いますよ」


「分かっているなら、どうしてもう一人暗殺者を付けて欲しいなど、と?」


「舞い上がっておられるのでしょうね。恋焦がれてきた婚約者と、十年ぶりに言葉を交わしたのですから、少々抑えが効かなくなっても無理はありません。ですが、夜の住人ノクターナルをいかがわしい店かなにかと混同されても困りますし、実際、彼女がアラミス公の仕事を拒否しているというのは本当のことですしね」


 いかがわしいと言えば、暗殺者集団よりいかがわしいものも無いんじゃ? 喉元まで出かけたその言葉を呑み込んで、銀猫は改めて尋ねる。


「『司祭クレリック』は、アラミス公のことが、それほど気に喰わなかったのでしょうか?」


 すると、クリカラは小さく首を振る。


「むしろ逆でしょうね」


「逆?」


「ええ、例えば、よく『好みのタイプ』などと言ったりしますけれど、その相手は、どうして『好みのタイプ』なのか分かりますか?」


「え? 仰る意味が良くわかりませ、ん……」


「ふむ、言い方を変えましょう。その『好み』というのは、どういう風に形成されたのでしょう?」


「形成され、る? 好みは好みなので、は?」


「いいえ。好みのタイプというのは、最初から決まっている訳ではないのです。人間は、初めて恋心を抱いた相手が好みのタイプになります。大抵が幼少期のことでしょうし、その、最初の一回は天啓としか言いようがないのですけれど。その恋心を抱いた相手、そうですね……仮にオリジナルとでも呼びましょうか。その相手が『好み』の中心点として魂に刻み込まれます。つまり、オリジナルにどれだけ似ているかというのが、好意を抱く際の物差しとなるのです」


「はあ……?」


「分かりませんか? 『司祭クレリック』のオリジナルは十中八、九、アラミス公なのです。つまり、彼は『司祭クレリック』にとって、好みのタイプのど真ん中な訳です。実際のところ、彼も権謀術数渦巻く政治の世界に身を置いて、タダでさえよろしくなかった目付きが、より一層陰険風味を増しておりますが、それでも多少の減点で済む程度でしょう」


「好みのタイプなのに、嫌がるのですか?」


「いやよ、いやよも好きの内と申しますからね。恐らく、『どうして? アタシったら、どうしてこんなにドキドキしてるのかしら? 彼の姿を目にすると、どうしてこんなに胸がキュンとなるの?』と、戸惑っているというところでしょう。うふふ」


 自分の身を抱いてクネクネと身を捩るクリカラ。銀猫はそれを眺めて、戸惑うように口を開く。


「あの……」


「なんでしょう?」


「…………楽しそうです、ね」


「…………気のせいです」


 身をよじったままの体勢そのままに、クリカラは真顔で答えた。



 ◇  ◇  ◇



 二日後のことである。


 アラミス公の一行は六両の馬車を連ねて、メルヴィル湖畔へと差し掛かる。微かな風に波立つ湖、その湖畔に沿って続く小径こみち。その行き止まり。そこには、青々とした森を背景に、白亜の離宮が鎮座していた。


 黒い鉄柵の門をくぐり、夏も終わって少し荒れた庭園を抜け、青い噴水の周囲に円を描くエントランスへと辿り着くと、バルコニーから、じっとこちらを眺めている女性の姿がある。


「おお、姫殿下だ!」


「本当に生きておられたのか!」


 後続の馬車から貴族たちのそんな声が、風にのって聞こえてくる。期待に満ち満ちた表情を浮かべて、車列を凝視しているその女性は、確かにヴェルヌイユ姫、その人であった。


 だが、馬車を止めて降りてきたアラミス公たちを目にした途端、彼女の期待に満ちた表情は、れ落ちた鬼灯ほおずきのごとくにしおしおとしおれていく。彼女はあからさまに肩を落とすと、すぐ傍の揺り椅子ロッキンチェアの上へと倒れ込んだ。


 アラミス公は集まってきた貴族たちを見回して、重々しい口調で告げる。


「申し訳ありませんが、貴公らは、ここでしばらくお待ちいただきたい。国王陛下から少々内密のお話を言付かってきておりますゆえ、まずはそちらを済ませたいのです」


 国王陛下云々という下りは、もちろん嘘である。だが、ヴェルヌイユ姫の姿を目にして、戸惑う敵対派閥の貴族たちは、それをいぶかしむ様子はない。姫殿下は何をたくらんでおられるのかと、ヴェルヌイユ姫の意図するところを読み解こうと、彼らは顔を突き合わせて、ヒソヒソと話をしはじめた。だが、恐らく正解へと辿り着くことは無いだろう。


 アラミス公は『星を観る者スターゲイザー』を手招きして、玄関へと足を踏み入れる。すると、玄関ホール正面の大階段、その前に銀髪のメイドが一人、背筋を伸ばして待ち構えていた。


「ご案内いたします」


 彼女はそう告げると、返事も待たずに大階段を上り始める。案内も何も、アラミス公も元々は王族だったのだ。幼少期には景色が良いことと、多少涼しいことだけが取り柄のこの離宮で、何度、退屈極まりない夏を過ごしたかわからない。どこに何があるのかぐらいは知っている。


 離宮はしんと静まりかえり、メイド、アラミス公、星を観る者スターゲイザー、三人の足音だけがコツコツと吹き抜けに反響して、輪唱のように響き渡る。静かなのも当然だろう。本来であれば、来年の夏までは使われることのない離宮なのだ。アラミス公たちを除けば、ここには姫殿下と、このメイドの二人しかいないのだから。


 二階へと上がり、部屋を二つ通り抜け、バルコニーへと続く扉の前までくると、アラミス公はメイドへと告げた。


「ここから先の案内はいらぬ。済まないが、外にいる貴族たちを庭園に案内して、茶の一つも出してやってはくれないか」


「かしこまりました」


 メイドは恭しく頭を下げると、部屋を出て大階段の方へと向かう。彼女が行ってしまうのを見届けて、アラミス公はバルコニーへと続く扉を開け放った。


 途端に、涼しい風が吹き込んでくる。秋の始め、うららかな午後。空は数日前までの雨が嘘のように晴れ渡って、やわらかな陽射しが降り注いでいる。


 アラミス公と星を観る者スターゲイザーが、バルコニーに足を踏み入れると、揺り椅子ロッキンチェアの揺れる音が、ぎっ、ぎっと、規則正しく響いていた。


「まさか、こんなに早く見つかってしまうとはのぉ」


 ヴェルヌイユ姫は揺り椅子ロッキンチェアに腰を下ろしたまま、首だけで背後を振り返り、そう言って、つまらなさげに口を尖らせた。

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